わたしの不妊治療⑭「居場所」

先日私の大の親友の誕生日だった。
友人…といえば前書いたこの記事の通り、距離を置きたいと考えていた。

それは紛れもなく、私の本心だった。
みんなとまた笑い合える日々が来るのか…本当に自分はそこで笑えるのか、不安でたまらなかった。
みんなが当たり前のように手にした幸せを得られなかった自分がいる。
行き場のない劣等感に苛まれながら過ごすことになるのではないかと。

「妊娠すれば何か変わるのかもしれない」とは何度も考えたけれど、
「妊娠」の事実が決して身近に考えられなかった日々の中では、何の希望にもならなかった。


「もう皆とは会わないかもしれない」そう家族にこぼした時、姉は言った。

「その時その時で居心地のいい場所というのは変わるもの。別にいいんじゃない?」

それもそうかもしれない、と思った。



彼女の誕生日をどう迎えるかはずっと考えていた。
このまま何も言わずに消えてしまおうか。
これを最後にしようと手紙を書こうか。

彼女と誕生日プレゼントを渡し合うようになったのはもちろん高校生の時から…もう十数年経ったのだ。


私の誕生日は10月。
LINEグループを飛び出してちょうど1か月ほど経った時だった。
彼女が出産した後すぐに飛び出したものだから、連絡しづらかっただろうに、「無視してくれてもいいからね」と言葉を添えて、誕生日プレゼントを用意してくれた。
そこから一度も連絡しないまま5か月程経った。


”これを最後にしようって、手紙とプレゼントだけ送ろう。”
そう思ったのだけれど、出産とほぼ同時に新居に引っ越した彼女の住所を知らなかった。

…きっと、今もし妊娠していなかったら、それっきり。
手紙もプレゼントも諦めて勝手に身を引いていたと思う。

実際に妊娠してみると心というのは変わるもののようで、「一生母になれないかもしれない」という大きな不安がなくなったからか、なんだか今なら話せる気がして、ふとLINEを送った。
でもそれだけのつもりだった。住所を聞くだけの、つもりだった。


でも、自分の大親友の、思わぬ一言に大きく心が揺さぶられた。

「誕生日プレゼントより、こうやってLINEで話せるほうが嬉しい」

想像していなかった。そんな風に思ってくれていたなんて。
「まだみんなのところへは戻れない」と伝えても
「何年でも待ってるよ」と。

耐えられるはずもなく涙をぼろぼろ流しながら思い知った。
彼女は、彼女たちは、私が何よりも大事にしてきた宝物じゃないか。
高校生の時私にどんな場所より居心地の良い「居場所」を作ってくれた大親友じゃないか。



まだ安定期を迎えてない。
クリニックも卒業できるか分からない。
いつまたどん底に落とされるか不安でたまらない。
だから、まだ戻れない。あの場所に。

でも私の中でどんな変化があったって、みんなは変わらず私を大事に想ってくれている。
忘れちゃいけない事だ。

不安はまだある。
でも私たちが一緒に過ごし、共有し、笑い合ったたくさんの出来事のほとんどは、
妊娠、出産、育児なんて関係なく、とりとめのない、あり触れた日常だったはずだ。

これは希望だと思った。


誕生日プレゼントに添えて、手紙を一通送った。
今すぐは無理だけどいつか戻る。
皆の子供が小さいうちは難しいけど、もっとオバさんになった時に、
またみんなで旅行を楽しもう。


次回「卒業」


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