私の不妊治療㉓「届かなかった世界」

正産期です。

でもベビーのサイズは大体39週近く。
先週の時点で「もうお腹が張っても気にせず運動して。いつ産まれてももう大丈夫。」と言われていました。
もう3000gに到達し、おそらく予定日まで待っているとなかなか大変なお産になるだろうとのこと。

産休に入ってから1-2日に1回はショッピングモールに出向き、5000歩以上歩くようにしています。
すぐに気分が悪くなるので、いつでも休める&人目があるという点で、家の周りを回るのではなく、ショッピングモールにしています。
まだまだ屋外は暑くもあるし…。


お腹が張ると休憩するようにしていましたが、もう歩けさえすれば、お腹が張っても歩き続けていいとのこと…
それによって陣痛を促進するそうです。

でも元々運動習慣がない私。
健康のためにも運動すべきと分かってはいるのですが…
ウォーキング+階段昇降となると当然楽ではないので
賢い我が子には出来るだけ早めに自発的に下りてきて欲しいなと思っています(笑)


妊娠が分かってからもうすぐ8ヵ月。
切迫流産から始まり、弱い悪阻、胎動がなかなか感じられなかったりと、
常に不安がつきまとう妊婦生活。

◯週の壁という幾つもの壁を乗り越えたものの
ここまでの期間は精神的に嬉しい楽しいだけじゃありませんでした。
そして、結局、“自然妊娠の人と同じ場所に立てた”とは思えないままです。

私の友人たちは私の妊娠をとても喜んでくれました。
でもそれと同時に友人自身の体験談や、他所の家の子供事情など沢山の情報が入ってくることに、
戸惑いや生きづらさを感じてしまう。


どうしてだろう?
300万円近い治療費がかかったから
治療に2年かかったから
そう思っていたけれど…

それ以上にただ単純に「妊娠すること、そして出産まで至ること」の難しさを実感し、恐怖や落胆がなくならないからなのかもしれません。

当たり前のように2人目3人目の話をすることは出来ないし、
その奇跡を奇跡とも感じず享受している家庭との差は埋められない。

そして自分が経験したことは他人が想像できることでもなく、一生共有出来ない。


羨ましくてたまらなかったその“当たり前”の世界には結局届かない。

そう感じています。


決して卑屈になりたいわけではないけれど
この気持ちを否定することはこの先もきっと出来ないので
自分自身受け止めて向き合っていかないとなと感じます。


今や1クラスに1-2人は体外受精で生まれた子がいるくらい身近なものになってきているらしい不妊治療。
不妊治療は生まれてくる命の重さやその人生を左右するものではないのだから

とにかく我が子の幸せを一番に
これからは生きていかないとなと思います。


次回「出産」

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