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#2 ある儀式を再開した話

コロナウイルスによる不安が募る日々。
まさかこんなことになろうとは、数ヶ月前には誰も予期していなかったのではないか。
外出自粛要請が出たことで、気分転換もできずストレスは溜まるが、今は耐えなければならない局面。
コロナウイルスに感染したら死ぬかもしれない、家族を失ってしまうかもしれない。

東日本大震災の直後に感じていた不安に少し似ている。
あの時、私自身は怪我もなかったし、知り合いレベルも含めて身の回りに亡くなった人はいなかった。
それでも死を身近に感じた。
「人はいつ死んでもおかしくない」
そんな当たり前の事実を思い知らされたのが震災だった。
私はあの後から、1日の終わりにあることをし始める。
それは、その日に起きた嬉しい出来事を思い出しながら感謝すること。
別に口に出すわけじゃない。
眠りにつく前に、ベッドの中で「今日も一日無事終えられた。ありがとう」と思うだけ。
こんな話するとスピリチュアル?とか自己啓発?とかあらぬイメージがつけられそうだけど、そういうわけじゃない。
もし明日死ぬとしたら、ポジティブに死にたかった。
「短いけどいい人生だった」「ラッキーな毎日だった」
死ぬ間際にそんな風に思えるよう、練習みたいなものをしていたのだ。
1、2年くらいしたらいつのまにかやらなくなっていた。

最近コロナウイルスの一件でこの儀式を再開した。

今回の騒ぎが収束してもできる限り続けていけたらいい。

いつ死ぬかわからない。いつ死んでも悔いのないよう、1日1日大事にして、人生に感謝して生きる。

良いことが起きなかった日はたぶんない。
きっと生きてること自体が奇跡。

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