〇をつけよ

今朝起きて、昨日のエントリーを読み返して、大切なことを書き忘れたことに気づいた。

編集して追記しようと思ったのだけれど、書いたらけっこう長くなってしまったし、読んでくれた方にも失礼だから、別エントリーとして書くことにした。

なので、内容は昨晩(今朝)のエントリーの続きです。


人間は無意識に、自分の考え方や価値観を「普通」だと思いたがる。

ぼくは、すべてを疑い、背景に何があるかを考え、なるべく客観視しようとする自分を「普通」だと思っていたが、それに対して、「そんなに全部を疑っていて疲れないの」とか「そんなこと考えて生きていたくない」とか、もっと言えば「人の心がない冷たい人間」のように言われたりすることもあった。

ぼくに言わせれば、「信用する」という行為を重んじているからこそ、簡単に人や物事を信用しないのであり、逆に、信頼している人には、仮にもし裏切られたとしても自分のせいだから仕方がない、と思うくらいに信頼している。でも、異なる価値観を持つ人にとっては、ぼくは「人を簡単に信じられない冷たい人間」なのかもしれない。そして、そっちの価値観の方が多数なら、ぼくのほうが普通でない、ということになるのかもしれない。

でも、ぼくは自分の考え方が好きだし、こういう自分になれてよかったと心から思う。自分の文章もとても好きだから、ときどき読み返して、「いいこと書いているな」と自画自賛したりしている。


ぼくがこういう考え方をするようになったきっかけについて考えていたら、思春期に読んだ、ぼくに大きな影響を与えた1冊の本のことを思い出した。

山田詠美さんの、「ぼくは勉強ができない」という本だ。

山田詠美さんも、この本も、めちゃめちゃ有名だから、これをあえて紹介するのもいかがなものかとは思うが、思春期にこの本に出会えた自分は本当に幸運だったと思うし、今の自分の形作るのに少なくない影響を与えてくれた、大切な本だ。

このエントリーを書くにあたって、電子書籍で購入して再読したのだが、いま読み返しても全編を引用したいくらい、よい文章、よいフレーズでいっぱいだった。


そのなかに、「〇をつけよ」という章がある。

「片親だから」というレッテルを貼られて生きてきた主人公の秀美くんが、ある日、高校で避妊具を落としてしまい、それを学年主任の教師にとがめられる。「不純異性交遊はよくないことだ」「そんなことにうつつをぬかしていると成績が下がる」「真面目な学生生活を送っていないと女手ひとつで育ててくれたお母さんが悲しむに決まっている」と、自分勝手な解釈で相手を決めつけ、それを押し付けるような指導をする学年主任に対し、彼はこう思うのだ。

『ぼくは、昨日のテレビ番組を思い出した。子供を殺すなんて鬼だ、とある出演者は言った。でも、そう言い切れるのか。彼女は子供を殺した。それは事実だ。けれど、その行為が鬼のようだ、というのは第三者がつけたばつ印の見解だ。もしかしたら、他人には計り知れない色々な要素が絡み合って、そのような結果になったのかもしれない。母親は刑務所で自分の罪を悔いているかもしれない。しかし、ようやく心の平穏を得て、安らいで罰を待ち受けているかもしれない。明らかになっているのは、子供を殺したということだけで、それに付随するあらゆるものは、何ひとつ明白ではないのだ。ぼくたちは、感想を述べることは出来る。けれど、それ以外のことに関しては権利を持たないのだ。』

『ぼくは、ぼくなりの価値判断の基準を作って行かなくてはならない。忙しいのだ。何と言っても、その基準に、世間一般の定義を持ち込むようなちゃちなことを、ぼくは決してしたくないのだから。ぼくは、自分の心にこう言う。すべてに、丸をつけよ。とりあえずは、そこから始まるのだ。そこからやがて生まれて行くたくさんのばつを、ぼくは、ゆっくりと選び取って行くのだ。』

こんな素敵な価値観を、高校生のうちからもっていて、しかも女性にもてる、そんな時田秀美くんは、思春期からずっと、ぼくのあこがれだし、なりたい理想像だ。読み返して、改めてそう思ったし、そう思える自分でいられてよかった。


あの頃より、少しは、秀美くんに近づくことができているのかな。

少なくとも、彼にレッテルを貼って指導する学年主任の佐藤先生のようにはならないようにしないといけない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?