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細江慎治氏インタビュー再録(第1回)

掲載にあたって


過去の仕事関連ファイルを保存しているサーバーでデータを探していたら、12年ほど前にとあるサイト向けに書いたインタビュー記事のテキストが出てきた。

読み返したらあまりに面白く、また、ゲーム業界の歴史的にも意味がありそうなんで、元サイトをシェアしようかと探したのだけれど、既に閉鎖されて記事ページは消えてしまっていたのであった。

インターネットにはよくあることとはいえ、あまりにももったいない。そこで、元原稿をリライトして掲載することにした。ビデオゲーム考古学、ことにビデオゲームミュージックの歴史を紐解く上で、何らかの手がかりとなれば幸いだ。

※文中の年月日・団体名・所属・役職などについては、全て2009年当時のものとなります。ご了承ください。


第1回

皆さん初めまして、鶴見六百(つるみ・ろっぴゃく)です。

遙か20年の昔、ゲームミュージックのソノシートを付録にして一世を風靡した「BEEP」という雑誌で、氷水芋吉という名前で色々やってたオッサンです。

得意技は「昔話」。今日も、古い知り合いと昔話をしにやってきましたが、さて…?


鶴見:さてさて今日は、「この人を抜きにゲームミュージックは語れないであろう」という、細江慎治氏(通称・めがてん細江)にお話を伺うべく、細江氏が代表を務める会社「スーパースィープ」に押しかけてきました。
──毎度おつかれっすー。


細江:いらっしゃ~い♪(桂三枝風に)

#細江慎治
株式会社スーパースィープ 代表取締役音屋
ナムコにおいて「ドラゴンスピリット」(1987)を皮切りに、「リッジレーサー」シリーズなどの、時代を代表する様々なゲームミュージックを作曲する。ナムコを退社後、アリカを経て、スーパースィープを設立。様々なゲームに楽曲を提供するとともに、スィープレコードからCDをリリースするなど、精力的な活動を続けている。

鶴見:細江氏は古い友人なので、いつもなら「めがちん」とゾンザイに呼ぶワケですが、今日は記事にするインタビューということで「細江さん」と丁寧に呼ばせていただきます。語尾もですます調で行かせていただきます。よろしいですね、細江さん?

細江:……(笑)。

鶴見:いやそんな、怪しい人を見る目つきはやめて(笑)。
──さて、細江さんと云えば、ゲームミュージックを作り続けて20年。ずいぶん長いですよね。

細江:いつの間にか、20年をちょっと超えちゃった。(自分は普通に)やってるだけなのに、だんだん周りの人がいなくなっちゃって、残ってる方が珍しくなってきた。

鶴見:今回のインタビューのために「細江慎治の20年間」を洗い直してみたら、細江さんを中心に、色々なゲーム音楽クリエイターが綺羅星の如く現れて、同じ流れに乗っているんですよね。ある意味、「梶原一騎引退記念作品『男の星座』」みたいな。

細江:たまたま(笑)。

鶴見:またまた(笑)。でも実際に、今ゲーム音楽を作ってる人間って、たいていが知り合いでしょ?

細江:まあ、それはそうかな。一部の古い人は。

鶴見:今回は、既存の記事やWikipediaなんかには載っていないような、そういう交友関係や、非ッ常に細かい話なんかも拾って、そういった「細江慎治版・男の星座」を浮き彫りにしていくつもりなんで、ひとつよろしくお願いします。


「鉱石」に導かれ、理系方面へ


鶴見:じゃあ、細かい話の皮切りとして…まず…どこから生まれました?

細江:「どこから」ってwwwそれはwwwオカンの大事なトコロからwwwww

鶴見:「どこから」じゃなかった(汗)。「どこで」生まれ育ちましたか?(汗)

細江:生まれたのは、下呂病院(岐阜県下呂市)。下呂で生まれ育って、小学校1年の時に、調布(東京)へ引っ越してきた。実家は写真屋さん。

鶴見:子供の頃って、親兄姉友人の影響で趣味嗜好が決まったりしますけど、そういうのはどうでしたか?

