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細江慎治氏インタビュー再録(第3回)

*細江慎治
株式会社スーパースィープ 代表取締役音屋
ナムコにおいて「ドラゴンスピリット」(1987)を皮切りに、「リッジレーサー」シリーズなどの、時代を代表する様々なゲームミュージックを作曲する。ナムコを退社後、アリカを経て、スーパースィープを設立。様々なゲームに楽曲を提供するとともに、スィープレコードからCDをリリースするなど、精力的な活動を続けている。

セタネットを起点に広がった横の繋がり


鶴見:前回までのあらすじをカンタンに説明しますと、ナムコに潜り込んでサウンドの社員に昇格した細江慎治青年は、ダンスミュージックで周囲を洗脳しまくり「リッジレーサー」を生み出した、と。そういえば、細江さんがリッジレーサーを作ってる最中、都内のクラブで顔合わせてましたよね。ド深夜(笑)。「この人またいるよ」みたいな(笑)。

細江:それはお互い様(笑)。

鶴見:そんなワケで今回は、ナムコに勤務していた頃、細江さんの「交友範囲」が尋常じゃなく広かった、という話から始めたいと思います。
そもそも、当時セガに勤めていた私が、ナムコの細江さんと知り合いだったってのが変じゃないですか(笑)。しかも、花博にギャラクシアン3を観に行くから、「大阪の美味しい店を教えて」と連絡したら、細江・佐宗が手書きで作った「美味い店マップ」をナムコからセガにFAXしてくれたり(笑)。

細江:あったよね(笑)。

鶴見:他人事みたいに(笑)。そのキッカケは、草の根BBSだったワケです。

#草の根ネット(草の根BBS)~インターネットが普及する以前は、電話回線でモデムを通じてホストコンピュータへ直に繋ぐタイプのネットワークが主流だった。回線数の少ない小規模な無料ネットを「草の根ネット」「草の根BBS」などと呼んだ。パソコン+回線+モデムがあれば、フリーソフトを使って自分でBBSを開設する事が出来た。

細江:やっぱ、セタネットだよね。色々な人間が集まっていて。あの頃の人間の繋がりが(今も)でかいよね。

鶴見:セタネットというのは、今は亡き「セタ」がやっていた、中規模のネットですね。当時、ゲームの作り手が皆んな揃った!みたいな勢いがありましたよね。ゲーム業界の現場にいた若手が、セタネット上で「初めまして」「初めまして」と、がんがん知り合っていって。

細江:うんうん。セタネットの忘年会で…セガの中(裕司)さんに初めて会ったり、(鈴木)裕さんもいたかな。あと、タイトーの堀(崇真)ちゃんとか海道(賢仁)とか…氷水芋吉とか…。

鶴見:ちょwww芋吉ってwww俺wwwwww
あの時、「めがてんさん!」とか呼んでたんですよね。後に、1コ下だと判明したから、「さん」が取れて「めがちん」になりましたが(笑)。

細江:あるある(笑)。

鶴見:そして、セタネットで広がったゲーム業界人の繋がりが、「ナムコ未来研ネット」というBBSで、更に濃縮されていったワケです。それを開設したのが、誰あろう、細江慎治その人(笑)。

「未来研ネット」で繋がりはよりディープに


細江:未来研ネット、あれ面白かったね。

鶴見:なんでまた開こうと?

細江:もちろん、セタネットの影響。

鶴見:色々なゲーム業界の人間がアクセスしてきてましたよね? 私とか(笑)。あれ、公式ではないですよね?

細江:非公式(笑)。たまたまアナログの回線が余っていたんで、勝手に機材一式持ってきて、WWIV(フリーのホストプログラム)を入れて。

鶴見:今だったら有り得ないですよ。いい時代だった(笑)。

細江:色んな人いたねー。で、色んな人が色んな人を連れてくるんだよね。某有名ソフトハウスの人がいたり、大手メーカーの人がいたり。

鶴見:それでモデムが1個だけだから、回線がすぐ埋まっちゃって(同時には1人しかアクセス出来ない)、リダイアルの嵐(笑)。

細江:横の繋がりが急速に出来ていったのも、ネットのおかげだよね。
トルバ(=トルバドール・レコード)でCDを作る前に、ネットで知り合った人たちとカセットでコンピ(=コンピレーション)を作った事があって。その時も、同業者の方に参加してもらって。

鶴見:うわ、それは初耳だ。どこで売ったんですか?

