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シェイクスピア参上にて候第六章(三)


第六章 ロシアの大地が呼んでいる

(三)ロシアはどこへ行く
 
 
アランは、谷崎宅でリーディアとスタニスラフスキー論あるいはロシア演劇について大いに語り合ったことに非常に満足を覚えていましたが、次の日に、エディンバラ大学時代の友人ヴァシーリー・ベリンスキーと会う約束を取り、ヴァシーリーの指示したソコルニキ公園に向かいました。

上杉早雲という日本人の友人も一緒に行ってもいいかという問いに、快諾してくれたので、アランと上杉さんは谷崎さんの車でソコルニキ公園まで送ってもらいました。

ヴァシーリーとのミーティングが終了したときに電話をくれれば、迎えに来てくれるという約束を残して、谷崎さんは行ってしまいました。

ヴァシーリーは現在、インターファックス通信に勤務していますが、エディンバラ大学時代は、経済学を学んでおり、特に、ソ連崩壊後のロシアの経済をどのように西側のレベルまで成長させることができるかという問題意識によって、学業に真剣に取り組んでいたことをアランはよく知っています。非常に懐かしい友人です。

「やあ、元気にやっているかい、ヴァシーリー、ほんとに久しぶりだなあ。見たところちっとも変っていないね。」

「ほんとに懐かしいなあ、アラン。このソコルニキ公園に君を呼んだのは、ここは広々として気持ちがいいんだ。歩きながら、心行くまで話したいね。」

このように挨拶を交わし合っているヴァシーリーとアランの話に割って入るようにして上杉早雲さんは、自己紹介をしました。

「ヴァシーリーさん、初めまして。上杉早雲と言います。モスクワには初めて来ました。見るものすべて新鮮で心地よい刺激を感じています。」

「わたしは、東京に何度か行っています。日本の発展は本当に素晴らしいと思います。日本からロシアは多くを学び取らなければなりません。」

「その日本だが、このアランも日本にいろいろ魅了されて、日本の商社に入ったということだよ、ヴァシーリー。

エディンバラ大学で、君が西側の経済理論を必死に身につけようと頑張っていた時、ぼくは日本語に取り組んでいた。そしてロシア語にも。誰かいないかなと思って、ロシア語の練習相手に君を見つけたときはとても興奮したよ。」

「そうだったね。敢えてロシア語で話してくれとアランが迫ってきたとき、とてもうれしかったよ。

あのとき、英語だけの生活で少しホームシックになっていたときだったので、ロシア語を話せる相手が現れたという感動で心が弾んだのさ。君のお陰で、大学生活が一気に楽しくなったのをはっきり覚えている。」

こういうやり取りをしながら、話は次第に核心的な内容に入っていきました。それは、鶴矢軟睦支社長がモスクワに二人を送り出すときに言った「アメリカとロシアの緊張関係」についてです。

ソ連の崩壊で、ロシアとなった新しい国の姿は、西側諸国への参入、仲間入りという目出度い出来事として捉えることができたように思われましたが、そう簡単にはいかないポスト冷戦時代を世界の人々は見てきたのでした。

相変わらず、アメリカとロシアの緊張関係は継続しているのです。しかも、ますます、酷くなるような気配すら感じさせながら、ロシアは偉大な国家であり、米国の思うようになる国家ではないというプーチン大統領の意地が、米国のプライドを傷付けているようです。

ロシアのメディア世界に身を投じたヴァシーリーに、その辺のことを率直に伺ってみたいというのがアランの本音でした。

「アラン、君も知っての通り、インターファックス通信は、国営のイタルタス通信などと違って、政府系のものではない。

この会社に入って、ぼくはいろいろと記事を書いてきているが、書きながら、いつも考えることは、ロシアとは何かということだね。ロシア人もロシアとは何か、分かっているようで分かっていないと思うときがある。」

「興味深いことを言うね、ヴァシーリー。僕がはっきりと知っていることは、ソ連からロシアへと姿を変えた一九九一年の歴史的大事件についてだよ。

ゴルバチョフがソ連を潰し、エリツィンが新生ロシアのボスとして猛々しく登場したあの事件だ。

あのとき、ぼくはエディンバラ大学に入ったばかりで、ソ連で何が起きているんだとびっくり仰天さ。ロシア語を勉強しようと考えたのも、あのショッキングな事件がきっかけだった。

