【Cross Talk】「関係」を核にした旅ツナガルのビジョンと実践
2022年に誕生したツナガルの旅行事業。
「人生を変える出会いをつくる」というビジョンを実現するため、旅行事業では人と人が出会うきっかけを作り、さらにつながりを強固にする体験を提供している。
立ち上げのきっかけを作った劉と、マネジャーとしてビジネスグロースを推し進める赤尾に、ツナガル流の新しい旅のカタチと、それが社会にもたらす価値について聞いた。
メンバー紹介
劉がまいた旅行事業部の始まりの種
劉が日本を目指したきっかけとなったのは「雪」への憧れだった。気候の暖かい台湾で雪は滅多に降らない。
大学後、ワーキングホリデーを利用し23歳で来日を果たすと、「毎日スキーを滑りたい」という思いでスキーインストラクターの道を選んだ。
劉「元々日本が好きだった私は、大学で4年間日本語を勉強し、卒業後の就労先として北海道の星野リゾートトマムのスキーインストラクターの募集に申し込みました。採用されてからは、台湾人や中国人の旅行客に中国語でスキーを教えていました」。
シーズンが終わり、ワーキングホリデーのビザは残り6か月に。
もっと日本に滞在しスキーに関わる仕事をしたいと思い転職活動を始めた劉は、縁あって長野県のスキー場を運営する企業に入社する。
スキー場の海外営業として、インバウンド受け入れ部門で旅行の手配業務に6年間従事。これが劉の旅行業キャリアの原点となる。
劉「私は会社初の外国人、しかも女性は私一人でしたが、差別もされず、支えてもらえ、受け入れられているという感覚を得られました。長野県は今でも大好きな場所です。しかしコロナ禍で私が所属していた部門は廃部に。異動の話もあったのですが熱意が持てずに退職することになりました。その後結婚し、長野県から山梨県に移住して転職活動を始めた時に出会ったのがツナガルです」。
当時から劉は「10年後には旅行業で独立したい」と考えていた。台湾人がもっと手軽に日本に来られるルートを作りたかった。
旅行業務取扱管理者の資格を持ち、台湾人とのネットワークも豊富な劉は、ツナガルの求める人材としてぴたりとハマった。
ツナガルでは当時、インバウンドPR事業で培った事業者や海外の旅行代理店とのつながり、観光コンテンツを発掘するノウハウなどを活用できる旅行事業の立ち上げを検討していたからだ。
劉「前の会社ではBtoBの取引がメインで、台湾現地の旅行会社からオーダーがないと仕事がありませんでした。一方で自分自身が日本での生活を発信するSNSを運営する中で、インフルエンサーを通じて日本の観光を宣伝したり誘客したりすることができればBtoCの仕事に生かせるんじゃないかと感じていました。そして転職活動をする中で、ツナガルが持つインフルエンサーネットワークなどを活用できれば、私のビジョンとツナガルの資源がぴったりはまると考えたんです」。
かくして見出された劉は、2021年にツナガルに入社する。
そして翌年、長野で旅行業免許を登録。メンバーのビジョンを起点とした事業はこうして立ち上がった。
「人生を変える出会いをつくる」ビジョンの体現
旅行事業部のプロジェクト第1弾は、台北市で開かれた日本展覧会「Touch The Japan Festival」への出展からスタートした。
劉自身が直接、来場者に魅力を伝えることで、白馬への来訪を呼びかけることから始めた。
当時はまだ規模の小さかった旅行事業部。課題はなかったのだろうか。
劉「規模が大きくないからこそ、私たちが大事にしたのが『つながり』です。日本に何度も訪れたことのある台湾人でも、日本人との交流を通して新たな日本を発見できる、そんなきっかけを設計しています」。
社員がフロントに立ってお客さんと深い関係を築くことがツナガルの特徴であり強みだ。
事前の白馬の魅力を伝えるオンラインライブ配信や、現地展覧会での直接交流を通じて劉のファンになってくれた18人がツナガルの旅行商品に申し込み、実際に白馬を訪れた。
立ち上げ後、まだまだ粗削りな部分も残るツナガルの旅行事業部。
しかし2022年にアクティビティ予約サイト「ベルトラ」で観光商品のWEBマーケティングを担当していた経験豊かな赤尾が参画することにより、一気に勢いづく。
ツナガルが眠らせていた豊富な資源に気づいた赤尾は、その有用性に着目する。
赤尾「観光PRを通じて、日本中の観光地のコンテンツストックや世界各国の趣味嗜好、旅行傾向などのインサイトの情報が社内にゴロゴロ転がっている。有名観光地以外の日本の魅力を知っている多国籍のメンバーもいる。これを活用しないなんて、そんなもったいない話はないと思いました」。
赤尾はこれらの観光業にとって価値の高い資源を積極的に活用した。
自社のSNS運用データから消費者インサイトを分析し、観光ツアー造成時の周遊場所の選定に役立てる。
