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手に職があれば(ラストキャリアを考える④)

Twitterで、今の俺にとってはとても興味深いつぶやきを見た。

仕事は「いきがい」という側面もあるが、「食っていくため」という意味のほうがもちろん大きい。それなりの資産から不労所得が見込めるのでもない限りは(つまり俺の場合は)、歳をとっても食っていくために仕事をせざるを得ないだろう。年金だけで食っていくのはもちろん不可能だし、そこそこの貯金ぐらいでは、減っていく額を見つめ続けるのが精神衛生上よろしくないとも聞く。街なかで交通整理やプラカード持ちなどを年配の方がやっている姿をよく見かけるが、貯金があっても、年金を貰っていても、不安を持ちたくないので仕事をし続けるのだろう。

とはいえ、歳を食った身で、路上の過酷な環境に身を曝しながら立ち続けるのはどう考えても辛い。あれは経験不問の「替えが利く」労働だからこそ、過酷で賃金も安いのだろう(推測だけど)。UberEatsの配達なども同様。俺なんかにゃ絶対ムリ。どうせ仕事をするのなら、身体に負担をかけない仕事じゃなければ本末転倒じゃないか。

そこで冒頭のつぶやきだ。手に職があれば――替えの利かない価値を自分が持ってさえいれば(そしてそれが世に求められるのであれば)、重労働で命をすり減らすこともない。

俺が手に持った職は何か。

そりゃもちろんゲーム制作だ。
しかし企画職としての俺の能力に、替えが利かないほど価値があるかというと、ちょっと疑問だ。経験値があるから大抵の企画仕事は何でもできるけれど、前に書いたように企画職は胆力勝負。これから劣化まったなしだ。そもそも、自分が一から生み出した大ヒット作だってないし、ね。

しかしゲームローカライズなら話は違う。『クラッシュ・バンディクー』以降、開発目線・マーケティング目線を持って、単なるトランスレーションに留まらない、ゲームの日本語化に取り組んできた。俺ができることを誰でもできるはずはない、という自負がある

ゲーム内テキスト翻訳フォント作成テクスチャ作成キャラクター設定翻案吹き替え台本制作キャスティング/演出監修ネーミング翻訳マーケティング資料制作マーケティング図版ディレクション日本版追加アプリ制作ディレクション挿入歌プロデュース/作詞、etc、etc…。全て、ローカライズする上で必要にかられて獲得してきたノウハウばかりだ。

あれらのノウハウは、いまも俺の血や肉となっている。先日の『ラチェット&クランク パラレル・トラブル』でも十二分に役立った。何年かローカライズの現場から離れていたのにもかかわらず、あれほどヤレたのは、自分でも驚きだった。

そうだよ。今後、替えの利かない仕事でラストキャリアを築くのであれば、それはローカライズ以外にはないのではないか。ローカライズこそが俺の「手に持った職」なのではないか

(次回、決着!)

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