細江:3つ離れた姉と一緒だったんで、影響というよりは、姉と同じものを見て育ったという感じ。初めて買ったレコード=富田勲『惑星』のシングル盤も、姉とラジオで一緒に聴いてて、これを買おうという話になった。後には、ピンク・レディーとかも一緒に買った。ステレオは(写真屋での)撮影のBGM用として、お店に置いてあったから。

鶴見:なるほど、実家の仕事道具を使って、細江姉弟はレコードを聴いていたってワケですね。親の影響はなかったんですか?

細江:たまたま父親が工作好きで、自分も電子工作にハマってしまった。鉱石ラジオを作ったりね。ダイオードじゃないよ鉱石だよ!みたいな(笑)。

#鉱石ラジオとは、鉱石に針を立ててその接触具合で検波の調節を行う、とても扱いづらいラジオ。ダイオードを使えば、同じ機能が簡単に手に入る。

鶴見:なんでまた、鉱石ラジオなんてハードルの高いものを…?

細江:父親が、たまたま鉱石を持っていたから(笑)。

(一同爆笑)

細江:そういった電子工作の趣味で、若干理系気味に行くじゃない。小さい頃はそっち系の雑誌(「ラジオの制作」「初歩のラジオ」など)を読んでたり。それで、成城にある工業高校の電子科に進んだ。

鶴見:鉱石1コで決まった進路! 人生に一石を投じられたワケですね。

細江:誰が上手いこと云(ry

電子「工作」から電子「音楽」へ


鶴見:では、中高の頃は電子工作一色だった、と?

細江:電子工作は子供の頃。学生の頃は音楽雑誌とパソコン雑誌が多かったのかなあ。電子音楽にどっぷりとハマっちゃったから、そういったのが載ってる音楽雑誌を探して。好きだったのは、富田勲と、ジャン・ミッシェル・ジャール。その2人は、すごく近いポジションにいたんで。

鶴見:最先端…というか、当時としてはマイナーな嗜好ですね。

細江:でも小学校の終わりか中学校の頃にはYMOが出てきてた。

鶴見:あの当時のYMOというと、CV/GATE式のシーケンサーとか…確かに、「鉱石」の延長にありますね。確か「ラジオの製作」でもシンセサイザーの工作記事が掲載されていましたし。

細江:YMOは、コピーバンドもやった。中学の時はベース弾いてアリスとかオフコースとか…高中(正義)とかもやったけど、YMOのコピーバンド歴がいちばん長いかな。

鶴見:中高生のYMOじゃ、機材的に足りなそうですよね。

細江:だから質素だったよね。薄っぺらいYMO(笑)。(機材も)ポリフォニックじゃなかったしね。でもかろうじて、成城に住んでた金持ちが一人いて…。

鶴見:お金持ち町の成城に高校があった甲斐があったワケですね!(笑)
その高校も卒業して、音楽好きの細江少年は、日本電子専門学校CG科へ進むワケですが…なぜ音楽じゃなくてCG?

細江:C言語をやりたくて。CをやってるのがCG科だった。そもそも、高校の情報処理でFORTRANを習ったけど、その頃に新しかったのがC言語。これからはこれは伸びる、これをやろう、「これからはCだろ!」と。

鶴見:音楽とかCGとかの前に、まずコンピュータ言語ですか。なんだかまだ「鉱石」の延長ですね(笑)。それを一所懸命に勉強して…?

細江:ほとんど学校へ行かずにバイトしてた(笑)。最初に電算写植をちょっとやったけど、後はほとんどナムコに。

鶴見:いよいよナムコに!

ナムコでのアルバイト、まずは…


鶴見:ナムコでアルバイトをするようになったキッカケは何なんですか?

細江:同級生に、ナムコでテストプレイをやっていた友達がいて。「スターラスター」のファミコン版の頃。その伝手で、テストプレイヤーとしてバイトに入った。

鶴見:テストプレイヤーというのは、いわゆる「デバッグ」ですよね。ひたすら遊んで、不具合を見つける仕事。どんなゲームをやったんですか?

細江:ファミコンのゲームやアーケードゲームとか何でもやって、楽しかったねー。あの頃の(ゲームは)全部やってるよね。あと、パズルゲームの面(ステージ)を作ってた。

鶴見:じゃあ、ステージを作るツールとかがあったんですか?