大学で君と友人になったのは、確か、一九九四年のころだったと思う。君は西側経済の理論や実際の現実を学ぶために必死な様子だった。新しいロシアを背負っていくのだという意気込みのようなものがひしひしと感じられた。」

「まさしくその通りだったよ。しかし、その後のロシアはどうだ。エリツィン時代はロシア愛国主義の熱病に侵されたような姿であったが、実際は、ロシアの富を食い尽くそうとする西側資本主義の走狗のような輩にめちゃくちゃにされた悲劇の時代だったよ。愚かにもエリツィンはそれを許した。

エディンバラ大学を出て、ロシアに戻ったぼくは、言葉がなかった。失望の連続だよ。

西側の経済を正しく学ぶということなど、ロシアにはできなかった。学び取る前に、西側経済の悪弊を学び取ってしまった。

悪魔の方が先にロシアに手を付けてしまったという感じだ。ソ連という全体主義の悪魔が倒れたと思ったら、今度は、資本主義の闇にいるもう一つの悪魔がロシアに忍び込んだ。

いや、悪魔が忍び込んできたのではない。悪魔を呼び入れたのさ。傲慢で知恵のないエリツィンはウォッカに溺れて、ロシアの政治も経済もどこかへ吹き飛んでしまった。側近の奴らが勝手なことばかりしていた。

ゴルバチョフを好きだと言うロシア人はほとんどいないが、エリツィンのパフォーマンスに騙されたロシア国民もまた愚かだった。ゴルバチョフを嫌う資格などないと言いたいね。」

「厳しい表現だな。ロシア人の君がそこまで言うのか。しかし、そのエリツィンに熱狂したのは、君が言った通り、まさにロシア国民ではなかったのか。」

「その通りだ、だからロシア人は賢くないなどと言いたくはないが、あまり賢いとは言えない。国民全体がウォッカを飲み過ぎて、男も女も、みな短命だよ。」

「いやいや、かなり自虐的なロシア観だね。しかし、君はロシアを愛しているのだろう。大学時代、ぼくがロシア語を一生懸命、話したとき、君はとても幸福そうに見えた。」

「死ぬほどロシアを愛しているよ。気が狂わんばかりにね。だから、ロシアに対して厳しい言葉が出るのさ。厳しい言葉の背後には、ロシアに対する熱烈な愛国心があると思ってくれ給え。盲目的な愛国心ではなく、正しい愛国心だ。」

「ヴァシーリー、君は偉いよ。君の精神の深みを覗かせてもらった気持ちだよ。」

上杉早雲さんは、アランとヴァシーリーの熱い会話を隣で聞きながら、ソコルニキ公園を吹き抜ける心地よい風を感じました。

多くの人々が、この広大な公園で過ごしています。芝生に寝そべったり、家族で楽しく過ごしたり、ベンチで本を読んだり、ジョギングをしたり、その光景にはモスクワの平和があります。北方の大地ロシアの平和があります。

三人は公園を歩きながら、さらに会話を深め、アメリカとロシアの緊張関係という部分にテーマを移していきました。その内容を要約的に記すと、以下のようになります。

ソ連からロシアへ、この変化は共産主義の大帝国がそのイデオロギーを捨て、国土面積も人口も縮小されたという厳粛な事実を示しています。

人口はソ連時代の半分になってしまったこと、面積は七十六%をロシアとして残すことができたが、二十四%は失われたということです。

国土の喪失の割合よりも人口の減少の割合が大きかったということは、人口が密集する地域、すなわち、ウクライナ、ウズベキスタン、カザフスタン、アゼルバイジャン、ベラルーシなどがロシアから離れたということを意味します。

国土が小さくなったとは言え、それでも世界一の国土面積(十一・五%)であり、二位のカナダ(六・七%)を大きく突き放しています。

人口は、およそ一億四三〇〇万人になりましたから、広大な土地と比較的に少ない人口となれば、人口密度はまばらです。

ロシアを理解するために、まず、こういう概括的なことを細かくヴァシーリーは説明してくれました。

そして、ロシアはもともと多民族国家ですが、ソ連時代、ロシア人が全国の各地域に移り住んだので、混血も進み、全体としてロシア化が達成されたとヴァシーリーは説明しました。

歴史的にもよくみられるロシアの強権主義あるいは専制主義的傾向は、広大な領土を統括するためにどうしても最高指導者たちの発想が陥る致命的な罠のようなものであると、ヴァシーリーは自らの見解を述べました。

