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シェイクスピア参上にて候第七章(ニ)


第七章 フランスの動向を掴まなければならない

(二)ドイツへの複雑な思い、そして共通の事情

ジェイムズはフランス人の友人が多く、また、アフリカからの移民でフランスに定住している友人もいて、ヒューミント(人間を媒体とする情報収集)の活動を展開するには、事欠きませんでした。

ジェイムズは、冷戦後にデビューした仏紙の「クーリエ・インターナショナル」で働いているマルセル・ベコーと連絡を取り、是非会いたい旨を伝えると、すぐに会おうという返事をもらい、アーバンビバークホテルにマルセルが飛んできました。

「やあ、ジェイムズ、元気かい。カイロ大学時代は二人でよくピラミッドの見学をしたね。君は、今、日本の総合商社に勤務しているというが、ジャポニズムの愛好家として、この俺様は、日本の「かわいい」若者文化の数々に嵌まっているんだ。原宿には二三度、足を運んだよ。

ところで、君の顔を見ると、情報が欲しいと書いてある。フランスの情報を欲しがっているね。フランスは大変だが、冷静に考えれば、フランスはいつでもこんなものさ。」

「相変わらずだな、マルセル。君のその軽快なフットワークがジャーナリズムの世界には絶対不可欠だよ。

しかし、どうだい。現在のEUは。英国が抜けたEUは一体どうなるんだ。気の早い日本の企業は、ロンドンの支社をパリに移す計画を検討中だなんて話も多い。ロンドンにいては、大陸ヨーロッパとの取引に支障をきたすとでもいうのだろう。」

「いいか、よく聞いてくれ。イギリスがどうなるかは知らないが、フランスとしてはドイツとうまくやっていくしかないという選択肢に、今のところ、乗っかっている状態だ。

フランスがEU離脱という選択をすることは、かなり冒険だ。それは、ある意味では大陸ヨーロッパの分裂を画策する結果となるのだ。

フランスが抜け出せば、EU加盟国二十七か国が結束を失う状況が生まれるだろう。イタリアなども抜け出した方がいいなどと判断するかもしれない。

結局、ドミノ現象が起きて、大陸ヨーロッパがバラバラになれば、ヨーロッパの分捕り合戦が始まる。

ロシアが確実に動いてくる。中国もギリシアに手を伸ばしているので、その近辺にさらに手を広げる。

こういう状況を黙ってみておれないのがアメリカだ。当然、アメリカも出てくる。

地中海には、米国の空母や潜水艦、そしてロシアや中国のものなど、ずらりとお揃いの軍事的な緊張状態が生まれることになる。欧州を中心とする大騒乱時代の現出だね。

今時、そういう話はないだろうと思うかもしれないが、大国の欲望と意思はそういうふうに働くのだ。

アメリカ、ロシア、中国などの欲望は、世界覇権と深く結びついている。欧州は団結してこそ、こういう大国に対抗できるのさ。」

「初っ端から大胆なシナリオを描いて見せたが、マルセル、そこまでの話を聞いているのではない。もう少し、フランスとドイツの関係を、微妙なところを含めて詳細に聞きたいのだ。どうなんだ。」

「人口においても、GDPにおいても、ドイツはフランスを上回る国家だ。どうしてもフランスの立場は弱い。ドイツの横暴さが目立つと思っているフランス人は少なくないだろう。

このままでは、ドイツの一人勝ち、ドイツの新たな帝国がヨーロッパに出来てしまうと恐れる人もいる。

しかし、だからと言って、フランスを簡単に考えると、ドイツは思わぬ痛手を被るだろう。

君も分かっていると思うが、第一次、第二次の世界大戦で、英米と組んで、ドイツと戦ったのはフランスだ。

この独仏の衝突こそ、二度にわたる世界大戦の要因の一つであったと分析するならば、独仏の和合こそがヨーロッパの平和の基礎であるというのが、いわば、EU成立の理念だよ。

ヨーロッパは「一つの家」として結束しなければならない、フランスとドイツの人々がそれぞれ相手国を好きでないと思っても、これを超えなければヨーロッパの一体化は不可能だ。

英米の圏域とも、ロシアの圏域とも違う大陸ヨーロッパのアイデンティティというものがある。それを守るという立場に立つならば、EUは必然なのだ。

いわば、ヨーロッパは、米国とも違い、ロシアとも違う、第三の圏域だ。地政学がそう告げているのさ。この第三の圏域であるEU成立の話を持ち出したとき、ド=ゴールは英国の参入を拒絶した。これがド=ゴールの本音だった。

しかし、英国を入れる方向で話が進み、英国もまた加盟する方向で動いた。結果はどうだ。

英国は、加盟したものの、やはり、大陸ヨーロッパとは一緒に行動できないと感じるようになった。

移民やテロの流入など、いろいろな理由が挙げられるだろうが、大陸国家のフランスやドイツの流儀と、島嶼国家の英国の流儀とでは、その違いが大き過ぎると実感した。それがイギリスだった。

