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感覚を取り戻す旅、龍神、那智2020②

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光の中で目が覚めた。
大袈裟な表現でなく、目覚めたら本当に光の中にいたのだ。
朝の日差しが煌々と部屋に入って
障子越しに、明るく、暖かな光に包まれた部屋になっていた。
こんなに気持ちの良い目覚めはいつぶりだろう。
体も朝からすごく力が湧いているのを感じる。
この宿は何かに守られているのか、
もしかすると何かを守っているのか。
そんなことを考えながら私は
枕元に置いてあったカメラでひとしきり光の写真を撮った。

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昨晩、友と今日は車を貸してもらえそうなので
熊野の方に車で行ってみようと言う話になっていた。
本宮大社ぐらいなら行けそうだ。
だけど、私は本当は那智まで行きたいと思っていた。
本宮大社よりも那智大社の方が好きなのだ。
理由は分からないけど、本宮大社にはあまりなにも感じない。
だけど、那智大社、那智の滝には何かを漠然と感じる。
だから友をあそこにぜひ連れて行きたいと思った。
しかしここは龍神。ただでさえ本宮まで結構遠いのに
那智大社に行くにはもう少し足を伸ばさなければならない。
運転から遠のいて3、4年は経っていたので
自分の運転にも少し不安を感じていた私は
那智まで運転できるか考えあぐねいていた。

宿の若夫婦に聞いてみた。
「那智まで行けますかねえ」
すると2人は気軽に言った。
「全然行けるよ、本宮から45分くらいで。ここから本宮大社まで1時間半くらいよ。新しい道ができたんよ。」
なんだ、そんなに近くなったの。全然行けそう。
私の遠い記憶では龍神までものすごく遠くて
遠回りするような道しかなかったイメージだったから
これは吉報だと、思った。

心は決まった。
那智まで行こう。
片道約200キロぐらいだろうか。
久々の山道運転に心が躍る。

「道が2つあるんやけど、宿を出て左に行くか、右に行くか。左の道はナビに載ってない新しい道やけど景色がいいから、そっちで行けば?ずーっと行って橋を渡って突き当たりを左に行けば本宮大社にいけるから。突き当たり言うても結構行かなあかんけど。途中細かったり落石とかあったりもするけど、そう言う道でも大丈夫なら」

全然問題ない。むしろそんな道大好き。
ざっくりとした地図をスマホで一瞬だけ見せてもらう。
田舎道は大体にして一本道なのだ。それだけの情報で十分だ。

いざ、友を助手席に乗せて出発しようとすると、窓ガラスを叩く老人が。
え、誰?何用?第一村人?
「けいちゃん、おはよう」
「あ!お義父さん!どうしたんですか!」
どうやら友の義父だったよう。
わざわざ私たちに会いたくてミナベからやってきたらしい。
「今からどこ行くの」とお義父さん。
「本宮の方まで行ってきます!」と言うと
そうかそうか、気を付けて、じゃあ、と手を振った。
それだけのために来たのか。。。よっぽど会いたかったんだね。

気を取り直していざ出発。
ナビを設定しようとして、ふと考える。
ナビに載ってない道って言ってたな、じゃあ、ナビを設定しても
引き返せってうるさく言われるから、本宮に抜けてから設定すれば良いか。。。
とりあえず、橋を渡って、突き当たったら左、だけ間違えなければ大丈夫。

順調に走っていた。
途中から道幅が狭くなり、とうとう1車線になった。
本格的な山道への突入である。
どんどん山深く入っていって、落石やら、木が落ちていたり
決して整備が行き届いているとは言えない道をひたすら行く。
対向車と行き交うのも難しいくらいの山道になってきた。
友は今まで走ったことのない本当の山道を知って大興奮。

私は思い出していた。
懐かしいなあ、こう言う山道。
昔は嫌なことがあると、ひたすら車を走らせて
こう言う山道を飛ばしまくっていたなあ。。。
別に事故って死んだって良いと思っていた。
生きて家に着くたびに、また次の日までの苦痛に絶望していた。
ただ、あの頃は、長時間走らせないと、正気でいれる気がしなかった。
苦痛を自然が飲み込んでくれていた。

苦しかった過去を思い出しながら、30分、1時間と走ったあたりで
なんだか、変だなあ、と思い始めてきた。
何度も橋を渡って突き当たりのようなところに行くのに、
左に行っても行き止まりの道ばかり。右に行くしかないのだ。
新しい道だと言うてた割にはガードレールもミラーも古びていて
落石も、思っていたよりずっと多いし、整備もされていない。
対向車にも全然出くわさないのだ。
本当にこの道であっているのだろうか。。。
断崖絶壁で、確かに景色がいいと言えば良いけれども。。。
でも道なりにきただけで、間違えているとも思えない。
だんだん不安になってきた私とは裏腹に
友はアトラクションのような山道にひたすら興奮していた。

走り出して1時間半がすぎた。
そろそろ着くはずだけど、それらしい橋は出てこない。
こんな道で行けって案内するって、和歌山の民はすごいな。
さすが龍神はやっぱり秘境の地だ。
しかもこの道を1時間半でいけるんか、強いな。