ソ連時代などは、自由を与えず、国内のそれぞれの民族の独立を抑え込み、体制に反対する者はシベリア流刑地への処分となりました。

クレムリンの豪華さもサンクトペテルブルクの威容も、すべて西側欧州に比肩する、あるいは欧米を超える政治と文化を誇ろうとするロシア的な権勢意識からくるのであり、たとえ米国が世界覇権を握っているとしても、簡単に屈服するわけにいかないとロシア人は考えるのであり、ロシアにはロシアの意地があると、ヴァシーリーは語ったのです。

特に、エリツィンのめちゃくちゃぶりは欧米に利するものがあったとしても、結果的にロシアにはほとんど利益をもたらさなかったという思いがプーチンにはあり、それゆえ、強いロシアの復活を掲げて登場したプーチンの姿には国民が拍手喝采を送り、無条件に「ウラー!(万歳!)」を叫んだのであると語りました。

西側は、明らかに、ソ連崩壊後のロシア対策を間違えたのであり、ロシア人のプライドを強く踏み躙るようなやり方を遂行したとヴァシーリーは語りました。アランは黙ったまま聞いていました。

エネルギー資源の輸出に依存するロシア経済は脆弱であり、経済構造を根本的に変えていかなければならない部分が多いことを、ヴァシーリーはしきりに強調して語りました。

資源を持つことは恵みであるが、資源に依存することは愚かであると言いました。ここを抜け出さなければ、ロシア経済の未来はないと言明しました。

アメリカがロシアに苛立つのは、ロシアの軍事力、すなわち、核やミサイルの保有であり、ロシアは依然として旧ソ連の軍事力の延長にあり、唯一、米国に対峙し得る軍事力を保持しているという事実です。

いざとなったら何をしでかすかわからないという思いがあるのだろう、これが米国とロシアの緊張関係を作り上げている一つの要因であると語りました。

すなわち、軍事力から見れば、現在の米ロ関係は、米ソ冷戦時代の緊張関係をそのまま継続させているようなものであるというヴァシーリーの現実認識が示されましたが、そのことに対しては、アランは、別の考えを持っていました。

経済力が軍事力の基礎にあるとすれば、ロシア経済の弱さは致命的であり、やはり、世界に冠たる圧倒的な軍事力は米国にあり、ロシアが虚勢を張っても、実際にはいろいろな面において米国に及ばないであろうというのが、アランの認識でした。

ヴァシーリーの考え方や思いがロシア人全般に通じるものなのか、ヴァシーリー独自のものなのか定かではありませんが、とにかく、このままではいけない、何とかロシアをよくしていかなければならないという焦る思いがヴァシーリーにあることだけははっきりと分かりました。

そのほか、様々なことをアランとヴァシーリーは話し合いましたが、最後に、アランは尋ねました。

「ヴァシーリー、これからロシアはどこへ行くのか、教えてくれないか。ロシアがもうひとつ分からない。結局、ロシアとは何かということに尽きるのだが。」

「それについて答えることは、おそらくロシア人の精神構造について話さなければならないということに落ち着くとするならば、基本的にロシア人は、民主主義が不得手だと思う。

強い指導者に服従する国民性があると言ったら、驚くかもしれないが、そういうところがある。大きな政府、強い政府があって、大勢の従順な国民がいるという構図だ。普段は静かだが、ときどき、わけも分からず熱狂的になる国民だ。

大きな政府はエリート集団であり、巨大な、しかし、非効率的な官僚組織であると言える。彼らはインテリジェンスを持ち、かつ貴族的だ。

ロマノフ王朝がソ連共産党政権に代わっても、結局は、内実は同じようなものであったと言えるかもしれない。ここにロシアの闇が隠されていると思う。

官僚たちは基本的に優秀であるが、ここでも、強い指導者を絶えず見ながら、何を発言すべきか、発言すべきでないか、慎重な姿勢を取っている。

これはどこの国でも同じようなものだと思うかもしれないが、ロシアでは、生殺与奪の強い権限をトップリーダーが持つので、官僚たちは概して自己保身的で、活発な論議を展開する光景はほとんど見られなくなる。

