心のよりどころ

不妊治療を卒業して2年半。
この間にたくさんの幸せを手にして、多くの情報を手にして、生活が目まぐるしく変わり、時間に追われ…そして失ったものもある。

私の中に、「自分の子供を一生抱けないかもしれない」という考えは、もうない。
あの時の不安も絶望も、身につけた知識も、薄れていく…
今となっては当たり前となった日常に飲み込まれてしまった。

良いこと、のはずだけど、少し落ち着かない。
あの時何を心のよりどころにして、何をどう考え、どうやって困難に向き合っていたのか。
それは紛れもなく今の私を作った、人生においてとても大きい意味を持つ時間だったのになぁ。

とはいえ完全に、前向きに、他人と同じように希望をもって生きているわけではないとも思う。
自分だけが、皆が当たり前に出来る事が出来ず、皆と同じように未来を語れない。
それが私を底の見えない闇の中に突き落としたのは事実だったし、
その苦しみ自体は薄れていくけど、今も根底に黒いものがあって引きずっている。

当時の気持ちを書き連ねたnoteを読めば、思い出すこともある。

あの時の私は、どう言葉をかけて貰えたら良かったんだろう、友達のままでいられたんだろう、と考えてみたけれど、
結局、不妊治療を知らない人からの言葉なんて、どんなに取り繕われたものだとしても、どれも鋭利な刃物のようなものだった気がする。
深く心を閉ざしていただけではなく、本当の意味で何の根拠も理解も得られない事を知っていたからかもしれない。

私には中学生の時にインターネットで知り合った年の離れた友達がたくさんいて、
当時はSNSなんてなかったものだけど、大人になっても遊びに行って、今もLINEを知ってる人もいる。
会社の人もそうだけど、自分より年上の人たちが、結婚して、子供がいないことを知ると、
不妊治療中なのでは、という考えがよぎる。
同志だったなら、打ち明けられれば、心のよりどころになるのではと何度も思ったけれど、
もちろんそんな事聞けない。
少なくともそれを聞くのなら、自分が不妊治療中であることは先に告げないといけないし、無理だ。
それに、これもどこかのnoteで書いたけれど、ステップが一緒であることも重要な条件になると思うし。

実際私の姉は不妊治療をしていて、共感を示してくれたけど、あくまで初歩的な処置しか必要としなかった彼女に比べれば、
私の苦しみは何倍にもあるはずだと思った。

でも私の出産を知った友人の一人が「私も8年間不妊治療をして体外受精で授かった子がいる」と教えてくれた時は、
やっぱりそうだったんだ、と思ったと同時に、もっと早く知りたかった!治療中に声をかけて欲しかった、と思った。
親しい人の間では不妊治療を公言していたので、彼女もその一人、私の治療を知っていた。
その上で見守ってくれていたらしいけれど、私は彼女が同志だと知っていればもう少しは心が軽くなっていたんじゃないかと思った。
でも、人の気持ちというのは難しい。
デリケートすぎる話題だし、同志であっても全て打ち明けられるとは限らないのかな、声をかける側の葛藤も分かる気がする。

私は友達が不妊治療に苦しんでいるとき、声をかけることが出来るんだろうか、それが正解なんだろうか、私の言葉なんているのだろうか、
きっとそれも新たな悩みになる。

不妊治療専門の医師が、患者の心のよりどころになれるとは限らないように、
それは“不妊治療の理解者”とはまた別の存在なのかもしれない。

でももし今、もしくはこれから、不妊治療に臨む人が、私の言葉を必要としてくれるなら、その時は全力で力になれるように、
そのために、私は治療時の苦しみを、全部忘れたいとは思えない。
実を結んだ時その苦しみは反転して喜びをさらに大きなものにしてくれる、だけじゃない。きっとね。

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