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二宮尊徳は損得を超えていた! その3


二宮尊徳は、小田原藩主の大久保忠真公に請われ、「分度」と「推譲」によって、藩の財政再建に取り組んだ。その後、下野の国(栃木)にも出かけ、村人の反対を忍耐強く説得し、彼の信念である「分度」と「推譲」を実践する。

結局、二宮方式は全国に広がり、各藩、各村からの要請を受けて、次々に財政の復興、再建を果たし、大きな成功を収めて、二宮尊徳の名を不動のものにした。その才能を認められ、幕臣となった尊徳は、日本再生に全生涯を捧げた。渋沢栄一、松下幸之助などの経営者が心から尊敬してやまなかった人物が二宮尊徳である。

この稀有な才能を持つ二宮尊徳に、目を付けた世界的な経営哲学の大家がいる。ピーター・ドラッカー(1909-2005)その人である。彼は、現代経営学の大家であるが、多くの日本の経営者たちが彼に学ぶところが多く、今でも、ドラッカーの著書を「座右の銘」としている経営者は多い。

そのドラッカーが二宮尊徳を尊敬していたと聞けば、どれほど尊徳が偉かったかが分かるだろう。では、一体、二宮尊徳のどういうところにドラッカーは魅了されたのであろうか。

先ず、第一に、二宮尊徳が、空理空論ではなく、実践に重きを置いていたという点を、ドラッカーは高く評価している。「成果を上げる人の共通点は、行わなければならないことをしっかり行っているというだけである。」と語るドラッカーが、行うべきことを行う実践に徹底的に取り組んだ二宮尊徳の生き様に対して、尊敬の心を抱いたのは、至極当然であったと言えよう。

二番目に、人材を活かす、あるいは、人材を育成するという観点から見て、ドラッカーは二宮尊徳を尊敬している。ドラッカーは、「組織のマネジメントで一番重要なのは、今ある人材と資産で何ができるかを考えることである。」と言っている。二宮尊徳は「人々は長短があることは仕方ないことで、相手の長じているところは友とし、劣っているところは友とせず。」と言っているので、二人の共通点は人間活用術に関して、懐が広く、人材を活かし、あるいは忍耐をもって育成するという指導者の心得えの必要性を説いていることである。

三番目に、人の道としての教育の重要性である。尊徳は「誠実にしてはじめて禍(わざわい)を福に変えることができる。術策は役に立たない。」と説いて、人々を教え導いている。ドラッカーは「基本と原則に則っていないものは必ず破綻する。」と言って、人間の成長であれ、会社経営であれ、「基本と原則」という教育ラインがあることを強調している。

あるとき、日本の経営者がドラッカーに教えを乞うたとき、ドラッカーは日本で教えること、日本の経営者に教えることなど何もない、と答えたというエピソードがある。その話が本当かどうかは分からないが、多分、ドラッカーの言いたかったことは、日本には、二宮尊徳がいるではないか、それで十分だろう、ということだったと思う。

21世紀、生産と消費、供給と需要、管理、輸送、サービス、金融など、あらゆる部門の経済活動が、二宮尊徳やドラッカーが説くところに傾聴しながら進むとき、二宮尊徳の報徳思想を基盤とする「天道」と「人道」の合一が輝きを放ち、一歩一歩と理想の世界へ近づくことができるだろう。

二宮尊徳は過去の人ではなく、現代においても通ずる経営の達人であることを肝に銘じたい。

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