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好きな歌を読み習う 1227字

昔の和歌、つまり古語の短歌は
難しいですけれども、
引き換えにして
その言葉の持つ音感や
一首の流れに風流や
内容に加えて字、言葉そのものから
詩情を感じさせてくれるメリットが
あるように思われます。

私もまだまだ勉強中なのですけれども、
昔の言葉を使えば歌が良くなるかと
申しますと、そうは言い切れなくて、
現代の短歌もすてきな歌の
いっぱい読める機会に出会えたりします。

歌の奥行きを知っておく、という意味で
和歌に習っておくのも悪くない、
という訳で、まずは
私の気に入っている物をご紹介
したいと思います。

特にこの記事で主張したいことは
ございません。

ただ、目にする機会となれば
という思いだけです。

いくつか、挙げてみます。
日常漢字に直して掲載しています。

新古今和歌集より

春の部

古郷の花のさかりは過ぎぬれど面影さらぬ春の空哉

大納言経信

ふるさとのはなのさかりはすぎぬれど
おもかげさらぬはるのそらかな

と読むでしょうか。

ふるさと、を古郷と記すのも
風流、古風な表現にまず感じ入ります。

遠い場所でしょうか。
思い遣っているかもしれません。

過ぎぬれど

過ぎたけれど、くらいの意味でしょうか。
「ぬ」はおよそ完了形。
大体過去の事を詠まれたと踏みまして、
つづいて「れど」ですので、
逆説となり、
だけど、くらいの意味合いと
ざっくり解釈します。
大体「れど」は多く詠まれますし、
おおよそ「だけど」くらいに
私は読んでいます。

大まかに1首に向き合う姿勢です。

面影さらぬ春の空哉

「さらぬ」は、多分「去らぬ」
と読みたい。
去る、を否定する「ぬ」と読みますのも、
昔の和歌ではよく出て来る
パターン化した詠みぶりと思う次第です。

理屈より、
「去らず」
「遊ばず」
「足らず」
などのように読み慣れてゆくのが、
身に着きやすいと判断しています。

もっとも、自分の気に入っている歌で
構わないと思う次第です。

「去らぬ」と「ぬ」にしているのは、
連体形かな、あとに続ける言葉の
つなぎとして、「ず」でなく
「ぬ」としているのでしょう。

去らぬ影
遊ばぬ子
厭わぬ気

などのように。

ここでは
「さらぬ春」と「春」に
どうやら掛かるようです。

全体の大まかな意味として
読みますと、

遠い故郷の桜の盛りは過ぎたけれども、
ここより見える春の空を見ていると
あの時見た面影がいつまでも去らぬことよ。

くらいに勝手に解釈しました次第です。
ここまで書きます次第ですので、
私のお気に入りの一首です。

☆彡

せめて五首くらいはご紹介したかったの
ですけれども、
ともかく沢山お読みになられて、
お気に入りの歌、そして
昔のパターン化した詠みぶりに
体を馴染ませるのも一興かもしれません。

いろいろ語ってしまいましたけれども、
現代短歌を詠む上でも、
古語の和歌を読むのも楽しいものと
思いまして、書かせていただきました。

これも一つの読み物として
流して下さりますと幸いです。

良い歌はシンプルな物が多いです。
古語もそんなに凝った表現を
使わずともいい歌を詠めると、
歴史も語っている、
そんな気がしております次第です。

つる 拝

(追記)

私も戯れに一首詠んでみます。

あの空につづくと思えわがこころ此の地の花はよく咲きませり

お着物を買うための、 資金とさせていただきます。