見出し画像

徒然なる思いの記録 - 43 - vol.97 - 引っ越しについて

97日目。

書き残した!?ことを書いておこうということで。多分私自身を形成している一つの要素、引越について。一度は整理してどこかに記録しておきたいと思っていたので、この場を借りて。

0歳:福岡母実家で生まれる

0歳2?3ヶ月:長崎市内父実家(割と中心地)に。父方祖父母と同居。

2歳:長崎市内(の郊外)に引越、家族3人の生活→弟すぐ生まれて4人の生活。ただし父は6-7歳位から海外いっちゃって単身赴任。

10歳(小5):父海外にて不在のまま、父親の所属先変更に伴い東京中野区に3人で引越。社宅。ザ・昭和なザ・アパート。ギャップ凄かった。

13歳?中二位?:新宿区の社宅に変更。社宅は会社事情により引越を数年単位で強いられる。旗本屋敷発掘所の隣。四谷皿屋敷なんかも徒歩圏内な。正直、正直、土地の怨霊的なものが感じられる場所だった。歴史の空気が濃すぎる江戸な場所。便利ではあったけど、正直もうあまり住みたくはない。

18歳?大学1年目:また社宅を出なくならなくなり。私は都内郊外の大学に入ったこともあり、一人暮らししても良いかもと思ってたんだけど。色々あって結局新築社宅に引越。高層マンションタイプ最上階!じとっとした新宿の雰囲気から解き放され、ザ・都会な学生生活を満喫。渋谷から歩いて帰れたし!バイト三昧夜遊び三昧。

因みにこの間、バンクーバーに2ヶ月語学留学(その際に引越。。。帰宅時知らない!?新居に戻る。。。)に、1年間のオーストラリア留学含む。少なくともオースへの1年は引越に数えて良いのかな???ブリスベンでは学生向けシェアハウスー5人だか6人だか。最初は女子4名だったのに、気づいたら最後女子1名になった。(おかげで女子用と暗黙の了解で2つあるシャワールームの1つをほぼ1人で使えた。)パプアニューギニアからのブラック2名と同居にて、色々カルチャーショックはやっぱり受ける。(冷蔵庫を使う習慣がほんとにない、掃除の仕方、ハッパの文化、パーティ模様等。)

22歳?23歳?社会人2年目位?:また社宅を出るタイミング。社会人にもなったし今度こそ一人暮らし、、、と思いつつ。ようやく両親が都内で家を買う決意をし、東京で新築戸建て生活一度はしてもらいたいわーって甘えてまだ実家生活のまま、引越。引き続きピチピチ社会人、ザ・トーキョー生活満喫。

27歳?:香港に1年駐在、まともに引越会社も手配頂いて、引越。実質初!?の一人暮らし!最高の日々、乱れた一人暮らし生活笑、飲み三昧、人がうちに来て遊びまくり、の忘れられない日々。でも料理もここでほんっとに少しだったらできるようになったような。

29歳?香港帰宅後、一旦自宅戻ったけど、もうさすがに実家生活には完全には戻れない体質に(笑)でも実家が便利な場所すぎて1年弱うだうだしたけど、結局実家から徒歩3分のザ・昭和アゲイン、でも今度はザ・マンションに引越、都内一人暮らしようやく!

30歳:色々あって結婚。一人暮らし1年前後ですぐ終了。2年契約だった契約は弟に引き継ぎ(=今度は弟が初一人暮らし、更にその1年後弟も結婚という。結果的に結婚引き寄せマンションだった。)目黒と品川の境のまたまた最高の立地にて新婚生活。ここで長男産まれる。当初はもちろん配偶者(一人暮らし歴10年強)の方が料理上手でした。が、やっぱり慣れるものねー。

31歳?32歳?:長男産まれるのを契機に中古マンション購入決意ーってか長男出産1週間後に無理やり内覧連れていかれ、ぼーっとした体調のまま決めてしまった感じ。私の実家から徒歩15分強をほぼフルリフォーム!おかげで会社復帰後は最大限実家に頼る日々。因みに3.11震災時も、奇跡的に実家の母と直後に電話繋がったおかげで(←1回だけ、その後はやはり都内での接続はほぼ不通にーなので大阪出張中だった配偶者経由で連絡とりあった)、長男@保育園はすぐ実家母が引き取りってくれて本当に助かった(私は勿論混乱に巻き込まれてそれでもなんとか22時に帰宅、父はその日会社泊まりを強いられた記憶。)この家の時に次男出産。

