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作家たちの愛の心 その3

ワシントン・アーヴィング:「スケッチブック」

ワシントン・アーヴィング(1783-1859)という米国の作家は、多くの作品を書いたが、その中でもよく知られているのが「スケッチブック」という短編集である。

一つ一つの作品の中に、ロマンチシズムが溢れており、学校の教科書などで、「リップ・ヴァン・ウィンクル」、「スリーピーホロウの伝説」といった作品を面白く読んだ覚えのある人も少なくないと思う。

この短編集の中に「妻」という作品があり、読んだ後に、何とも言えない幸福な気持ちを抱かせてくれるのである。それは、女性の持つ美徳のようなものを語ってくれているからである。本当にそうなのかと疑う人もあるだろうが、とにかく、あと味の良い作品である。

ジョージはレズリーという友人を持っていた。レズリーの妻はメアリーで、二人は申し分なく幸せに暮らしていた。レズリーは資産家で、メアリーは美貌を備え、歌のうまい外交界の花形とくれば、レズリーの結婚生活の日々は、大いに自尊心を満足させるものであったろうことは想像に難くない。

ところが、一転、投資事業に失敗して、財産を失い、余裕のない窮状に陥ったレズリーは悶々とする毎日を送る。何不自由ない幸せな暮らしを保証してきた妻に対して、事業の失敗、財産の喪失を告げるべきかどうか、彼は真実を伝えることができないまま、何事もなかったかのように普段の通りに振舞うが、メアリーのほうでは、何かおかしいと気づく。

レズリーから話を聞いたジョージは、レズリーの態度を戒め、遅かれ早かれバレることであるから、妻のメアリーにすべてを話したほうがいいと力説する。

悩んだ末、レズリーは妻に状況を告げる。その結果、メアリーが示した反応は、レズリーが考えていたものとは違っていた。妻は変わらない愛を夫に示し、いや、むしろ、率直に話してくれた彼の態度の故に、もっと夫との愛の絆が深まった。

豪邸を売り払い、田舎に引っ越した家で、今の方がもっと幸せを感じるという妻の言葉に、レズリーは泣いた。その後、生活の立て直しも順調に進み、再び、精神的な幸福だけでなく、以前のような暮らしを取り戻していく。こういう話を、ワシントン・アーヴィングは「妻」という短編にしたためたである。


得てして、男性は大胆で力強く、女性はか弱い存在であると信じる人もあるだろうが、ワシントン・アーヴィングが書いた「妻」は違う。

華やかな世界で輝き、ややもすると、夫の資産のお陰で虚飾の世界を好む女性のように描かれながら、一転、思わぬ夫の没落から贅沢な暮らしを捨てて田舎に移り住む哀れな女性の姿に転落してしまったと思うところであるが、自尊心の強いレズリーが恐れていた夫婦愛の破局のような事態は起きなかった。

もっと夫を愛して、人生を前向きに生きていこうとする妻の姿を見たのである。女性の強さ、逆境を耐え抜く妻の力、そういうものを見たのである。

レズリーは妻の姿から新たな生きる力と大いなる慰めを得た。外面を気にし、自尊心を満足させて生きていたのは妻のメアリーではなく、夫のレズリーの方であった。

すべての女性がメアリーのような存在であるとは言えないが、少なくとも、予想もできなかったような困難に立ち至ったとき、存外、男性の方がくよくよと狼狽え(うろたえ)、女性の方が気力を出して現実に立ち向かうといった生命力の強さを示すことがある。

女性の示すこのような強さにワシントン・アーヴィングは目を見張ったのである。「逆境の中で夫を慰め助ける妻の姿」という人生の相貌を垣間見たワシントン・アーヴィングはこの「妻」という作品を書かざるを得なかった。


ニューヨークに生まれたアーヴィングは、11人兄弟の末っ子である。21歳の時、ヨーロッパに渡り、2年間を過ごして、米国に帰国してからは弁護士を務め、また、著述業に携わった。

その後、再び、32歳の時、英国に渡った。以後17年間を欧州で暮らしたので、彼の作品群には欧州の香りが漂っている。スペイン語、ドイツ語、オランダ語などの言語能力にも通暁し、欧州に関連する書物を精力的に書いている。

米国の歴史において、先住のインディアンを追いやった白人たちのやり方には疑問を呈し、インディアンに対する深い同情を寄せていた。

彼の著作群を見るとき、欧米の歴史に深い関心を寄せ、歴史作家の顔を見せている。総じて、ワシントン・アーヴィングを評するならば、19世紀、米国の「良心の光」として、その思いを文筆に注いだ人物であると言えよう。

とりわけ、「妻」に見られるような作品から感じられるのは、妻たる女性の美徳は逆境の中で夫を支えることだと、しばしば、そのような思いを抱いていたことである。


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