欧州議会での官僚主義的すぎる独仏などのやり方に絶えず違和感と反発を覚えていたのがイギリスだったのだ。イギリスは欧州議会の官僚たちの傲慢さを非常に嫌ったのだ。一緒に行動できない相性の悪さがある。」

「ふーむ。面白い見方だね。そう言われれば、いくつか思い当たる節がある。世界の金融センターを握るイギリスは通貨において、ポンドを放棄せず、独自の立場を貫いたまま、EUの仲間入りをした。ユーロ経済圏に呑まれることをよしとしなかった。

アメリカもまた、共通通貨のユーロの台頭を警戒していたのは紛れもない事実だ。

ヨーロッパが纏まったのはいいとしても、米国の言うとおりにならないド=ゴール主義的な欧州の誕生は、米国にとって嫌なものだろう。ドルに対抗するユーロ通貨の誕生も煙たい存在になったのだ。

米国からすれば、欧州はマーシャルプランやNATOなど、米国からの大きな援助を受けて、欧州の復興があり、米国の恩恵が非常に大きいはずだが、タイミングを見て、米国と適切な距離を取って独自の道を歩もうなどという横着なことを考え始めた欧州は、油断も隙もない、許せない欧州だと感じるかもしれない。

米国人としてのこのジェイムズ様としては、そう考えるが、どうなのかな。

歴史的に見て、統合された欧州の姿は、紀元八百年のシャルルマーニュ(カール大帝)のフランク王国にそっくりな姿であることを思い出すのだが、フランク王国はその後、東と西に分かれて東フランクがドイツに、西フランクがフランスへと国家の姿を変貌させていった。

フランスとドイツの今日の和解は、9世紀、東西に分裂する前のシャルルマーニュのフランク王国時代への回帰だね。

そのフランク王国の支配の外に独立して構えていたのが、当時の英国であったことを思えば、その八百年当時と何ら変わらないヨーロッパの姿がまた再現されただけということになる。

そもそも、英国がEUに無理に加盟する必要もなかったのだが、いろいろな情勢が気になり、経済的な損得勘定も頭に入れながら、一応入っておこうという程度の腰掛加盟であったのならば、英国民が決断した今回の離脱劇も当然起こり得ただろう。

ちゃっかり、ポンド体制は残したままの加盟というのが、いかにも英国らしかったと言えるが、金融支配を考えた場合、絶対に、手放せないポンド体制であるというのが英国の立場だろう。英国は揺るぎない金融立国だからね。」

「シャルルマーニュを持ち出してくるところが、ジェイムズ、君の凄いところだ。ジェイムズが言った通り、最初の欧州統合を紀元八百年に実現したのは確かにシャルルマーニュだからね。異論はないよ。

国民戦線などの台頭を見ると、多くのフランス人がEUへの懐疑、とりわけ、ドイツへの複雑な思いを抱いていることも確かだが、そうかと言って、ドイツと対立する関係が現在のフランスにとってプラスかどうかは意見の分かれるところだ。ぼくは、正直なところ、喧嘩別れする必要はないと思う。

何と言っても、ドイツとフランスは陸続きだ。助け合わなければならない宿命のようなものがある。

お互いに助け合えばいいことも多いだろう。反対に対立抗争となれば、これまた、お互いに国力を消耗し、国民の精神的な傷も深くなる。

だから一緒に行こうとなるのだ。海峡を隔てて、大陸と距離を持っている英国とは全く根本的に違う。それが仏独関係だよ。

例えば、電力消費では、ドイツは石炭や風力の依存が高く、フランスは原子力や水力への依存が高い。非常に異なる特徴が電力消費などに見られるのだ。

こういう重要なエネルギー消費という基本構図などを、相互依存的に学び合い助け合うことはできないか。お互いに学び合い助け合うことが両国の未来にとってはいいことだと思う。どちらが儲けてどちらが損をするというような話ではない。

フランスは、国土の五二%が農業用地で、ヨーロッパ随一の農業大国だ。フランスの農産物がドイツにも沢山輸出されている。フランスの全ての物品の輸出先の二位にドイツがある。

そして、フランスの輸入先の二位もやはりドイツだ。ドイツは中国に嵌まり過ぎて、輸出入の両方とも中国がトップを占めているが、それでも、フランスとドイツは完全に相互依存しあっている。仲違いする必要はない。

もちろん、国民戦線の言い分にも耳を傾けるべき多くの主張がある。とくに、移民の問題だ。

はっきりしているのは、不法移民は取り締まり強化で対処する必要があり、慈善事業のように何でもかんでも受け入れる余地は全くない。憎しみを抱いて行動するテロも厄介な問題だ。状況はフランスもドイツも同じだと思う。

