本質を考える ー電池技術の本質ー

こんにちは
材料技術者のつんたです。
ビジネスに通じる本質を考える、という試みでいくつかの記事を作ってみたいと思います。

この回は、電池技術についてです。


背景、ことの起こり

自動車業界は空前のEVブームが到来し、バッテリー確保の激しい競争が起こっています。2022年あたりから、急激に勢力を伸ばした、テスラモーターと中国BYDは、電池技術と充電技術であっという間に世界を席巻しました。2024年に入り、以前から言われていた電池供給の壁にぶちあたり、EV祭りはやや沈静化の動きを見せていますが、長期視点で言えばEV化は進んでいくことでしょう。

自動車用のバッテリーは、自動車のような大きなものを動かすために、とても大きな電力容量を持っています。かつて、これほど大きな電池は世の中にありませんでしたし、これを大量に準備することがどれほど大変なことかは、机上で考えられていたよりも、ずっとずっと大変だったようです。

そこに目をつけて、いち早くバッテリーを囲い込んだ中国のBYDはなかなか見どころがありますよね。ビジネスに関するスピード感もあり、大型電池をしかも大量に確保することで市場を支配する考え方は、アマゾンが物流でEC市場を席巻した時によく似ています。

では、電池を支配するとは、どういう意味があるのでしょうか?

電池の歴史

世界で初めて生まれた電池は、ボルタ電池であると理科の教科書で学びます。ボルタとは科学者の名前で、電圧の単位であるボルト(V)は彼の名前にちなんで決められました。彼の考案した電池は、電解質に2つの電極を差すもので、現在の化学電池はすべてボルタの発明した電池の応用です。

化学電池とは、マンガン乾電池、アルカリ乾電池、ニッケルカドミウム充電池、ニッケル水素充電池、リチウムイオン充電池など、おなじみの電池のほとんどすべてを指します。電解質と電極の化学反応によって起電力を生み出す装置で、これらの電池はすべてボルタの発明した電池の電解質や電極をいろいろと入れ替えただけのものです。

1.5Vのマンガン乾電池は、50年以上も前に広く家庭に普及し、ラジオや玩具など多くのものを、電源プラグなしで動かすことができる画期的なものでした。電解液を密閉し、小型化して小さな装置の中に埋め込むことができるようにしただけでなく、交換式にして長い間電気製品が使えるようになったわけです。

しかしながら、電池の供給できる電力には限りがあり、古くはラジカセ、ウォークマン、最近ではPCやスマートフォンに搭載されていますが、これらはとても小さく、基本的な機能は情報端末です。掃除機や冷蔵庫などは、よほど小さいもの以外、電源プラグが使われます。

乾電池で動かすことのできるもの

乾電池がもたらすことのできるものは、上記の通りその多くが情報端末です。情報端末とは、音を鳴らしたり、文字を表示したり、または音声や映像や文字情報を送信したりする装置のことです。すごいスピードで走ったり、大きなものを運んだり、発熱してお湯を沸かしたり、そういうことはできません。

情報というものは、伝わればよいだけで、それ自身がなにか動く必要はありません。ちょびっとだけ、ピカっと光ればいいわけです。
そういうことで、コンピュータのCPUになっている半導体素子や集積回路では、1つの信号を伝えるために、いかに電線を細くして、短い時間に微小な電流とするかを競い合ってきました。それにより、コンピュータは格段の進化を遂げ、初期のコンピュータとは比べ物にならないほど省電力化は進みました。
省電力化が進んだというと聞こえはいいですが、もともと電力は必要がなかっただけで、無駄に太い電線を細く短くしたというにすぎません。

話をEVに戻すと、自動車を動かすというのは、このような情報端末に何か文字を表示することとは本質に異なる、ということが分かります。

つまり、単に情報として伝わればよいだけではなく、実際にモノを動かすためのエネルギーとして電池を使うわけですから、どれだけたくさんのエネルギーを運ぶことができるかが、重要なわけです。

