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ウクライナ戦争 10


終末論は、キリスト教神学において、「世の終り」を考察するものであるが、聖書では、特にマタイによる福音書の24章に記述されている事柄、すなわち、世の終わりのときにはどんなことが起きるのかについて、イエスが語った予言的な言葉を解釈することが中心的な内容になる。

そこに書かれている事柄は、①イエスの再臨、②世界戦争、③飢饉、地震、④大患難、などが主要なものとして書かれている。以上の四つのことが「世の終り」「終末時代」には大きな出来事として起きると、イエスは語っている。

イエスの再臨という問題は、キリスト教徒でない人々にとっては、ピンとこないテーマであり、そういう観点から歴史を見つめることはほとんどない。

しかし、たとえば、キリスト教国家のアメリカにおいては、イエスの再臨は、多くのキリスト教信者にとって、真剣な問題であり、イエスは、いつ、どこに来るのか、どのように来るのかなど、その問題意識は非常に高いと言えよう。

アメリカは、共和党政権であれ、民主党政権であれ、歴代の大統領たちは、イスラエルとの関係を非常に大切にしてきた。イスラエルを特別視するアメリカの外交態度は、多くのアメリカ人が、イエスは再びイスラエルに再臨すると考えているからである。そのイスラエルをしっかりと守らなければならないという宗教的意識の現れである。

果たして、イスラエルに本当にイエスが再臨するのかどうか、それは分からないが、アメリカのキリスト教信徒たちにとっては深刻な問題であろう。

二番目の世界戦争の問題であるが、世界戦争に関するイエスの予言、「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる」という言葉に注目すると、第一次世界大戦(1914-1918)、第二次世界大戦(1939-1945)を思い起こさせるから、20世紀を、一応、「世の終り」「終末時代」の到来と見ることが可能である。

さらに、アメリカとソ連の衝突である「冷戦」(民主主義vs共産主義)を第三次世界大戦と解釈すれば、それは1945年から1989年(マルタ会談=米ソ冷戦終了)までとなるが、共産主義国家ソ連(兄貴、総本山)は中国(弟分)と北朝鮮(弟分)を生み出したから、その二国(二人の弟)がまだ生き残っているのを見ると、第三次世界大戦は、2022年現在も継続していると見なければならない。

すなわち、民主主義的な思想と共産主義的な思想の相克は、現在も続いているということである。米ソの冷戦は終わった(?)のかもしれないが、新たに、米中冷戦が始まっており、中国は米国打倒(2049年までに決着を着ける)で、現在、突き進んでいる。それは、1949年の中華人民共和国の誕生から2049年の建国100周年までに米国を政治、経済、軍事あらゆる方面で抜き去るという意味である。

1991年12月、ソ連が解体しロシアになったことは、アメリカの勝利と見做すことができるが、ソ連崩壊後のロシアの弱体化と混乱を受け入れられないプーチン大統領は失地回復の野望を抱き、クリミア半島の奪回(2014年)、そしてついに、今回のウクライナ戦争を引き起こす。

これは、スターリン時代のソ連の独裁的強権主義と何ら変わらない体質を示しており、民主主義の価値観がロシアに根付くことの難しさを物語っている。しかし、世界を敵に回した状況に陥った現在のプーチンのロシアが長く続くとは思われないから、今後のロシアの変化を見守らざるを得ない。ウクライナ戦争の後、果たしてロシアはどうなるのか。

そうなると、ウクライナもまたこの戦争が終わったのちの国家再建の道のりにおいて、焦土と化した多大な国土(日本の1.6倍)の復興をどうするのか、大変な道のりが待っている。

4000万人の人口の中で、700万人がロシア人であるというウクライナの状況をどう融和的な共存に持っていくか。その他、ベラルーシ人やモルドバ人、ユダヤ人なども多く暮らしているから、多民族的に構成されたウクライナの国を、争いのない国とするモデル作りも、当然、考えなければならないだろう。

ロシアもウクライナも、双方ともに新生ロシア、新生ウクライナの道を歩み、世界に見せることのできる復興再生の道を歩まなければならない。そのことが、次の段階として待っている。二つの国はお互いに、「産みの苦しみ」を経て、新しい国家へと生まれ変わる必要がある。

お互いに、それぞれの問題を抱えていたから、こういう悲惨な戦争になったのであるとするならば、それは、一体、何か。民主陣営(EU,米国)から蜂の巣をつついたように干渉されてきたウクライナ、ソ連や帝政ロシアの夢を見て失地回復に執念を燃やしたロシア、結局、ウクライナを舞台にロシア(旧ソ連、共産主義)と西側(民主主義)の思想闘争が展開されたウクライナ戦争であると見ることができるのである。

そうだとすれば、民主主義と共産主義を超えた新しい価値観を定立しなければならない21世紀の課題が見えてくる。

そのような歴史的な大転換期の時代相にぶつかっているのである。すなわち、終末論的時代(20~21世紀)の不可避的な思想闘争を通して、新しい価値観を探し立てる時代、これこそがウクライナ戦争の持つ隠された意味であるのかもしれないと理解できるのではないか。

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