細江:コミケ、コミケ。晴海の頃、オニオンソフトのブースに間借りして。

鶴見:オニオンソフトといえば、同人ソフト界では超有名ですよね。「100円ディスク」は、「日本のメガデモ」として名高かった。今でも、無料のプログラム言語「HSP」で広く活動しているワケですが…そんなオニオンソフトのブースの脇に、密かに凄いカセットが置かれていた、と(笑)。

細江:オニオンソフトとも、ネット繋がり。

鶴見:あの頃、小さな草の根ネットが沢山あって、その草の根ネットごとに人のコロニーがありましたよね。そのコロニーとコロニーが繋がって、繋がって、繋がって…集った人の中から、ゲーム方面に濃ゆい人間ばかりが、未来研ネットで熟成されていった、と(笑)。

細江:そういうこと。

鶴見:そういえば、「ナムコ未来研ネット」は、後にナムコ臭を無くして「未来犬ネット」に変わりましたけど。あれは何故変えたんですか?

細江:家で立ち上げたので、違う物ですから(苦笑)。

鶴見:じゃあ深く突っ込むのは止めときます(笑)。違う物でも、中に集まる人間は変わりませんから無問題です。

トルバドール・レコード始動!


鶴見:その未来研(未来犬)ネットに、いつからか「トルバドールの部屋」掲示板が出来て、トルバドール・レコードという同人CD活動の拠点になりました。
そもそも、本業が忙しい中、コンピレーションのカセットを作ったのは…やっぱり、オニオンソフトが同人でプログラムやディスクを売っていたから、同人で音楽を出すハードルが低かったということなんですかね?

細江:そうだよね。音楽でも、皆んなで集まって、そういうの出したら面白いだろうと。それが無かったら、やってないよね。

鶴見:で、オニオンソフトにブース間借りしてるのも肩身が狭いから、トルバドール・レコードを設立した、と。それは、人も増えて、体制も整ったから?

細江:勢いだけだよね、最初のうちって。そもそも、ぢょん(相原)が「CD作りたいんですよ」と来たんで、そろそろテープも何だしCD作ろう、と。それでCDの形になった。最初はCD売って「ボーナス倍増化計画」とか云ってたんだけど…「ボーナス半減計画」でした(笑)。

(一同爆笑)

細江:制作費がかかりすぎた。当時は。版下もDTPじゃなかったし、プレスも…。

鶴見:今だったら、驚くほど安く作れますけどね。同人CDの走り…というか、思いっきり人柱ですね(笑)。

細江:コミケでは、CDを作っていたのがウチを含めて3つしかなかった。「同人CDの歴史」みたいな本の、いちばん上の方に並んでる(笑)。

鶴見:人柱がいたから、今、同人CDを安く作れるようになったわけですよ、アリガタヤ。でも、ボーナスが半減しちゃったのに、なぜ懲りずに続けたワケですか?

細江:やっぱ…取り返さないと(笑)。

鶴見:一回足を踏み入れたら、抜けられなくなっちゃったんだ。ずぶずぶと。「ざわ…ざわ…」と(笑)。で、取り戻すために色んな人間を誘っていったワケですね(笑)。

なにげに凄い、トルバのCD


鶴見:トルバドール・レコードの同人CDを見ると、なにげに参加者が凄いですよ。
「Be Filled with feeling」の、作曲クレジットを眺めると…最初は気づかなかったけど、しばらく経ってから「これオウガバトルの人じゃん」みたいな(笑)。

細江:あれもネット系の繋がりで、崎元(仁)君に会う機会があって…そしてコンピを作る時に、他に誰かいないかな?と崎元君に話をしたら、松尾(早人)さんがポロっと出てきて(笑)、岩田(匡治)君とかも。ボーステックの「コロニー」がごそっとやって来た(笑)。

