心のPDCAサイクルを回そう

前回エントリーのメタ認知についてもう少し掘り下げたいと思う。


メタ認知とは、自己の認知のあり方を客観的に認知することで、もうひとりの自分が自分の思考パターンを外からみること、といいかえてもいいかもしれない。

運転中に見える景色と、アラウンドビューモニター(車を上空からみたように構成されている映像)に移される景色との違いと言ってもいい。通常の認知が運転席から見える情報であり、メタ認知がアラウンドビューモニターの情報。
(メタ認知はまわりの状況を含めた自分を鳥瞰的に見ることとほぼ同義なので、アラウンドビューモニターはそういう意味でも似ている)

このメタ認知が、意外と、できているようでできていない人が多いように思う。

メタ「認知」とあるとおり、これはあくまで「認知」であり、そこに批判的な意味合いはない。あくまで認知する(自覚する)だけだ。自己洞察と言い換えてもいい。つまり、そこにいいも悪いもない。
しかし、特に日本人に多いのかもだけれど、それがなぜか自己洞察ではなく、自己批判や自己嫌悪に結びついてしまう人が多いように思う。

「ほかのひとができていることが自分にはできない」
「適切な行動をとれない自分はだめな人間だ」

これらは、一応自分を外から見ようとはしている。ただ、決定的に違うのは、それは「自己の」視点ではなく、「他人の」視点なのだ。
他人の視点で見ているから、そこに評価が加わり、自己批判につながる。
「他人から見てどうみえるか」はメタ認知ではない。それはただ単に「ひと目を気にしている」だけだ。

この手の自己批判のよくない点は、何も建設的な考えをうみださないことだ。

「〇〇さんのように心がひろい人間になりたい」「積極的に話しかけられるようになりたいのにできない自分はダメな人間だ」「こんな性格だから自分は人に好かれないのだ」…

こういうことを言う人は非常に多い。自己嫌悪というやつで、たしかに自己を嫌悪しているんだけど、自己を嫌悪している「自分」は、実は自分ではなく他人の視点なのだ。

日本人は「人に迷惑をかけるな」と教育されて育っている。それは美徳でもあるのだけれど、「必要以上にひと目を気にする」というデメリットにもつながっていると思っている。
だから、「自分がどう思うか」の前に、「他人がどう思うか」を気にしてしまう人が多いのではないかと推測している。

「他人から見てどう思うか」の視点はもちろん必要だが、まずそれありきで、「自分がどう思うか」が二の次になっていると、自分の考えや行動を自分でコントロールできなくなってしまう。
「こうなりたい」ではなく、「こうあるべきだ」という原則で考えや行動が規定されてしまう。
これは精神的に健全な状態とは言えない。

頭の中に、ものすごく厳しいお母さんがいて、テストで95点をとっても「どうして100点じゃないの」「○○ちゃんはいつも100点をとっているのにどうしてあなたはできないの」「100点とれるようにいつも必死でがんばりなさい」と言われているような感じかもしれない。
その、頭の中の厳しいお母さんも本当は自分なんだけど、ほとんどその実際には存在しない人格に支配されているようなものだ。

しかも、その厳しいお母さんは、ただ改善を厳命するだけで、具体的な方法や道筋は教えてくれない。PDCAサイクルの、PlanもDoもCheckもなく、ただAction(PDCAサイクルにおいては改善を意味するらしい)だけを求められても無理に決まっている。

これはなぜかというと、Plan→Do→Checkというのは、まさにメタ認知(自己洞察)があって初めて回るものだからだ。

イチローになりたい男の子が、何も考えずにひたすらバットを振っていてもおそらくなれないのと同じように、まず自分の傾向を理解して、理想に近づけるにはどこをどう修正したらいいのか、そこを理解しなければ、なりたい自分になれるはずがないのだ。

ここが、自己批判と自己洞察の決定的な違いだ。

ほんとうの意味で自己洞察できるひとは、自分の考えや自分の置かれている状況を客観的に認識した上で、まず自分が取るべき現実的な選択肢は何なのかを考えることができる。

「社交的になりたい」とか「積極的になりたい」とか、そういう希望をよく聞くけど、そういうのは小さい頃から(もっというと生まれたときから)培われた性格と呼ぶべきもので、性格を変えることは不可能とは言えないからどうしても変えたければ死ぬほど努力すればいいけど、それよりは「自分は社交的じゃないから限られた友人と仲良くしよう」とか「あまり人とかかわらないような仕事を目指そう」とかいうふうに考えたほうがはるかに現実的だし、よっぽど効率がいい。やってみてうまくいかなければ、やり方を修正して、もういちど試してみればいいだけのことだ。
社交的であることが唯一の正解であるような思考は典型的な「他人からみてどう思われるか」の思考だ。何が正解かは個人個人で違うし、その人の中にしかない。

スヌーピーの言う通り、「配られたカードで勝負するしかない」。
他人の才能を羨むことは何も生み出さない。
他人の目線に基づく自己批判ではなく、自己洞察を深めて、現実的な方法で、よりよい自分の生き方を探すことが、幸せにつながる生き方だと思う。

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