私がマニュキュアを塗り直す時
こんにちは。美憶(みおく)です。
今日は私のことを少しだけ書こうと思います。
私は、学生の頃から随分と長い間ジェルネイルをしていた。月に2回ほど、都内のサロンで施術してもらうのが私の日課であった。爪をジェルで固めると自爪が頑丈になり、何もしないままの爪でいるよりも生活しやすいと感じていた。ジェルネイルをしていると爪の表面がツヤツヤとして見栄えも良いし、マニュキュアよりも持ちがよく、手入れも簡単なのが私にはよかった。そして、気軽に爪の形、色やデザインも自分の好みに変えられるのも良い。ネイルアートは、まさにお姫様に憧れてた幼少期の頃の私が夢見ていたような世界だった。ネイルの上に載せるものは、当然ながらキラキラと光る「可愛いもの」(または美しいもの)だった。私にとって、ネイルアートというものは非現実的な可愛くて美しい宝石を体の一部に装飾することが出来るというものとして捉えていた。なので、私にとって美しいネイルアートをすることは政治家が駅前の理想ばかりの言葉を並べた選挙演説を聞くよりも、ずっと素晴らしいことに思えた。
つまり、ジェルネイルは気軽に私の変身願望を叶えてくれる唯一の手段といえた。手元が華やかだと自然と心まで明るくなった。
しかし、それもある時を境にサロンに通うことをすっかり辞めてしまった。あれは、1回目の緊急事態宣言の時だ。行きつけのサロンが都の要請を受けて休業を余儀なくされたのだ。元々、ネイルサロンは人と接触する機会が多いし、施術時間もそんなに短くない。そのため感染リスクが高いということで当面の間休業とのことだった。したがって、私の日課も半強制的にお休みせざるおえなくなった。
※もちろん、現在は対策をとられて安全に運営されていることだろう。ただ今と当時とは緊迫感が違った。
私はサロンで買ったジェルネイルオフキットを使ってジェルネイルも外すことにした。ネイルサロンが休業してしまい、次いつ行けるかわからない。このままネイルを伸ばし続けるのは爪に負担が掛かってしまうので自分で取ってしまおうと思った。私は、何年もサロンでジェルネイルの施術の工程を見てきたので、自分でジェルネイルをオフするのは容易かった。
久しぶりの自爪に戻ってみると意外と悪くないと思った。「鎧」を脱いだ時の開放感というものだろうか。なにも纏っていないそのままの爪の軽さに驚いた。真っ白な自分の爪をみると、長い間ジェルネイルをしていたせいで自分の爪の状態は弱っていた。良い機会だから、自分の爪を労わることにした。ファイルと呼ばれる複数の「爪やすり」で爪の長さと形を整えて、甘皮の処理のみしてしばらくの間は自爪で生活することにした。
あらためて、「鎧」を脱いだ無防備な自分の爪を見てみる。自分の爪の形は丸みを帯びていて、父親の爪の形に似ていると思った。爪はやすりをあてれば色んな形に変えることができるけれど、元々の爪の形は自分でどうこうすることはできない。ようは遺伝の類いだ。こんな些細なところまで、親に似るのだなと不思議に思った。
いつだったか、自分の丸くてコロコロとしていた石ころみたいな爪の形が好きではないと馴染みのネイリストのお姉さんに言ったことがあった。すると、お姉さんは「綺麗な形で、とっても可愛いらしいですよ」と言った。ありのままの自爪の形を褒められることなんて今までなかったからお世辞であっても嬉しかったが、妙に気恥ずかしく思った。
ネイリストのお姉さんは私の石ころのような丸い爪を貴重な宝石を磨くように大事そうに扱ってくれた。施術をしてくれるネイリストのお姉さんの指の上に並ぶネイルは、私のとは対照的に水晶のようにすらっとしていて美しかった。
それから少し経って、自爪も良好な状態に戻ったので、思い切ってマニュキュアをつかってセルフネイルを楽しむことにした。馴染みのネイリストさんからセルフネイルのコツを聞いていたので、それを参考に行うことにした。10本の指の上に色を載せる作業は思った以上に楽しかった。まるで筆で真っ白なキャンバスに絵を描く時のような気持ちだ。私は、無心になり、好きな色を選んで爪という小さなキャンバスに色を描いていく。
もう私はお姫様になれないけれど、毎夜私は自分のためだけに自分の爪を磨きその上に好きな色を塗り直す。
ただ、それだけの行為が私にとっては日常から解放される瞬間なのだ。
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