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エッセイ『分かち合う』(1243字)

いろんな関わりの中で
生きていくという現実。

50歳になって、
私はますます意識するように
なった。

人の話を聞くという行為は、
多かれ少なかれ、
もうすでにその気持ちを
分かち合っていることに
気が付いたのだった。

だから、相手に
「分かち合ってるよ。」と
伝えてみた。

そうすると感謝されたのだった。

話を聞いて欲しい人は、
およそ自分の事に夢中なので、
こちらの気持ちや都合に
気づかないことが多い気がする。

こちらは内心で
傷ついたりしていることもあったり。

かく言う私も、
自分の話をする時、
相手の心が見えていないことが
多いと思う。

知らぬ内に、困らせたり、
迷惑に思われたり、
気を遣わせたり。

それも、
相手が私の気持ちを
分かち合ってくれている故なのだと
思って感謝しなければと思っている。

話が逸れるけれども、
数年前の短歌雑誌内で、
大御所の歌人が
当時人気の歌人と対談をしていて、

「これからの短歌は、
苦いことしか言わなくなるでしょうね。」
と仰って、
相手も、そうですねと相槌を
打っていたことを思い出す。

私の通った地元の短歌クラブや、
歌友が発行している短歌会報誌で
読む歌も、
悲しみを詠って、
苦い後味を残すものが多い。

note などで、
私より若年層と思われる歌は、
自己の発散として詠まれているケースの
多く感じられて、
これも苦い感触を覚える。

31音は、短いようで長いので、
思わず、トーンが落ちがちなのだと
思っている。

名人になると、
そういう詠みぶりに待ったを掛けて、
歌の中で、挽回する。

例えば、塚元邦雄の歌、

いふほどもなき夕映にあしひきの
山川呉服店かがやきつ

創作とは、気持ち的に
その作品中で革命を起こすのが、
核心だろうか。

私などは、
いふほどもなき夕映えで、落ちたまま
一首を詠み下してしまうだろう。

愚痴っぽい歌に、
なりがちな所には
気を付けたいと思ったりする。

note は創作の場として
提供してくれている所が
多々あるので、
自己アピールしたい私には
居心地の良い場所だ。

というより、
人さまのことを顧みなければ、
都合の良い場所、と言った方が
いいかも知れない。
自己承認欲求とはよく言ったものだ。

分かち合ってくれている人の
いかに多いことかも想像する。

それでしんどくなって、
距離を置く方も多いだろう。

単純な私、
相手の気遣いに救われていると思う。

つらつら書いてきたけれど、
ありがとうを言わなければ。

この文章もまた、
読まれることで
気持ちを分かち合ってくれている
のだろう、きっと。

だから、反発や抵抗心なども
生まれるかもしれない。

悪しからずです。

多分、大元に愛があるからこそ
生まれるいろんな感想が
あるだろうと思われる。

私自身は、意思を強く持ちたいと
思う。

相手の話も、分かち合いつつも、
聞き流す利口さも身に付けたい。
自分も大事にしなきゃね。

個人的には、
穏やかな交流を求めて、
ここで活動を続けられたらと
思います。

ここまで書いてなのだけど、
文章を書くって難しいですね。
上手く素直な気持ちを伝えるのが
難しいです。

『分かち合う』をテーマに
書いてみたつもりです。

つる かく🍂

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