これまでの乾電池は、信号を伝える、いわばトリガーでしたが、自動車用の電池はエネルギーそのものを運ぶ、エネルギーキャリアなのです。


電力を運ぶ仕組み

さて、これまでロボットや冷蔵庫や掃除機など、大きな電力が必要なものは、すべからくプラグによって、コンセントから電源をもらっていました。つまり有線で電力を供給していたわけです。

電気を運ぶということは、実は長らく電線の役割でした。
実は、というほどのことでもないですね。
大電力の送電線は、山奥の水力発電所や、海岸沿いの火力発電所から、全国津々浦々に電力を送電しています。
EVの電池ができるはるか昔から、大きな電力を運ぶ仕組みはあったわけです。この電線を利用して、列車やトロリーバスといった乗り物も作られました。常に電線から電力の供給を受けることで、大きな乗り物を動かすことも、それこそ何十年も前からやってきていることです。

つまり、EVのもつ大型の電池は、電線の代わりである。ということです。

電線から解放されることは、かつて情報端末が電線から解放されて、とても便利になったことから分かるように、とてつもない利便性を生み出します。

大型の電池は、大電力を必要とする大型の機械を電線から解放する意味を持ちます。言い方を変えましょう。

大電力を必要とする大型の機械の利便性を大きく向上させるためには、電線から解放することが必要である。その方法の1つが大きな電池である。

方法の1つ
そういう言い方をしました。
そうです、EVで取り合いになっている大型の電池は、あくまで方法の1つなのです。

では、電力を街のどこにいても自由に使えるためには、どんなものが考えられるでしょうか。

例えば、ありとあらゆる電柱にコンセントがあればいいかもしれません。
例えば、すべての道路に列車の線路よろしく電線が張られていればよいかもしれません。

現在、市街地では、路上であったり、地下であったり、あらゆる場所に送電線が張られています。これによって、すべての住居、すべての建物にすべからく電力が供給されているのです。

つまり、これらの電線から直接電力をもらうことができれば、電池など積む必要がない。ということになるでしょう。
なぜなら、電池はあくまで手段の1つなのですから。


自動車用の大電力電池の本質とは

ここまでの話で分かった通り、大電力の電池は動力を持つような大型の機械を電線の束縛から解放するための道具の1つでした。

しかし、街にはあらゆるところに、すでに電線が張り巡らされており、電車のようにその電線から電気をもらうことができれば、全国どこに行っても電池なしで電力を受けることができるのです。

また、マイクロ波による無線送電技術というものもあります。
動力にできるような大きな電力を無線で送電する技術です。
このアイデアも古く、今から35年も前に発売されたシムシティという都市育成ゲームには、すでにマイクロ波による送電システムをゲーム中の町に作ることができました。
現在ではJAXAなどが研究を進めている技術です。

また、無線送電の中には誘導電流を用いるものもあります。携帯電話の非接触充電がそれにあたります。このアイデアも古く、やはり35年前のTVゲームタイトルであるF‐ZEROの中に、自動車の非接触充電のアイデアが登場しています。

EV向けの電池を奪いあったり、より効率的に電池を作る技術を開発したり、また電池のエネルギー密度を上げるための研究をしたりして、どの電池技術が勝つかという争いをしており、全固体電池がゴールであるような報道もあります。
しかし、そういうことではなく、電池技術と、市中の電線から電力を引き出す技術と、無線送電の技術は競合の技術なのです。

テスラモーターが大きなシェアを得た背景には、充電設備を自社予算で北米全土に設置したことも1つの要因であるといわれています。
電池開発をした上に、それだけのインフラを準備することができるのであれば、もしかしたら道路に充電用の架線やレールを敷くことの方が、ずっと容易だったかもしれません。

電池を確保すれば来るべきEV時代を席巻できるというのは、BYDやテスラモーターの出現で、多くの人が信じそうになっていますし、大手自動車メーカーもそう考えているようですが、結局最後に勝つEVは、巨大電池を積んだ自動車ではないのかもしれません。

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