私の不妊治療⑤「これが体外受精」

滋賀の病院を見つけて1週間後にはセカンドオピニオンのカウンセリングに足を運んだ。

心配だったのは大阪から滋賀への距離と費用のこと。
それまでは“仕事帰りに注射”が当たり前だったけれど、滋賀となるとそうはいかない。

それに費用は専門クリニックになると絶対に上がるだろう。
病院のホームページを見てもよく分からない。
患者によって刺激方法も処方する薬も、かかる時間も違う体外受精では、ある意味仕方がないのだけれど、どこの病院も
「採卵:1〇万円~」と書いてあってこの「~」がとても闇深い。
上限がどんなものなのか想像がつかない。
顕微授精に至っては「1万円(要相談)」などとポツンと書いてあったりする。
1万円アップで顕微授精ができるのか?そんなわけないだろと思っても事実は闇の中。

でも、その時私が考えていたのは治療費が20万円上がったとしても、望みのある治療をしたい、ということだった。

カウンセリングで可能性を感じた私はその病院に転院を決意した。


ここでもスケジュールの行き違いで1周期飛んでしまい、実際に採卵周期に入ったのは2020年8月の事。
ついに自分で刺激用の注射を打つ日々が始まった。
カウンセリングでは「ペンタイプ」と聞いていたのに、目の前に出されたのはどこからどう見ても普通の注射器。
少々驚きはしたものの、私自身注射に苦手意識はないので(失神する癖に)、すんなりと毎日のHMG注射を始められた。
その点、注射が苦手だという人はよく聞くので、本当に精神をすり減らしているだろうなと思いを馳せた。
とはいえ、さすがに注射は痛い。
最初は、痛かろうと一箇所決めたところに針を最後まで刺していたけれど、治療仲間に聞いてみると痛くないところを見つけるようにしている、とのこと。
確かに全く痛みを感じないときもある。痛覚の問題?
でも試しに痛くないところを探すようにあちこち刺してみると、内出血だらけになってしまい、諦めた。

自宅での自己注射は4日分しか渡せないということで、4日おきに滋賀に通った。
会計は毎回3~4万円。どんどん費用が嵩んでいくのを実感し、最初は戸惑った。

さらに、困ったのは会社への連絡。
「PCOSの人は採卵が遅れがち」ということで、手術候補日が3日提示された。
手術日の翌々日には受診しないといけないし、体調が悪くて仕事なんていけない可能性が高いと聞く。
明確に「何日に休みます」と伝えられなかった。
OHSSのリスクも考えて術後2日は滋賀近辺に滞在して欲しいとも言われ、姉の家に泊まれるように頼んだが、そこでも日程が決まらないことで迷惑をかけた。

採卵前最後の受診の日、主治医に「もうゲーゲー吐いてる?」と聞かれた。
多少下腹部に膨満感があり、立ち上がる度に圧迫される感覚はあったものの、特に支障はなくけろっとしていた私は何のことかと思ったが、通常私程卵胞がたくさん育つ人は、手術日前から既に相当体調が悪いらしい。

それでも何とか最初の候補日に決定し、点鼻薬のトリガーを終えて迎えた手術当日。つらいのは前日の夜から水分をとれないことだった。
夫が同行する必要はなかったものの、付いてきてもらった。
病院に行くのは朝8時ごろ。個室に案内されると点滴の針をいれられる。
水分補給も控えているため、血管が見えづらく、針の刺しなおし…でまた気分が悪くなり、すぐベッドに横になった。

トリガー:
採卵手術前に排卵を促すために行う投薬。
これによってLHサージというものを起こさないと卵胞から卵子が剥がれない。

同じ日に手術の人は他にもいるけれど、卵の数が少ない人が優先されるらしい。
滅多に卵が取れない人は、順番待ちの間に自然排卵してしまったら大変なこと。
その点私は卵を何十個も持っている、ありすぎるほどに。