そもそも、移民の流出が起きるような問題の多い国家、例えば、アフリカ北部のマグレブ諸国やシリアのような国が存在するというのが、移民問題の原点だ。

それぞれの途上国が立派な国造りを出来るように援助するのが先進国の務めであるならば、そうすべきであるが、歴史の事実は、発展を阻害し、搾取を当然のようにやってきた宗主国の強欲さと無責任さと不誠実さが、こういう移民問題やテロ問題を作り出した根源的な問題であると言えるだろう。

あるいは大国間の政争の場となってしまったシリアのような国ができると、そこに大きな問題が発生することになる。まさにシリア難民の大量流出という問題だ。

残念ながら、わがフランスも多くの問題をアフリカや中東で作ってきたことは確かだ。そうかと言って、想像を超えるようなフランスへの移民の流入というのも全く合点のいかない話である。

旧宗主国を目指して入国を果たせば、何とかなると安易に考えてもらっても非常に困る話である。

日本は、非常に厳しい入国管理の体制をとっており、簡単に移民を受け入れない国家なので、安心と安全の高い国になっている。

今こそ、日本を見習えというフランス国民の声も一部あるが、フランスは日本のようにもいかないし、日本が理想というわけでもない。」

ジェイムズとマルセルの話は延々と続きました。忌憚のない率直な情報のやり取りができたとジェイムズは心から感じることができました。

ジェイムズはマルセルに心からの感謝を示し、お礼の印として、ホテルの近くのレストランで、美味しいステーキとワインを振舞いました。

マルセルと会った次の日、ジェイムズはアルジェリア人の移民であるアフマド・タフェールと会いました。

彼とはマルセルと同じくカイロ大学で一緒だったことから親交を結んでいる関係でした。タフェールは移民二世で、すっかりフランス人になり切っている人物でしたが、移民の置かれた状況を詳しく語ってくれました。

「ジェイムズ、移民の問題を語ることは胸の痛む話だが、このぼく自身が移民二世として暮らしているから他人事ではない。

フランスは自由・平等・博愛を謳った人道主義の国なので、フランスを目指す移民は少なくない。

細かい統計は分からないが、フランスにはざっと八〇〇万人の移民がいると思う。その中で、EUの域内から来た移民は約三分の一で殆どがキリスト教徒であろう。

残りの三分の二はアルジェリア、モロッコなどのマグレブ諸国、そして西アフリカ、さらに中東諸国となるが、そうすると、約五五〇万人の移民がイスラム系ということになる。

しかし、もう少し詳しく説明すると、イスラム系の移民二世の数がすでに六百万人を超えているから、一世と二世を合わせると一一五〇万人となり、大変な数だ。フランス国民総人口の約二割近くがイスラム系移民という計算になる。

大半は穏健なイスラム教徒であるが、過激な信仰を持つ者もいる。特に、雇用に恵まれない若者たちが過激な思想を吹き込まれ、社会に反旗を翻すテロリストになってしまうことが多い。

フランスの失業率は一〇%で、雇用状況がよくない中、移民二世たちが窮地に立たされることが多いのだ。」

「そうか。国民戦線が不法移民の排除を叫ぶ理由も分からなくはない気がするなあ。一世、二世を合わせると、大変な数のイスラム系移民が暮らすフラン社会となっているわけだ。

アフマドは、二世としてフランスで暮らしながら嫌なことってあるのかい。」

「ありがたいと思うが、ぼくに関して言えば、ほとんどそういうことはない。一九六八年に、アルジェリアを出て、パリに来た父親は一生懸命働いて、妻を呼び寄せ、フランスでの生活を送ったが、そこがパリ北部のセーヌ・サンドニ県のイスラム系移民たちの暮らす貧しい集合住宅だった。

われわれの一家は、そこを離れ、西側のポアシーの感じのいい一軒住宅に住むことができた。幸運だった。非常に幸運だった。フランス社会の一員として、フランス人とうまく協調して生活することができた。

移民の一世よりも、二世の方が不平不満を溜めているのではないかと思うのだが、二世は自動的にフランス国籍を取得できる反面、同じフランス人であるのに、イスラム移民に対する社会的な差別感を感じることが多く、職に就けない、ブルカの着用はいけないなど、社会に対する不条理を抱きやすい面があると思う。

残念ながら、そこにうまくイスラム過激派が入り込むのだ。ぼくは全くイスラム過激派のやり方を認めない。ナンセンスだ。

彼らの所為で、イスラム全体がイメージを悪くされ、国民戦線のような叫びが真の愛国だなどと解釈されてしまうのだ。大半のイスラムは善良だよ。偏見や差別の感情を抱く理由はないと思う。」

ジェイムズとアフマドとの話はおよそ三時間続きましたが、ドイツやイギリスの移民問題とフランスの移民問題とでは、どこが違うのかと言えば、フランスの方が、移民二世、三世まで含めて考えると、イスラム系住民の人口比率がイギリスやドイツよりも高いのではないかという印象が、ジェイムズの実感として残りました。

それだけ、フランスの移民事情は、一九六〇年代からの開放的な移民政策のゆえに、世代層を厚くしており、根の深いものがあるという思いを、ジェイムズは持ったのです。

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