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先人の経営思想①:二宮尊徳、渋沢栄一


先人の経営思想①:二宮尊徳、渋沢栄一

《至誠であれ、そして勤労せよ》

松下幸之助や稲盛和夫といった実業家が、二宮尊徳の報徳思想を取り入れていると聞けば、二宮尊徳の報徳とは何か、そのポイントを把握しておくことが必要であると考える。

報徳思想の根本にあるものは、神道、儒教、仏教の教えであり、それらの教えの中から大事であると思った内容を、自分なりにまとめ上げた思想が、二宮尊徳の報徳思想である。

報徳思想は四つの教訓から成っており、①至誠、②勤労、③分度、④推譲、この四つを尊徳は、報徳の実践において、非常に重要なこととして強調した。

一番目の「至誠」であるが、尊徳の言葉に「誠実にして、はじめて禍(わざわい)を福に変えることができる。術策は役に立たない」という言葉があるように、誠実または至誠が一番であると述べている。

そして「私の本願は、人々の心の田の荒廃を開拓していくことである。天から授けられた善の種である仁義礼智を栽培し、善の種を収穫して、各地に蒔き返して、日本全体にその種を蒔き広めることである」と語ったごとく、尊徳は至誠であれば、必ず善行を励むようになり、大きな収穫を得るようになると考えた。

日本全体が、至誠の心を種として、働けば、善き収穫を手にすることができると言っている。

二番目の「勤労」は、よく勤め励むことであり、そのことの重要性を「富貴天にありという言葉は、寝ていても勝手に豊かになると考えている人もいる。これは大きな間違いである。

その意味は、日々励んでその言動が天理に適っている時には、富は向こうから近付いてくるということだ」と諭している。

《分度で蓄えた富を推譲せよ》

三番目の「分度」は、それぞれの収入の中で、適切な支出範囲を決めるということである。収入以上に支出すれば、赤字になることは明白であるが、富を得るには収入の範囲内で暮らし、いくらか残しておきなさいと忠告した。

尊徳は質素倹約を勧めている。従って、「貧富の違いは分度を守るか失うかによる」という言葉を語ったように、分度は、豊かさを得るために必要なことだと、尊徳は教え諭したのである。

四番目の「推譲」は、分度で残しておいたものを自分の意志で人に譲り、将来に残すという意味である。至誠、勤労、分度で集まった富を、推譲で思いやりの心をもって、人に対して、また、社会に対して分与することを意味する。

この推譲は、現代の言葉で言えば、人助け(人道支援)、社会貢献ということであろう。

「私が倹約を尊ぶのは、その後に活用することがあるからである。住居を簡素にし、服や食を粗末にするのは、資本を作り、国を富ませ、万人を救済するためである。目的があるのが倹約である」

この尊徳の言葉は、分度、すなわち質素倹約による富の貯えの目的は、「推譲」(万人救済)にあると明言したわけである。

「心の力を尽くして、私心がない者は必ず成功する」、

「一人の人間は、宇宙にあっては限りなく小さいが、その誠意は天地をも動かすことができる」

と語った二宮尊徳、このような経済人がわが日本にいたことを誇りに思う。

21世紀のこの現代世界、何かが間違っているからこそ、格差社会、貧富の格差なるものができたのである。二宮尊徳の報徳思想に帰るべき時が来ている。


《事業は先見性が必要で、何よりも率先行動である》

渋沢栄一は「日本資本主義の父」と呼ばれ、欧米の先進的なビジネスモデルを自ら見聞して、一念発起した実業家である。

彼が手掛けた事業は500社に上ると言われ、超人的な起業家で、欧米に比肩できる日本を作ったという実績は、恐らく、前人未到と言うべきであろう。

「自ら新しい空気を吸った商人を作り、率先して合本組織(株式会社)による事業を創設し、一般大衆に模範を示さなければならないと痛切に感じ、覚悟した。

それ以来、紡績会社を起こし、煉瓦会社を起こし、人造肥料会社を起こし、絹織物会社も起こすというように、全力を傾けて世の中のあらゆる事業をどんどん創始した」(出典「先見と行動、時代の風を読む」)。

このように自身の人生を語った渋沢栄一は、その回顧する人生をそのごとく歩み、事業における「先見性」、「率先行動」がいかに大切かを強調した。

欧米を見据えて、日本を偉大な国家にして見せると意気込んだ渋沢の魂は、「先見、先進」を重んじ、「率先垂範」するその姿勢は、リーダーシップを執る主体的な行動の人物像を浮かび上がらせる。

物作りにおいて、繊細緻密、独創性、芸術性など、卓越した能力を縄文文化以来、保持した日本の歴史は素晴らしいものである。

加えて、欧米の科学指向、資本の力で事業を推進する団結性と合理性、そういった日本にない特色を躊躇なく一気に取り入れて、欧米に並んだ近代日本の偉業は、そのほとんどすべてを渋沢栄一に負うところが大であった。

《道理や道徳を忘れてはならない経営》

「利用厚生、つまり銀行を利用してもらい、人々の生活を豊かにする事業に従事するからには、どうしてもこの利用厚生が道理正しく世のためになるようにしたいものだ」(出典「国富論、実業と公益」)

このことにこだわりを示した渋沢は、その標準を定めるために、どんなものを拠り所にすればよいかを考えて、「孔子の教えすなわち論語に従えば、必ず間違いなく事業経営ができるだろう」(出典「同上」)と祈念したと述べている。

こうして渋沢の名著『論語と算盤』(1916年)が出来上がり、「道徳とビジネス」の両立は可能であるという見解を世に示した。それは自ら実践して実感した確証であった。

実は、この「道徳とビジネス」というテーマこそが、今日、世界的に見ても、最後の難問と言ってもよいくらいに紛糾する問題であり、欧米の経営思想がいまだに到達できていないテーマであると言っても過言ではない。

その理由は、ビジネスは利益の追求を前提にしているから、この「利益、収益」ということと「道徳、倫理」ということが、どのように調和的関係を持つのか、誰もわからないという点である。

利益を優先すれば、どうしても道徳が軽視されがちであり、道徳を優先すれば、利益が出にくいということになり、両者の調和点を見出すことが難しいということである。

渋沢栄一の偉大さを言うならば、生涯をかけて戦った経営の在り方、ビジネスの理想追求において、『論語と算盤』をひとつの答えとして、参考にしてほしいと後世に伝えた点である。

ピーター・ドラッカーは『論語と算盤』を読んで以来、論語の研究に取り組んだと自身、語っているほどである。

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