待機している間に主治医が個室を訪ねてきた。
「前回の採卵の結果とか全部見たけど、今回は顕微授精にする?」という確認だった。
顕微授精が高額なことは予想していたものの、前回4つしか採れなかった卵子は全滅し、受精障害を疑われる始末だったため、今回はすべて顕微授精でとお願いした。


手術室に入ると手順に従ってさっさと内診台にあがる。
仰向けになるとすぐに静脈麻酔を入れられ、ものの十数秒で意識を失った。

手術時間は1時間ほどだったらしい。
車いすで個室に戻ってもしばらくは意識がはっきりせず、夫に何度も「今何時?手術何分かかった?」と同じ質問をしたらしい。
無意識に腕を曲げるものだから腕に入れられた点滴針も曲がってしまい、知らないうちにさらに刺しなおしていたとか。

「ちゃんと診ておけばOHSSなんてならない」そこの病院の先生も看護師も口を揃えて言っていた。
でも手術後は血栓予防の意味も込めて点滴も2袋いれるため、私が病院を出るのは16時頃になるらしい。
また、術後3日間はOS-1を1日1リットル以上飲むように言われた。

しばらくすると再度主治医が個室を訪ねてきた。
その日の採卵結果の連絡に。
今回採れた卵子の数は、なんと、45個だった。
前回の10倍以上。後から調べたところ、平均の4-5倍らしい。
いきなり卒業が近づいた気がして胸が高鳴った。
半分くらいは受精してくれるんだろうか、でも20個も凍結したら、費用はいくらかかるんだろうか、夫とそんな話をした。

手術日を含めて3日間は姉の家に滞在して寝て過ごす毎日だった。
OS-1や薬を飲むのが億劫ではあるものの身体のため。
寝ている状態から起き上がろうと体勢を変えると少し下腹部が痛むものの、大騒ぎするほどの痛みではない。術後の体調は良好。

術後2日目に再診。
受精結果の連絡を受けた。

いざ、診察室へ。
そこで渡された紙。

画像1

45個採った内、正常卵は38個だった。
それは良い。
問題は、38個も正常卵があったのにも関わらず、正常受精したのは11個だけだったということ。
通常、顕微授精の受精率は70%前後と言われている。
26-27個、受精しているはずだった。
11個だなんて、30%にも満たない。

そして目を引くのは、≧3PN 19個という数字。
PNというのは核の数。通常、受精卵は母方と父方からそれぞれ受け継いだ核が2つあるから、2PN。
全て顕微授精しているので、精子が2つ入ったというのはあり得ない。
卵子起因の異常受精(多核受精)だった。

かなりショックを受けたものの、それでも11個も受精するなんて前回と比べたらなんていい成果、ここから胚盤胞になれば問題ない、そう思おうとした。
でもこれまでも十分不妊治療には裏切られてきた。
最悪のパターンもある。期待できない…

そして迎えた培養結果確認。

結果、胚盤胞になったのは、1つだけだった。
しかも、グレードも3BBと、決して高くなかった。

悲しみと同時にやり場のない怒りが沸々と湧いてきた。
どうしてこんな目に合わないといけないのか。
私が何をした。こんな仕打ちを受けなければいけない理由があるのか?


今回の刺激で育ち切れなかった卵がまだたくさんある。
連続採卵すれば前周期という周期は必要なく手術に挑める。
2度目の手術で劇的に結果が改善された例もある。
そう説明を受けた。

そんなこと言ったって、結局のところ私に選択肢はない。
2か月連続で、採卵手術を受けることになった。


その日に高校の親友グループLINEに通知があった。
私の1年後に結婚した友人の出産報告、子供の写真。

もちろん妊娠していたことも、予定日が私の採卵日だったことも、私が培養結果を聞きに行く前に出産していたことも、知っていた。

でも世界は残酷すぎた。
私をどん底に突き落とすには十分すぎる出来事だった。


次回「社会との溝」

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