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「角大師」ってご存知ですか?

知らない方も多いと思います。

この記事では、角大師について弊社代表 相馬の観点で説明いたします。

角大師とは、慈恵大師(じえだいし)良源(りょうげん)和尚が、鬼に化けた姿の通称です。

良源和尚は、正月三日に鬼籍に登ったことから、元三大師という名も通っております。
しかしながら生前には、元三大師とは呼ばれていませんでしたので、本記事では角大師で統一したいと思います。

大師というのは、朝廷から高僧に与えられる称号です。
慈覚大師や弘法大師は有名なところです。

その方達にも引けを取らない法力を持っていたのが、角大師です。
事実、時の関白 藤原忠平からの信頼も厚く、御所にも出入りしていた程です。

その時の面白いエピソードがあります。

美男子だったと伝わる角大師は、修行僧時代、御所にて花見をしていた女官たちにせがまれ、一緒に花見をすることになりました。
早く退散したかった角大師は、得意芸の百面相を披露すると言っておき、鬼の形相を見せ、女官たちに一斉に悲鳴をあげさせました。
それ以来、女官たちに付き纏われることはなくなり、角大師の姿には女難避けの御力もあると語り出されました。

そんな角大師は、比叡山延暦寺のお坊さんなのですが、17歳で出家し、55歳という若さで第十八代天台座主となります。
これは寺社界隈では、異例の速さと言えるほどのスーパー出世でした。

学問にも精通し、人徳も厚く、比叡山を復興させる才覚も持ち合わせたまさにスーパースター。

角大師の母は、観音様に祈願をして大師を授かったという伝記もあり、幼い頃は「観音丸」と呼ばれていたそうです。

もはや生まれる前からエリート中のエリートと言っても過言ではないでしょう。
千年語り継がれる法力は伊達ではありません。


肝心の角大師の護符が出来上がったエピソードは、最晩年、亡くなる数ヶ月前の話です。

永観二年(984)、世間では疫病が流行り、相当な犠牲者を出したようです。
雨がしとしと降りしきり、もの寂しいような風が吹き付けるある夜、角大師は何か心のざわざわが落ち着かず、座禅をしていました。
すると弟子たちも寝静まった頃だというのに、不意に一陣の風が室内に吹き込み、怪しい物影が映りました。
「そこにいるのは何者か?」と静かに問うと、疫病神だと答えがありました。

疫病神が三次元世界に、体を持って現れたのかは定かではありません。霊視したのであれば、聞くまでもなく悟ったはずです。しかしこの時は、角大師が問いかけ、怪しい存在が答えました。問う方も問う方ですが、答える方も答える方で、愛嬌があります。疫病神だと名乗ったその存在は、律儀にも、天下で疫病を流行らせており、あなたも患う必要があると語ります。

他に犠牲となった大勢の人々はそのような前触れもなく、病に苦しむわけですが、角大師に対しては予め宣告します。それは怪しい物影に気付いたからなのでしょうか。もし、不意に吹き込んだ一陣の風に気付かなければ、予告されずに突然発症していたのかもしれません。これらの問答から、疫病神は実に人間ぽくもあり、角大師に敬意を表していたように感じられます。

一連のやり取りの後、角大師は抗えない運命を受け入れます。疫病神に左手の小指を差し出し、憑く許可を出します。ここで私は少し疑問が生まれました。そもそも、魔を祓う力があるのなら、この時訪ねてきた疫病神でさえも、祓うことができたのではないか?と。

角大師は、どうやら少し疫病を侮っていたようです。実際に疫病を患ってみると、あまりの苦しさに、これは一大事だと気付きます。そして、自分は自らの法力で難なく逃れますが、民衆のためを想い、策を講じます。

夜を開けずに弟子たちを呼び集め、小判型の姿見を運び出させ、ある指示を出しました。小判型の姿見ということは、楕円形の鏡です。当時、今のように鏡を入手することは簡単ではなかったはずですし、手鏡ならまだしも、姿見ともなれば、大変貴重なものだったと想像に難くありません。話を戻しますと、指示の内容は、「鏡に映った姿を写しとれ」というもの。禅定に入る=深い瞑想状態に入り、いわゆるゾーンに達したような状態になった時、鏡には、骨ばかりの鬼の姿(夜叉の姿と形容するものもあり)が映し出されました。この時の姿が、護符に印刷されている角大師の姿です。

それを写し取ったのは、明普阿闍梨というお弟子さんです。禅定から戻った角大師が、その絵を見て満足そうな顔をし、この姿を摺って御札にしなさいと命じます。他にも弟子はいたはずですが、明普阿闍梨だけが、写し出すことができました。他の弟子たちはガタガタ震えていたのか、霊眼が未発達だったために写すことができなかったのかも、今となっては分かりません。いずれにしろ、この時の角大師のアイディアが、平安の世から千年続く護符となったのです。

角大師は他にも、日本人であれば誰しも一度は試してみたことがある、あるものと関わっています。それが「おみくじ」です。おみくじの発案者は、実は角大師なのです。今でいうアイディアマンだったのですね。

コロナ禍においては、アマビエの方が有名にはなりましたが、それより何百年も前から角大師の護符は存在し、歴史があります。過去に守ってきた人々の数、実績も充分に勝っているでしょう。

そんな角大師の力を、借りない方がもったいない!!と強く思います。

角大師は器の広いお方なので、みなさんがイスラム教徒だろうが、クリスチャンだろうが、鰯の頭信者だろうが、関係なく、護ってくれます。

一家に一枚、角大師!

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以上、いかがでしたか?

天台宗に縁のあるお寺さんの解説や、個人の有志が掲載くださった情報、そして角大師に直接した質問を織り交ぜ、なるべく読者に分かりやすいように現代風にアレンジしながら、言葉を紡ぎました。

少しでも角大師の啓蒙になり、理解を深めていただけましたら幸いです。

(TOP画は、東京国立博物館「最澄と天台宗のすべて」展より)

このお布施は、社会に還元されることが約束されておる。 長者の万灯よりも貧者の一灯