鶴見:やっぱり、ネットに拠点があると、人が集まりやすかったんですよね。

細江:誰でもいいワケじゃなかったけどね。

鶴見:ジェネラル・プロデューサー・細江慎治のお眼鏡に叶った方々が、続々と集結していった、と(笑)。
──この「Game Over」とか凄かったですよね。作曲クレジットを見ると、あらまあこんな方々が…。

細江:当時の第一線の人、てんこ盛りです。

鶴見:もうちょっと、主要なアルバムをいくつかナナメ見してみますと…。
「TOURS」の、有名イラストレーターの絵と曲のコラボレーションなんて、今なら当たり前だけど、当時の、同人でそれをやったのって、発想が図抜けてますよね。

細江:制作費が鬼のようにかかったけどね(笑)。

鶴見:そして「KAKI-N(カキーン)」ですよ。「まにきゅあ団のテーマ」も収録されている、歴史的なアルバム。

細江:最初に「まにきゅあ団」のシングルを作って配ったんだけど、それで色んな物や人が引っ張れた。

鶴見:通し番号入りのシングルですね。1~5番は団員が持っていて、番号が若いほどファンとして威張れるという(笑)。ちなみに自分のは13番…あんま威張れませんね(笑)。
──あ、「Troubadour」に、畑亜貴さんの名前を発見! 今では「冒険でしょでしょ」や「もってけ!セーラー服」なんかでむちゃむちゃな売れっ子ですけど、あの人も当時はむちゃむちゃインディーズ活動してた人ですよね。

細江:今も今も。

鶴見:あんなに売れっ子なのに…細江さんと同類ですね(笑)。
そして、まにきゅあ団のヴォーカルでもある、江幡育子(まひまひ)。彼女だって、ちょっとブレークしたら畑亜貴さんですよね(笑)。

細江:(汗)。

#トルバドール・レコードCD
#「Be Filled with feeling」「Game Over」「Tours」「Troubadour」

ライブ~まにきゅあ団、OMY


細江:トルバにゲーム音楽系の人が集まったは、大野(善寛)さんの力だったところが結構あるな。ライヴイベントがあって、皆んな会う機会が出来た。

鶴見:ありましたよね、ゲームミュージックのライヴ! 確かに社交パーティみたいに、皆んな挨拶してしましたね!

細江:ナムコは当時絡んでなかったけど。

鶴見:でも、細江慎治は常にいて、人脈を構築していた(笑)。

細江:ナムコは、サウンドの人数不足で、ライヴどころじゃなかったから。

鶴見:ずいぶん昔には、ナムコ主催の「クリスマスコンサート」で出演してましたけどね。Beepのソノシートにライヴ音源が収録されてましたっけ。小沢純子さんか誰かに「めがてん坊や」って紹介されてましたよね(笑)。

細江:(クリスマスコンサートの)チャリティオークションで大人げない入札する奴とかいたよね(笑)。

鶴見:子供が「100円!」「200円!」って云ってる中、一声「5千円!」って奴が(笑)。後で、販促の人に「そういうのは止めてください」って云われたり…って、俺か!?(笑)

(一同爆笑)

鶴見:ナムコ自体はあまりライヴをやりませんでしたが、細江さんは、トルバ系バンドでライヴをずいぶんやりましたよね。「まにきゅあ団」とか「OMY」とか!

細江:すごい大変だったね。

鶴見:尋常じゃない勢いですよ。OMY~オリエンタル・マグネティック・イエローは、ずいぶんと注目されましたよね? 「週刊SPA!」のグラビアにも掲載されたり…ポニーキャニオンからも再販されたり! メジャーで再販されるなんて、インディーズとしては「あがり」じゃないですか。

細江:話によると、再販されたのも万枚超えたって云ってたから。

鶴見:ライヴも!

