私の不妊治療①「不妊治療の始まり」


現在進行形ではあるものの、私は不妊治療を受けて多くの事、悲しみ、苦しみを経験した気がする。
忘れない内に書き留めておこう。
こんな思いをする人は少しでも少ない方が良い。
事実が少しでも広く知られ、理解されるものになりますように。


私の不妊治療の始まりはどこだろう?
私の不妊の原因の一つは多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)だから、PCOSの診断を受けることになった事の発端を思い返す。
人と比べて昔から生理不順が顕著だった。でも生理痛がこんなに酷くなったのはいつからだったか。

多嚢胞性卵巣症候群(PCOS):
若い女性に見られる疾病の一つ。
月経異常、重い月経痛を伴うことが多く、糖尿病や肥満のリスクも高まると言われている。
診断基準は、以下の3つ全てを満たすこと。
・月経異常
・両側卵巣に多数の小卵胞
・血中男性ホルモン高値またはLH値≧FSH値

生理が始まったのは小学5年生、11歳の誕生日を迎えてすぐだったと思う。
でもそこから数年間は、2か月に1度しか生理が起こらなかった。
まだ若いしそんなものだと思っていた。
中学生の頃クラスメイトが生理痛の話をしていたけれど、その頃の私は生理痛というものを感じたことが無かった。
高校に上がってもそう、生理痛が原因で寝込んだ記憶がない。

…とすれば大学生の頃だろうか?大学内にある医療センターで数回ベッドを借りたことがある。激しい頭痛の時もあったけれど、女性の生理、出産適齢期について女医から話を聞いたあの時は、確か生理痛だった気がする。

そう考えると私の生理痛は年々酷くなってきた。
23,4歳の頃勤めていた会社で、生理痛によって倒れたことがあった。
痛みで涙と脂汗が流れる、抗えない苦しみに自分自身も、女性ばかりの職場の先輩たちも驚いていた。
そうして初めて産婦人科を受診した。

その時の診断は「機能性月経困難症」。身体のどこにも異常はないけれど、日常生活に支障をきたす程の生理痛を伴う。
エコーで見た卵巣の中には卵胞が連なっていて、「多嚢胞性卵巣症候群気味」だと言われた。その時は血液検査もせず、はっきりとした診断は付かなかった。
ピルを飲んでも良いかもしれないと言われたものの、普段市販の痛み止めで治まる程度なら勧めるほどではないとのことだった。
しかし担当の産婦人科医は「将来子供が欲しくなった時は、治療が必要かもしれない」と言っていた。


時は流れて28歳の時、今度は突然生理が来なくなった。妊娠の可能性はないのに、生理が来ないまま2か月が経ってしまい、再度産婦人科を受診した。
「多嚢胞性卵巣症候群による月経不順」だと言われた。

30歳になると不正出血に悩むようになった。その頃は職場のストレスが原因だと思われたが、産婦人科医によると「多嚢胞性卵巣症候群だから不正出血も起こりやすい」とのこと。
その時の診察では血液検査もして、ホルモン値の逆転も見られ「多嚢胞性卵巣症候群」と診断を受けた。
「子が欲しいなら早めに治療をするように」ともまた言われた。
その頃にはちょうど子を望んでいたので、生理周期が落ち着いた所ですぐ不妊治療をしている病院で受診することに決めた。


次回「最初のステップ」

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