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言われたらやる気がなくなる理由

「しなさい」って言われたらやりたくないなと思うことがある。
なぜなのだろう。

小学生時代の夏休みに母と何回も繰り返したやりとりもその一つ。
「宿題しなさい」
「言われたせいでやる気なくなった」
なんと生意気なガキだと思う。
驚くのが、セリフは無いにしろ気持ちは今もあまり変わらないということだ。

皿洗い

夏休みで実家に帰省してから、たびたび家族全員の茶碗を洗っている。言われてやってることではないからしている。
「茶碗くらい洗いなさい」なんて母に言われたらモヤモヤする。

英語の勉強

夏休みに英語の勉強をしている。
誰からしなさいと言われたわけじゃないけど、英語を読めたり話せたりしたらかっこいいなって思ったから勉強している。
高校時代使っていた参考書を使って勉強しているが、高校時代と比べてずっと楽しい。英語の勉強をしなさいと言われたらどうだろうか。


なぜだろう。
なぜしていることが同じなのに、「しなさい」と言われるとこんなにも気持ちが違うのだろう。


自分が相手の下になるのが嫌なのかと思ったが、そうじゃない。

自分が言われるような人間だということを受け入れることができないのだ。
私が私のことを過大評価した結果、期待する自分に届いていない私を見たくなくなっている。

本当の自分の能力を見れないのはなぜだろう。
私が、偽物の評価のおかげで得た自信を失ってしまうからだ。
では、その自信を失ったら何が困るのだろうか。
その自信は、何かをするときの勇気になっていたか。
半分はそうかもしれない。偽物であっても自信が欲しいときはあった。
だから、失いたくなかった。偽物の自信も全く悪いわけじゃない。


言われたらやる気がなくなる理由は偽物の自信を守りたいから。


そうなると、言われてでも嫌な気持ちにならない状態も見えてくる。
言われても嫌な気持ちにならない状態とは、自分の能力やそれに対する評価を受け入れられる状態だ。
受け入れられる状態とは、きっと本当の自信も持っている状態だ。


言われたらやる気なくなってできないよりは、言われてもできるほうが確実だ。そっちの方がどちらかというと良さそうだ。

本当の自信を持ちたい。
本当の自分の能力を見ることからだ。





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