細江:渋谷ON AIRの、WESTで1回、EASTで1回。

鶴見:まにきゅあ団もそうだったけど、ちゃんとハコ(ライヴハウスやホール)のキャパシティ一杯に、お客さんが来てましたよね。

普通、インディーズバンドの初期って、ライヴには身内が来るだけで、客席は閑散としてるじゃないですか。それが、ファーストライヴからすごく客が来て。あれなら、日本青年館クラスはイケると思ってましたヨ。

細江:ちょうどいい(キャパの)ハコが無くなったんで、止めちゃったんだよね。キャパ的に大丈夫なリキッドルームとかだと、値段の差が…使用料が一気に上がっちゃうから。

鶴見:今、「同窓会ライヴ」とかやったら、チケットが高くても来るんじゃないですか? 客の年齢が上がって、お金に余裕がありますから(笑)。

細江:そうね。オトナ価格で(笑)。

鶴見:で、OMYのメンバーがWEBで声明を出しちゃうワケですよ。「このチケット価格は、僕たちが意図するものじゃない」「このバカ高いCDは、僕たちが意図していない商品だ」みたいな。でもファンは皆んな買うの(笑)。

細江:文句を云いながらも、結局買うんじゃん、みたいな(笑)。

鶴見:という意味でも、このプレゼント(Tシャツ)は素晴らしいですね! OMYを知ってる人間にも刺さるし、YMOを知ってる人間もきっとパロディとしての価値を認めてくれますよ。

細江:緑色の「テクノデリュック」ってのもあったね(笑)。

ナムコを退社してアリカへ


鶴見:さて、そんな感じで社内外の活動を両立させていた細江慎治が、ある時、突然ナムコをやめてしまうワケですが…ぶっちゃけ、何故やめたんですか? 色んな雑誌のインタビューで「なんとなく」みたいに書かれていたのを読みましたが、確か、私が当時、直接聞いたのは「偉くなれ」と云われたけど…ってな話だったような?

細江:いくつか理由があって…いちばん基になってる理由が、「給料が頭打ちで、そこから下がりますよ」って宣告を受けたこと。そこからは、役(職)が付かないと、給料が上がらないで、下がる。当時のシステムだと、だけど。

鶴見:昔は、大きな会社だとそういう古い「昇級システム」でしたよね。現場に居続けられない。

細江:で、上司に「仕事やるな」と。ちゃんとローテーション通りにアサインされた仕事以外はダメ、と。その仕事も、無駄に人が多くなっていたから、一人当たりは著しく少ない量で。

鶴見:通常からはみ出して実績を残してきた人間に、「はみ出すな」「型にはまれ」ってことですよね。

細江:でも「やるな」はないよなあ…。
──で、ナムコに10年居たし…もういいかなあ、と。

鶴見:給料が上がらなくても、同じような面白い仕事を、同じようにバリバリとさせてくれてたら、特に辞めようとは思わなかったワケですよね。

細江:うん。それが原因だから、先をどうするかってのは考えてなかった。

鶴見:その頃、トルバのCDは、食っていけるぐらい売れてたんですか?

細江:いえいえ、そんなには儲からないよ!

鶴見:じゃあ、ナムコという看板が無くても食えるだけの自信が出来ていたとか?

細江:そこまで深くは考えていなかった。残念ながら(笑)。ギリギリまで3択あって、「どっか大っきトコロに転職する」か、「フリーになる」か…もう一つが「アリカって会社を作るから、来ない?」って云われて。

鶴見:それは誰に云われたワケですか?

細江:堀(崇真)ちゃんと、三原(一郎)。大阪で。

鶴見:ちょっと説明しておくと、堀ちゃんというのは遊び仲間で、タイトーからカプコンへ行ったプログラマ。そして三原というのは、タイトー、カプコン、スクウェア近辺で「暗躍」というパブリックイメージを好む男です(笑)。

細江:誘われた時は、ハイハイとは云わなくて、まあフリーかなあ…と思ってたんだけど、意外とフトコロに貯金が無く、そんな時に家賃の更新が来ちゃって(笑)。

鶴見:三原一郎の暗躍か!?(笑)

細江:アリカは引っ越し代も出してくれるっていうから。おーし、ちょうどいい、アリカに行こう、と。

鶴見:今のポーズ、むちゃむちゃ「やる夫」っぽいですね。これ以上ないグッドタイミングだったってのが分かりますよ(笑)。「答:アリカ」みたいな。カメラマンさん、お願いします!(笑)

(一同爆笑)

次回は、ナムコを出た細江氏が、さらに活動の範囲を広げていく話になります。お楽しみに!

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