メルマガの配信内容にはユーザーに刺さりの良い情報を網羅して問い合わせ数を増やし、SNSマーケティングではエンゲージメントの高い動画を配信して予約数を伸長させた。
これらはすべて、彼女の敏腕さを物語るエピソードだ。
同時に赤尾が入社後、真っ先に手がけたのは、メンバー一人一人からビジネスで叶えたい望みーー「野望」を集めることだった。
赤尾「メンバーがやりたい旅行事業の形をもとに戦略立てるのが私の仕事。旅行事業のメンバーが、誰に何をどうやって売りたいと考えているのかを最初に知っておきたくて、『野望シート』に記入してもらいました。そして劉さんの野望をもとに2025年までの目標として掲げたのは、劉さん自身が台湾と日本の架け橋となる『Deep Japanを体験するツアー』『友人をつくる旅』といった企画。こうした企画そのものが世の中に浸透すること、それから『人との出会いをつくる旅と言えばツナガル』という図式が台湾のSNSで当たり前の状態になっていることを目指して、プロジェクトの推進をサポートしています」。
企画したプランに売上の筋が通っていれば、年次や役職を問わず裁量権を渡すのがツナガルの旅行事業の特徴だ。
さて、赤尾はツナガルが持つ豊富な資源のほか、社員たちの自己実現や社会貢献を奨励する社風に魅力を感じて入社を決めたのだという。
赤尾が「自己実現」や「社会貢献」といったキーワードを出したのには、どんな背景があるのだろうか。
赤尾「一昔前は、会社の時間と自分の時間が分離していました。朝9時から夕方6時までは会社のために働く。仕事は自分の人生のバリューを高めていくことに直接繋がらないかもしれないけれど、お金のためだったり、会社の中で地位を上げることだったりが働く目的になっている。そういう世界があったように思います。
今は自分がどう生きたいか、人生をかけて何を成し遂げたいかといった目線で仕事を選ぶ時代。
実現したいことを携えてツナガルに入ってきたメンバーを、会社としてサポートしつつ、事業として利益を生み出して、さらに社会貢献にまでつなげるのは、もはや当たり前のマネジメントだと思っています」。
ツナガル旅行事業が生み出す社会的価値
ツナガルが提供する旅の形について尋ねると、赤尾は「ツナガリティ」という言葉を出した。
赤尾「ツナガリティのある旅というのは、一言で言うと『関係をつくる旅』です。会いたい人を訪ねる旅とか、同じ場所を何度も訪ねて、深い体験をするとか。劉さんを通じて特定の地域のファンになってもらうのもツナガリティだと思います。こうした体験を出会いからプロデュースし、持続的な関係をつくるのがツナガルです。現在商品として提供している『友人をつくる旅』もつながりの形の一つですよね。
世界中みんな友達だったら戦争は起きない。だから、外国の方とお友達になることは、平和的な関係を築き、持続的な地域づくりにつながる必要な取り組みです。何かと何かがつながるときのハブになるということが、ツナガル株式会社の存在意義だと思っています」。
劉「外国人のことを知らないと、様々な誤解が発生してしまうことがあります。でも外国人と日本人がちゃんと触れ合う機会をつくることができれば、いろんなかたちの良い関係性が作れます。国籍を越えて相互理解を深める機会を提供していくことができるのも、グローバルマインドとローカルとの関係双方を持っているわたしの強みです」。
劉がツナガルに蒔いた「旅行事業」という種は、赤尾の手によって育てられ確実に芽吹き始めている。
劉「赤尾さんがジョインしてから、私が知らなかったことを全部明確にしてくれています。以前のただ歩いていた状態から、今はまるで羽が生えて飛んでいるみたいな感覚です」。
この事業の成長は今後、どんなプロセスを辿るのだろうか。
10年後の未来像を聞くと、赤尾らしい答えが返ってきた。
赤尾「旅行事業はツナガルのなかでもまだ新規事業。だからこそ、決まった形がなく流動的にいられるのが一つの魅力かなと。売り上げがきちんと立ち、一人一人の自己実現ができ、社会貢献もできている状態であれば、向かう先はどこでもいいと思っています」。
インバウンドの『最後のブルーオーシャン』と呼ばれる中東市場にゼロベースから販路を創りあげ、社内には韓国市場を拡大しようという声も上がっている。
赤尾「私のツナガルにおけるミッションは、旅行事業のグロースとメンバーの自己実現。各人がこの事業で野望を実現しようとすると、結果的に地域の持続性やダイバーシティを実現するようにコミットメントを引き出しています」。
「旅が好き・日本が好き・交流が好き」そうした情熱が原動力となり、旅行事業は成長している。
夢とビジネスをグロースさせ、同時にサービス利用者や社会への貢献をもたらす。人の移動と実体験の伴うサービスだからこそつくれる、リアルな関係創出に今後期待が高まる。