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短歌ミニコラム(1051字)

雨去りてまた水の音あらはるるしづかなる世の山の秋かな

第四集『恋衣』より

与謝野晶子の歌。
私の一番好きな歌。

こんな歌も。

柔肌の熱き血潮に触れもみで悲しからずや道を説く君

第一歌集『みだれ髪』より

詳細はあえて説明しないけれども、
最近の歌だと、
昨日先輩が詠まれた一首中の、

二月の扉が開いて

という一節、表現にとても感動したのを憶えている。
短歌の純粋なところの見えた瞬間だった。

読みの『幅』というものもあるような
気がしている。

良い、好き、と思える歌を増やす努力も
したい昨今。
自分の幸福感が増えるから。
好きな物が多い方が一生を楽しむ時間も
増えるように思うから。

本を読むのは良い、とは聞くけど、
短歌も色々触れた(読んだ)方が
良いかも知れない。

父の忌は子どもの日なり息子とは息をしている子として我は

上手く詠めただろうか。拙歌で恐縮。

最近、図書館で俵万智さんの最新歌集
『アボガドの種』を借りて読んだ。
今の俵さんの詠みぶりに興味があったから。

俵節、とでも呼びたくなる、
相変わらずの名調子を楽しんだ。
成人になられた息子さんのことを
詠まれた歌が特に好きだ。
私は著作権に疎いので、ここでは
引用を控えます。

私感だけれども、短歌は
一度その世界に入ってみないと
その『感じ』は分からないような気が
されます。

私はまだまだだけど、
あるいはどの世界もそうかも知れない。
外から見ているだけでは、
なかなか腑に落ちないかも知れない。

読むだけでなく、詠むもしますと、
名歌にせよ、より歌の手触りを
感じ取れる気のされます。

読むからには、あるいは読まれるからには
メリットのある方が良い気もされるけれども、
特にそれにこだわらないで、
気楽に続けたい。note の話。

結論はほぼ書いたつもりでいるけど、
千字までは書きたいのでもう少し。

忌のついで、というと悪い気もするけど、
私のいとこは30で自ら命を絶った。
同い年だったので、
私は彼より20年以上生きている。

ときどき彼の写真を見るたびに、
自分の年齢を重ねていることに
気が付く思いがする。

自ら命を絶つとは、どういう心境なのか
図りかねるけれども、
写真に映る彼の笑顔は活き活きとしている。
辛すぎても人生はもたないかも知れない。

どこで生きている、と言えるのだろう。
いつを生きていると言えるのだろう。

遊んだり、働いたりなどして、
その答えの周辺をうろつくしかないだろうか。
私は短歌にも、そういう思いです。

考えるより詠むに努めてみます。

ときどきはお外に出して鉢植えのマーガレットは葉っぱが元気

お花も歌も、咲かせたいものだ。

つる かく

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