細江:紙(笑)。紙にL字のピースを置いてって、マップを書く。いかに嫌らしいマップが作れるか、みたいな。そもそも、テストプレイは開発とは場所も別だから。

鶴見:あれ? 別なのに、どうやってテストプレイから開発に移籍出来たんですか? 確か、まずはドット絵を打つバイトになったんでしたよね?

細江:なんか、人が足りない、って。実際のゲームに使う絵を描かせるんじゃなくて、テスト版のアルファ物を作るのに「ちょっと手助けがほしい」みたいに云われたんで、「あー、やるやる」と。それで、バイト移籍。

鶴見:アルファ物っていうと、まあゲーム性を確認するための試作ですよね。キャラクターが分かればいい、みたいな。その程度でも人手が足りなかったんですか?

細江:ちょうどファミコンの製品ラインが増えてた頃だったから、グラフィックのバイトも募集していて、結構な人数が必要だったんじゃないかな。ファミコンだけじゃなくて、アーケードも同じフロアで。最初はアルファ用だったけど、だんだん製品のドットもいじるようになっていった。

鶴見:そのまま進めば、ナムコのドット絵師として一本立ちしていたかもですね。
──なのに、なんでドットのバイトが曲を作るようになったんですか!?

細江:だって、音が入ってないし(笑)。

鶴見:なるほど、音が入ってないから入れた、と。確かにそりゃ単純明快な理由だ…ってオイ(笑)。

細江:もともと、弓達(公雄)さんっていうプログラマがいて、そういうことやってたの。自分の曲をプログラマながら勝手に入れたり…ワンダーモモに自分の曲を入れてたり。それを教えてもらった。やらしてやらして、と。

鶴見:確かに弓達さんは「ワンダーモモ」にも「ワンダーモモーイ」にも、作曲でクレジットされてますし、「ビデオゲームグラフィティVol.2」の歌じゃ、歌詞も書いてましたね。鶴見もよく存じ上げてますけど、ただのエロオヤジかと思ったら、そんな面白オヤジだったワケですか!

細江:いや、当時はオヤジじゃないし(笑)。弓達さんがいなかったら、やってないよね。

「勝手に」ゲームへ曲を付ける方法


鶴見:弓達さんが教えてくれた、曲を入れる方法というのは…?

細江:まんま、ダンプリスト(16進数値の羅列)の打ち込み。音の長さって概念はなくて、音を、出す・止め・出す・止め…の繰り返し。音程は、たまたまあったカシオトーンか何かで確認しながら。

鶴見:音色とかはどうしたんですか?

細江:2151(YM2151音源チップ)のファクトリー・プリセット(=工場出荷時の標準音色)があった。若干の変更は、2151のレジスタのリストを直に書き換えて。それぐらいしか出来なかった。2つのパラメータが1バイトに数ビットずつ入ってたりして面倒だったな。

鶴見:今の話を聞くだけでも、マシン語の基礎知識がないと無理だと分かりますね。それにしても、作曲経験無しで、しかもそんなツールも無いような環境で、あれだけの曲を作るのって…よっぽど音楽的に天才だったか、あるいはひたすら辛抱強く試行錯誤したか、そのどっちかだったでしょう?

細江:ひたすら試行錯誤(笑)。ドラスピって結構長い間、開発が続いていたんで、それでずっとやっていた。だってそもそも、打ち込んだ曲をプレイバックして聴くのには、ROMを焼かなきゃならなくて…どのみち時間かかるから。

鶴見:でも、効果音とかはどう作ったんですか? カシオトーンと打ち込みだけじゃ作れないのでは?

細江:サウンドの方では、(正式なサウンド担当じゃない奴には)教えるな、と云われていたらしいけど、他のゲームのソースをもらったり…。ドラゴンの死ぬ「ぴぎゃー!」なんてのはライブラリにあったり…。サンプリングは、ドラゴンの羽ばたく音を、ゴミ袋をバッサンバッサンやったり。録音で部屋借りる時は、正式に借りたけど、それ以外は全部勝手にやった。

鶴見:まあ、下手すりゃ機密に属するノウハウですからね(笑)。

細江:でも、サウンドとは関係ない人たちのバックアップはすごくあった。

鶴見:それってなんだか昼メロちっくですね。親と離ればなれになった赤子を、村人達が手厚く育ててくれてすくすく大きくなった、みたいな。「荒野の少年イサム」(笑)。で、村人の筆頭が、弓達さんね(笑)。

細江:当時のナムコは、チームで和気藹々としていたよ。皆んな勝手に作ってたし(笑)。

鶴見:いちおう確認しておくと、本業のドット絵もやっていたんですよね?

