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発達障害者は、健常者社会に適応する努力をしていないとダメですか


こんばんは。
多動OLと申します。

発達障害を持つ30代女性です。



最近、Twitterのメンタルヘルス界隈で大きな影響力を持つ精神科医が、以下のツイートをしていました。

発達障害だから、適応する努力をしなくてよい…というのは違う。
最悪、努力しているフリだけでもしないと、(行政は別として)周囲は助けようとしてくれない。


私は「は?」と思い、ツイートを2度見、いや3度見しました。

当投稿では、このツイートに対する個人的意見を述べたいと思います。



※    私は、投稿主がこのツイートに至った詳しい背景を知っているわけではありません。また、ツイートという短いセンテンスのみから感じたことを書きますので、投稿主の意図とはズレた解釈がされている可能性もあります。ご了承ください。




発達障害といっても、その程度は人それぞれです。

ごく軽度の人の場合は、本人の努力や環境調整で社会適応できているケースもあります。
重度の場合は、そもそも就労に至らず、ひきこもりとなっている人もいます。

愛嬌があり、頑張っている感を出すのが上手く、「助けてあげたくなるキャラ」として健常者に媚びるスキルを身につけている人もいます。
一方で、集団から排除されてきた経験から、非常に悲観的だったり、攻撃的だったりするパーソナリティーが形成されており、周囲の人々にマイナスの感情をもたらす人もいます。




当ツイートの発達障害とは、どの程度の発達障害者を指しているのでしょうか。

学校や会社に行けずに引きこもりとなっている人を指しているのでしょうか。
辛うじて組織に属していても、ミスを連発して集団の足を引っ張る人のことを指しているのでしょうか。
周囲の人々にマイナスの感情をもたらす人を指しているのでしょうか。


また「努力」とは何を指しているのでしょうか。
服薬しろ、気合で頑張れ、甘えるな、辛くても学校や会社に行け、集団と調和しろ、集団の足を引っ張るな。
そういった感じでしょうか。



この精神科医の指している「発達障害」「努力」はどの程度のものなのか詳しくは分かりませんが、
私が一番驚いたのは、このツイートを発信していたのが一般人ではなく、医学のプロフェッショナルである精神科医だったことです。


近年、研究により、発達障害の原因に遺伝的関係があることや、脳の神経伝達物物質の働きが影響していることが明らかになっています。
発達障害は、遺伝や脳の機能の問題による障害なので、本人を根本的に変えることは不可能です。

発達障害の人に「健常者社会に適応できるよう頑張れ」と求めることは、
足の不自由な人に「みんなと同じスピードで歩き続けろ」と求めるくらい無茶なことです。


みんなと同じようにしたくても、身体の機能的にできないんです。
だから障害なんです。


努力や気合で発達障害特性をコントロールできるなら、障害者手帳なんて要りませんよ(笑)



今の日本社会には「努力教」が蔓延しています。

「自分はこんなに頑張っている。だからあなたたちも頑張るべきだ。」
「上手くいっていない人は努力が足りない。自己責任だ。」

そんな風潮ができてしまっています。

過重労働、非正規雇用の増加、拡大していく格差、メンタル疾患の増加、上がっていく税率、削られていく年金、低迷するジェンダーギャップ指数…
幾多の困難の中で、「普通の人」のハードルがどんどん上がっていって、今は健常者でも生きづらさを抱えています。
みんな、ギリギリで生きていて、余裕を失っている。

そんな中で「努力教」に飲まれる人が増えています。

投稿主の精神科医も、もしかしから生きづらさの中で「努力教」に飲まれてしまったのかもしれません。
医学のプロフェッショナルである意識よりも、努力教の価値観が勝ってしまったのかもしれません。


私としては、発達障害者が健常者社会に適応する努力なんて、しなくていいと思っています。

なんなら、ひきこもった末に生活保護でもいい。
そういうふうにしか生きられない人だっています。


ただでさえ障害を抱え、しんどい思いをして生きているマイノリティに、さらにマジョリティに合わせる努力を求めるなんて、それはマジョリティ側の傲慢です。



発達障害の私たちは、生きているだけで疲労困憊です。
健常者向けに作られた社会に合わせて生きていくために、普段から神経をすり減らしています。
毎日が修行のようなものです。
私たちはすでに十分に頑張っているのです。



発達障害者が健常者社会にムリに適応しようと頑張れば、二次障害のリスクが伴います。

発達障害の人が、その特性に応じた配慮が受けられない、自分の特性に合わない環境で過ごさざるを得ないなど、強いストレスを感じる機会が多く発生すると、精神疾患を併発したり、問題行動を起こすようになります。

具体的には下記のような疾患・行動があらわれます。

・ 不安障害
・ うつ
・ 対人恐怖
・ 依存症
・ 強迫性障害
・ 暴言、暴力
・ 感情不安定
・ 自傷行為
・ 非行などの反社会的行動


私自身も、二次障害を抱える当事者の一人です。
10代、20代、「健常者に追いつこう」と必死で努力していました。
心身ボロボロで、限界を何度も感じていたけれど、健常者社会に溶け込むことを目指して、がむしゃらに突っ走っていました。
気づいたときには、心身のバランスが崩壊していました。
心身のバランスは一度崩してしまうと、なかなか元には戻りません。
皆さんには私のような経験をしてほしくないです。




それに、ちょっと想像してみてください。
週5日、学校や会社に行き、集団の中で上手くやりつつ学業や労働をこなすシステムに、世の中の全員が難なく適応できている社会も、それはそれで不気味じゃないですか?
人間は品質の均一なロボットじゃないんだから。




私は、発達障害の人が努力することを否定する意図はありません。
二次障害を起こすリスクを承知してでも、本人が健常者社会に溶け込みたいと望むならば、努力をしてみるのもアリだと思います。
ただ、努力というのは、したい人がしたいときにするものです。
決して他人に強いていいものではありません。



では、発達障害者がムリに適応する努力をしなくとも、この社会で生き延びていくには、どうしたらいいのでしょうか。

私は、的確な「援助要請能力」を持つことが重要と考えます。
困ったときに適切な方法で、助けを求めるスキルを専門用語で「援助要請能力」と言います。

発達障害の私たちの場合、具体的には
・ 自分が何に困っているのか言語化すること
・ 使える制度を調べること
・ 行政や支援機関、相談窓口に足を運んでみること
といった行動をできることが援助要請能力になります。

ポイントは、努力している(ように見える)か否かで、助けるかどうかを決めるような周囲の人間ではなく、制度や機関といった確かな枠組みに、助けを求めることです。




日本の発達障害を取り巻く状況は、決して恵まれているとは言えませんが、少しずつ良くはなってきています。
放課後デイサービスや、就労支援機関も増えていまし、発達カフェやバーといった当事者の居場所も増えています。
発達障害の人たちが少しでも生きやすくなることを、一人の社会の構成員として、一人の当事者として願っています。





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