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4|鶴見の建築群に注目せよ

伊藤憲吾建築設計事務所の伊藤です。ご機嫌如何ですか?今日は建築の話を書きたいと思います。お手すきな時にお付き合いください。

佐伯市鶴見での「贐(はなむけ)プロジェクト」は、じっくりと時間をかけて検討されています。未来のことを考える必要な時間です。そして当然ですが、いま考えている時間以上の歴史があります。当事者でもない自分は、そのすべてを知る事は出来ないし、わかったような顔も出来ません。出来ることは過去を受け入れて、今を知って、未来を考えることです。

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建築は過去を知る一つの要素になります。今から30年ほど前に全国各地の建築に国のお金が動いたと聞きました。地方の時代と言われ始めた頃でしょうか。鶴見にも様々な建築が生れることになりました。歴史文化を知る場所としての建築、美しい景観を見るための建築、どれも「人に来てほしい!知ってほしい!」と考えて行われた建築行為です。

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「鶴御崎燈台(つるみさきとうだい)」は船の道標としての灯りをともす機能を今でも持ちます。九州の最東端にあり、四国と九州に挟まれた豊後水道を通る多くの船の為に灯します。そして戦争時には瀬戸内海に敵国が侵入することを防ぐための重要な見張りの位置でもありました。灯台にはその戦争遺構が残っています。30年ほど前に地元佐伯市出身の建築家である青木茂さんが、資料館として改修設計をされています。現在は資料館としての機能を失い、今後の活用が待たれている状況です。

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灯台の後ろ側には展望台がつくられました。戦争遺構と交錯するように構造体があります。この改修設計は大分県を牽引した建築家の山口隆史さん(故人)によるものです。もうご本人から話は聞けませんが、私が思うには、戦争遺構という負の遺産に対し、新しい時代が否定も肯定もせず享受している姿を造りたかったのではないかと思います。時代が交錯した状況が、さらに時間を経て植物に侵食される姿に、今を生きる自分たちはどうあるべきか?と想いが巡ります。

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(こういう望遠鏡って懐かしいですよね。壊れてましたけど。)

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灯台から近いところに「鶴御崎 展望ブリッジ」があります。天空の展望台とも呼ばれ、まるで空中に浮いてるかのような錯覚をする展望台です。夜は満天の星空の中にいるような感じになります。とても素敵な場所です。映えます。

ここの設計も山口隆史さんによるものです。建築関係者なら知っている権威ある建築専門誌「GA」の創刊号にも掲載されています。建設当初は手摺がステンレスではなくガラスだったようで、かなりの爽快感だったようです。台風か何かで破損した際にステンレスの手すりになったそうですが、当時の現場監督さんが「これはガラスでなければ意味が無いんだ」と強く意見をしたエピソードを聞きました。いつの日か当初の設計意図のようにガラスに戻ることを期待したいです。

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そしてここも戦争遺構となります。灯台の立地と同じく見張り台としての機能があったようです。身をひそめるために半分地中に埋まった構造体があります。


鶴見には他にも多くの注目すべき建築が群としてあります。これらを私は勝手に「鶴見近代建築群」として呼んでいます。戦争の歴史だけではなく、近代~現代建築としても価値の高い存在だと思っています。お名前を出させていただいた建築家のお二人は、その後も高い功績を得ています。30年前の当時に地元の建築家を起用した人選眼の高さも伺えます。大分県の建築文化としても大切な時期だったと思います。
群として何らかの認定をしてほしいものです。


戦争の歴史というのは悲しいものです。それらを知る事で反省をしたり、二度と繰り返さない気持ちを生みます。しかし、悲惨さや悲しさを訴えるだけでは前に進まないこともあります。ここには前に進もうとした痕もあります。それを「次」につなげるための「今」があります。そのための贐プロジェクトです。今を生きる私たちはどう在るべきでしょうか?未来は?大切なことに向き合えるプロジェクトになっています。


次回は丹賀砲台に触れたいと思います。

以上、伊藤でした!