細江:本業と同じ端末で出来たから。プログラマが使うようなHP(ヒューレット・パッカード)の端末が余ってたから占有して、いつも目の前にある端末で、本業が終わった後に曲データを打ち込んでいた。

鶴見:ゲーム業界標準のHP端末ね。当時としては高価な入力端末が、使い放題だったと。なるほどねえ…弓達さんとカシオトーンと、HP端末が恩人だったワケですね。

細江:あとは「時間」というか「放置プレイ」ね(笑)。

社員に抜擢、でも「サウンド嫌だな」!?

鶴見:ところで、ドラスピの曲をアルバイトの細江慎治が勝手に作って…それはなんでOKとなったんですか?

細江:全体的に(社内的に)気づかれたのは、ほぼ出来てた時だったから。社長に見せる時も、「ああ、音入ってるね」で、なんとなく通過してる。

鶴見:スルーと(笑)。何故、本来のサウンドチームが関わってなかったんですか?

細江:音楽作る人いなかったしね、あんまり。ドラスピをやるはずだった人は辞めちゃって。あの頃、残っていたのは…小沢(純子)さんと、川田(宏行)さんと、中潟(憲雄)さんだけ。3人で、コンシューマも含めたナムコの全タイトルは無理でしょ。しかも中潟さんは源平プロジェクトを作っちゃって、他のタイトルの音楽までは、あまりさわれなくなっちゃったし。

鶴見:監修すらされなかったんですか?

細江:サウンドの人ってほとんど会ってないもの。当時はプロジェクト制で配置されていて、チームが違うと接触がないから。基本的には、当時の沢野グループの中にいたんで、そこの人たちの弁当の買い出しとか小間使いはしてたけど。

鶴見:チームごとに仕切られていた、と。じゃあチーム内で「OK」とされていればOKだった、ということですね。サウンドチームの人はどう思ってたんでしょうね?

細江:小沢さんは「生意気だ!」って云ってたけどね…俺がゴミ捨てをしなかった時に(笑)。

鶴見:それ関係ないwwww
じゃあ、バイトがいきなり曲を作っちゃったことについて、ナムコのサウンドの人達がどう思っていたのかは…。

細江:永遠の謎ですよ。

(一同笑)

細江:その後、当時の上司とか先輩社員とかが、普通に入社試験を受けろ、サウンドに入れろ、と動いてくれた。勝手に人事部に連絡して(笑)。

鶴見:上司が「慎治はやれば出来る子だから社員にしろ」って、引き上げてくれたんですね。

細江:やれば出来る子…かはよく分かってないけど、「便利な人」って(笑)。

鶴見:確かに、何のツールも与えず、何も正式には教えてないのに、安いバイト代で、プロジェクトのサウンドをまるまる作っちゃうんだから、これほど便利な人もいないですね(笑)。それで、入社試験や面接を受けたワケですね。

細江:その時ね、上司に対して迂闊にも「サウンド嫌だな」とか云っちゃって。なんか漠然と「企画がいいや」と(笑)。

(一同爆笑)

鶴見:それ、空気読んでなさすぎ(笑)。私は企画出身だからよく知ってますけど、確かに皆んな、ゲーム作るんだったら「企画がいい」って云いますよね。どんなに大変な職か知らずに、ただ漠然と(笑)。でも、それホントに空気読んでなさすぎ(笑)。

細江:後でその発言を取り消してもらって、「サウンドでいいです」と。

鶴見:ああ良かった(安堵)。無事、社員になってサウンドへ配属されました、と。それで入社してすぐにドラスピの次のプロジェクトに入ったんですか?

細江:いや、この入社の話は、ドラゴンスピリット作ってる最中で。

鶴見:まだ作ってる最中なのに、上司に「サウンド嫌だな」とか云ったんかアンタ!(笑)

(一同爆笑)

次回は、ドラゴンスピリットの曲を勝手に作ってしまった細江慎治青年が、正式にサウンドへ配属され、「彼にしか出来ない」仕事をバリバリとこなしてゆく話になります。お楽しみに!

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