では、どこで、だれが最終的に物事を決めているのかと言えば、ほんの一部の最高トップ層の人々である。

情報の公開もなく、いつの間にか物事が決定されていたというような秘密政治に近いスタイルが歴史的に定着してしまったというのが、ロシア政治の恒常的な現実としてあったと思う。スターリンはいつでも出てくるのさ。

経済の発展が、ロシアにおいて難しいのは、この政治の致命的な欠陥のためである。経済の発展のためには、国民を信じ、国民に多くの自由を与えなければならない。

自由な活動によって作り出されていくものが、経済においても文化においても非常に多いのだ。それなのに、そのことができないので、西側のような活発な経済活動の自由と繁栄を作り出せないでいる。それが本当のところではないか。

優秀な人間はみな欧米へ逃げ出してしまった。残念なことだ。本当に残念なことだ。

ロシアは基本的に貴族的な官僚主義国家であり、権力闘争は、一握りの優秀な官僚たちの中で行われる。目立たないように静かにね。

こういうことは世界中どこにでもある話だが、ロシアは特にそうだね。いつも秘密のにおいを漂わせながらやっている。監視とか情報の詐取とか、そういうことが発達してしまうお国柄だ。」

「ヴァシーリー、君は本当に厳しい見方をする人間だね。ロシアをそういう風に見つめているのかい。そして、それは本当の話なのか。」

「あくまでも、ぼくの見解であるが、そう間違ってはいないと思う。ロシアは根本的に変わらなければならない。そうでないと、結局、経済発展も未来もないということになるね。」

「ううーん。分かった。君の意見として聞いておくよ。ありがとう。どうやら、米ロ関係の緊張はしばらく続きそうだね。

ロシア語を学んだこのアラン様としては、エルミタージュ美術館を楽しんだり、スタニスラフスキーの演劇を堪能したり、ボリショイバレーを観覧するのが、この上なく、人生の至福となっている。

ロシア人は優れたものを持っている。その芸術は世界最高級だ。寒いところで凍えているのではない。内面にはいつも熱いものが沸き上がっている、そういう民族だと思う。ロシアに神の祝福あれ!」

上杉早雲さんは、ヴァシーリーとアランのやり取りを一部始終聞きながら、ヨーロッパとも違う、アメリカとも違うロシアという国の特異性に思いを馳せていました。

なぜ、ヨーロッパはロシアを恐れるのか、なぜアメリカはロシアを恐れるのか、結局、それは強烈なロシア主義が、大国意識を曝け出してくるロシア主義が邪魔で、邪魔で仕方がないということなのだろうか。もやもやしたものが頭をかすめていました。

上杉さんは、北海道大学時代、勉強したロシアの歴史をぼんやりと思い出しました。

西暦以降のキリスト教の歴史は、カトリックの総本山ローマで始まり、次にギリシア正教の総本山コンスタンティノープルに東遷して、最後にロシア正教のモスクワに北遷した経緯を見て、ロシアは第三のローマだと自任したモスクワ大公国のイヴァン三世(一四四〇~一五〇五)の姿をはっきりと思い起こしました。

ローマとギリシアを発祥地とする文明の後継者は、西側のスペインやポルトガル、フランス、イギリス、ドイツなどの西欧文明ではなく、東側のスラブ諸族の雄として立つモスクワこそがギリシア・ローマ文明の真の後継者であるという自負がイヴァン三世によって表明された出来事です。

そうするとイヴァン三世以降の五百年の歴史こそが、モスクワを作り上げ、ロシアを作り上げ、途中、ソ連邦という寄り道はあったものの、基本的精神はロシア主義の変形パターンに過ぎず、そのソ連の崩壊で始まった冷戦後の時代、再びロシアに戻ったということになるのではないか。

ロシアの意地とは何か。これはモスクワ大公国の拡張主義、言い換えれば、イヴァン三世の第三ローマ文明論の精神であり、譲れないロシアの魂の主張がそこに厳然としてあると言ってもよさそうだ、上杉早雲さんはそのように自分の考えを整理していきました。

五百年の歴史の重み、第三ローマの精神的な重みがロシアにはあるというのがロシアの手強さの正体です。

次々に送ってくるレポートを目にしながら、ロンドン・オフィスにいるわたくしは、アランも上杉さんも貴重な時間をモスクワで過ごしているなあと感動しました。

谷崎由紀夫さん夫妻のサポートもあって順調な滞在を、モスクワ周辺の観光スポット巡りで終えた二人は、意気揚々とロンドンへ戻ってきました。


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