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カムカムエヴリバディに見る「NVCの鉄則:言葉を聞いてはいけない」の真実

NHK連続ドラマ小説カムカムエヴリディを見ながらのNVC(非暴力コミュニケーション)考察、第2弾。
今朝(75話)の放送を見て、「るい&ジョー編」(ワタクシ的には「るい編」ではなく)はすでに終わっていたのだ……と感慨しみじみ。

ハッ! 寂しがっている場合ではない。
いまこそ、溜まっているネタを書かねばと思い立ったのでやってみます。

さて、みなさん、(磯村 吟)

6歳のるいが母の安子に”I hate you”の言葉を放った場面と対になっているのは、るいとジョーの試着室のシーンだというのが、カムカム視聴者のみなさんの間では定説になっていますよね。
おんなじ雨の日だし、おんなじ前髪を上げて額を見せるポーズだし。るいにとって辛い雨の記憶や額の傷が、試着室のシーンでプラスに転じた……と、プロデューサーの方が説明している記事を読んだ記憶もあります。

でも。

NVCのメガネをかけてみると、そこじゃなーい! と言いたくなるのです。(といいつつ、試着室のシーンは大好きですよ〜もちろん♪)

安子とるいが別れた雨の日のシーンに戻ります。
安子にるいを「捨てる」つもりがあったはずはありません。それなのになぜ、安子はロバートとアメリカに渡ってしまったのでしょうか? 

NVCの窓から見てみると、わかります。

タイトルには”NVCの鉄則”と書きましたが、NVCを知っていようがいまいが関係なく”共感的在り方の鉄則”とも言えるそれは、言葉を聞いてはいけないということなのですが、

安子はあの日、言葉を聞いてしまった。
聞いてしまったので、るいの言葉、”I hate you"が真実だと信じてしまった。
心身ともにギリギリで、一ミリの余裕もない状態だったから? もともと素直で、誠実で、ものごとをそのまま受け取ってしまう性格だから……?

それとも、安子自身にも、るいと別居して(るいと過ごす時間を捨てて)橘再建に自らを振り向けてしまった、あるいは、ロバートに惹かれ始めている自覚など、当人だけが知る”自責”があったのでしょうか。

"I hate you"をほんとうとは受け取らなかったけれども、絶望のあまりその”言葉のせい”にすることで自ら犠牲者ロールに入り、自分のニーズ(大切にしたいこと)を手放してしまったのかなぁ……。(ああ、このあたりはNVCの鉄則その2『情けは人のためならず』をテーマにも書けそう。そうなのよ、非暴力を生きるなら、つながりを創り続けたいのなら、”誰かのために”身を引いちゃダメなのよぅ〜)

ほんとにね、できることなら、言ってあげたかった。
誰かに、勇ちゃんとかに、言ってもらいたかった。
「安子、言葉を聞いちゃならねぇ……」


で、そこから13年ぐらい経ったある夏の日。
竹村クリーニング店の物干し台の前に、言葉を聞かない人が登場するんですよ。かき氷を食べながら。

地蔵盆の日、ジョーと再び話せるようになったるいは、On the Sunny Side of the Streetをどこで聞いたのかという話題から、ジョーに自分と母・安子のことを打ち明けます。「思い出してしまった。私だけを見てくれていた頃の母を(回想シーンで安子「るい、ひなたの道を見つけて歩いて行こうね」)」「それなのに、進駐軍さんと恋をしてアメリカに行ってしまった」

で、宇宙人・ジョーは言います。「会いたいんやね、お母さんに」
るい「なにいうてんのですか。話、聞いてました?」プンスカ!(このときの深津さんの顔がまた最高なんですけどね)

「話、聞いてました?」と言われたジョー、たぶん言葉は聞いていません
天然のNVCerですから(私の独断では笑)。宇宙人と呼ばれるだけのことはあります。

でも、ジョーは聞いていました。言葉(=情報)ではないものを。
るいの心の中にある真実、本人さえ気づいていない深い願いの響きが、彼には届いていたのです。それを聞き取った上での「会いたいんやね」です。

これが、相手に共感する、ということ。
NVCで言う共感、エンパシーとは、よく日本語の文脈の中で使われる共感、わかるわかるー、同じ同じといった同調や、そうだよねー、私もそう思う等の同意、可愛そうにねえなどの同情とは異なります。

その人のことはわからない。
わからないという前提で、その人の世界を尊重し、言葉表現だけにとらわれずに、その人がいま何を経験しているのか、相手の心に純粋な興味のまなざしを向け続けること。
私はこんなふうにNVCの共感を体験し、理解してきました。
それを、あの地蔵盆の日のジョーは体現していたように見えたのです。

言葉を聞いてしまった安子/言葉を聞かなかったジョー

私の目からみると、この2つのシーンこそが対になっているように見えるのですが、いかがでしょうか?


安子の名誉のために付け加えると、安子はいつも「言葉を聞いてしまう人、言葉にひっぱられる人」なわけではないでしょう。幼いるいには、たくさん、たくさん共感していた。るいの心の中を見つめて、受け取ってきた。ただ、このときだけは、るいの心の中に興味を持ち続けるにはあまりにも消耗していて、自分を責め過ぎていたために、ただただ言葉を聞き、それが真実だと思ってしまったんだよなー、きっと。切ない……

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あ、そうだ。宣伝も置いとこ。
そんなわけで、NVC(非暴力/共感的コミュニケーション)の分かち合い、NVCをベースにした対話会、NVCの入門講座などをやっています。



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