35歳?:色々あってオースに住むことになり、結局マンション売った、早すぎた!買った値段と同じ額で売れたんだけど、すなわちリフォーム代を遊んでしまった感じねーなんか色々ごめんなさい(特に若干援助頂いた両親、義両親。)ブリスベンでの家探しは最初の1週間、真夏の灼熱下で事情も分からない新参者、しかも子供連れ、地獄だったわー。でもまあ条件の良いおうちに出会えて1年半!しかし引越作業も大変だった、特に日本→一旦配偶者実家(→オース)。配偶者実家、が一番、大変だった。察して、姑。。。

37歳かな?:オランダに引越!その前に一度日本に2か月帰国したので、2回引越した気分。(また配偶者実家。前回の経験値でレベルアップできていたので、1回目よりは大変ではなかった。)日本最初に出た時ほどきつくはなかった気がする。荷物をだいぶ減らせていたこと、書籍便+船便+航空便を使いこなせたこと等等。業者使わない引越にも慣れてきた。

んで昨年、オランダ内で引越。

というわけで単純に計算して42年間で13回引越!平均で3-4年毎ってことね。確かに。なので結果的に、私のこれまでの生涯で一番長く暮らしたのは、子供時代の長崎の家についで、なんとオランダ内の1軒目のマンションが2番目という!割と目まぐるしいよね、これ。この移動回数の多さこそ、私のある一定の部分を間違いなく形づくっていると思うーこの落ち着きのなさ(笑)決して転勤族ではなかったくせに、ていうのがちょっと人と異なる点かな。大きく土地をまたいだ引越だけで言うと、長崎→東京→ブリスベン→東京→香港→東京→ブリスベン→オランダ、かな。8回ー十分多いか!

反面配偶者の実家に関していえば、下手すりゃ戦前?レベルからその土地に根付いて暮していらっしゃるタイプ。義理の父親なんて長男だから、建て替えで一時期別の家だった時期を除いたら一度も引っ越ししたことないんじゃないかな。もうその時点で、やっぱり考え方とか物事への取り組み方とか、意識が少し違ってる感じは否めない。実直な考え方、生き方。すごいことだと尊敬もするし、どこか完全に別世界、、、って気分にもなる。そうそう結婚の挨拶初めて伺って、当時まだご健在だった配偶者の祖母に「来週マンションに引っ越します」的こと言ったら、「マンションなんて住んだことないからわかりません」って返されてドギマギした記憶蘇った笑。

そして実はこれまた長男の嫁な私、本来ならばその土地+家を継ぐ、、、んだよね。ご両親はやっぱりたまに「本当に戻ってこない気かしら、この家どうなんのかしら」と信じられない感じで聞いてこられる。うちの配偶者自身にその気がゼローマイナスなので、まあ私はどこか他人事のほほんなんだけど。どうすんのかね、相続とか今後!?!?

そうそう、数年前こっちでオランダ語の学校に通ってた時期があって。クラスメートはアイルランド、ルーマニア、中国、イタリア、スロバキア、レバノン、ポーランド等等ー10名くらい、年齢は20代後半~30代程度(皆社会人。)で引越のトピックになったとき、引っ越した回数は?で半数以上が「1ー2回」で衝撃だったー移動し続けている印象のヨーロッパだけど、少ない人は少ないんだって!そしてそれ以外の数名含む私は10回以上。日本だろうが世界だろうがそういう傾向は変わらないんだね。住み続けるか、移動し続けるか。人類の性なのかしらね。

どこまで漂流し続けるのかこの人生。子供たちはどう育っていっちゃうのか。そういう意味でも日々悶々、正しい選択かなと思い続ける日々でもあるんだけど。この多様な文化社会でたくましく楽しんで幸せに生き抜いてる長男次男を見ているだけで、まあ大丈夫だったかなと勝手に救われている。楽しんだもの勝ち、ってこともあるのかな。なんにせよ、問題なく生活が廻せているだけでも恵まれているんだよね。オランダに感謝。

なんだか全然まとまりない文章になったので、後日消す可能性も大だけど、とりあえず一度どこかに書いておきたいなと思っていた遍歴だったので。

おやすみなさい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?