2時間経って、ようやく赤い大きな橋が見えた。
あれだ!間違いない!やっと抜けた!
半ば、もう神隠しにあったのではないかと思い始めた頃だったので
2人は大喜びした。ナビにも大きい道が見える。
案内標識が見えた。だがおかしい。
新宮、本宮は右になっているのだ。
これは一体どう言うことなのか。
きっと本宮大社より新宮寄りに抜けたのだろう。
右に行けば那智、左に行けば本宮大社、と言ったところか。
ならば、右に行くしかあるまい。目的地は那智だ。

168号線はとっても走りやすいドライブコースといった感じで
私は快適に車を走らせていた。
するとどうしたことか、本宮大社が見えてきたのだ。
あれ、本宮大社もこっちだったのか。
左と言ってたように聞こえたけど、聞き間違いだったのだなあ。
なんにせよ、ここからならもう行ける。大丈夫。

そして、約3時間かけて2人はやっと那智大社に着いた。
感無量である。友が那智大社にいる。万歳。

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那智の滝を見る前に参拝しようと言うことになり、
ひたすら続く石段を登って行く。
友の足取りが早い。全然追いつけない。
都会の人なのに足腰強いんやなあ、と感心しながら
息をゼエゼエさせながらついて行く。
すると、ふと友が立ち止まって振り返り
あそこ、見て、と道の先を指をさした。
お土産屋さんがあった。よくあるやつ。那智黒石の店だ。
「ねえ、硯って書いてあるで!!」

行きしなの道中、私たちは話していたのだ。
硬筆を同じ先生に通信で習っている2人。
毛筆もやってみたいよね、と。
この前おしゃれ文房具の店で小さい陶器の硯があって
思わず買ってしまいそうになった話もしていた。

なんと、那智黒石で作った硯もあるのか。
那智黒石の存在はもちろん知っていたし碁石とかで有名なことも。
でも硯も有名とは知らなかった。こんなに来ているのに。

職人気質のおいちゃんが話しかけてくる。
「ここは那智黒石の店で、置物とかも売ってるけどね、この店の一番の商品は硯なんです」
掌に収まるぐらいの丸っこい硯を見せてくれた。なんて可愛い。
「これは那智黒石の中でも希少な玉石をそのまま手彫りで削り出してるんです。他の石のは加工されてますが、これはされてません。硯は絶対に、買う前に試し磨りをしてください。良いものは、磨ればわかります。磨らせてくれないような店で買ってはいけません。是非磨ってみて。」


これは。。。運命の出会いをしてしまった感が半端ない。
とりあえず、参拝してきますと、その場を離れた2人。
「ここに導くための旅だったんだね」と友が言う。
なんと、そう言うことだったのか。
本宮大社ではなく、那智を選んだことも
道中の会話も、これを想定していなかった。
こんな出会いがここで待っているとは。
やりなさい、書きなさい、精進しなさい、と言うことなのか。
神様、そうなのでしょうか。
分からないけど、でも、やってみようと思います。
これをきっかけにしてみようと思います。
不必要なものを落として、必要なものが降ってきた、そんな感じがした。

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参拝を終えてまた、さっきのお店に。
いくつか試し磨りさせてもらって、2人が選んだのは
「曼荼羅の径」と言う硯。
今まで墨を磨ると言うのはもっとざらざらした感じだったけど
この硯はニュルニュルしてる。
それはキメが細かい墨が磨れているからだとか。
気持ちが落ち着くと言うのがよくわかる。
何故だかお財布の中に、お金もあって
結局2人してお買い上げ。
最高のアイテムを手に入れて那智の滝へ。

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いつみても、那智の滝はすごい。
本宮大社は、開けている場所なのに
どこか滞った感じを受けるのだけれど、那智は違う。
変わらずに、変わり続けてる、動きがある。
多くの人の念を次から次へと受けても
全部それを洗い流すかのように、神聖さを保ち続けることができている。
ここにくるとそんな気がして、
自分のちっぽけな邪念も流されるような気持ちになるのだ。
龍神と違ってウェルカム。だけど、一人一人に触れてくる感じもする。
背筋がピンとなる気がする。
真っ直ぐに落ちてくる滝も潔くて気持ちがいい。

なんだかんだと、那智でたくさん時間を使ってしまい
満足してしまったのもあって、本宮大社は次の機会にすることにした私たちは
本宮にある温泉に入って帰ることにした。

私の中で、和歌山の温泉といえば、湯峯温泉のつぼ湯だった。
日本最古の全身浴ができる温泉。
人が2人入るのがやっとな小さな貸切温泉だ。
渡瀬温泉も、川湯温泉も近くにあって
どれもいい温泉なのだけれど、私はこの小さな小さなつぼ湯が好きだった。
多くのものを望まない自分にとって、ぴったりの場所だから。
体や頭を洗ったりもできない、ただつかるだけ。
だけど、このつぼ湯に入ると心も体もすぐに回復する。
山奥の寂れ気味の小さな温泉宿がいくつかだけ並んでいるのも落ち着く。
賑わってる温泉街よりもずっと気持ちがいい。
友もきっと気に入ってくれるはず。

案の定、友はつぼ湯を大変気に入ってくれたようだった。
スルスベの透明な龍神温泉とはまた少し違って
白濁として、硫黄の匂いがする。
薬湯って言われるだけあって上がった後もしばらくポカポカだ。

さて、帰りもあの険しい山道を頑張って帰るか、と
意を決して車を出発させた。帰りはナビも設定した。
来た道を戻ろうとすると、何やらナビが違うと言ってくる。
そっちではないよ、と。引き返しなさいよ、と。
来た道を戻っているのに、なぜに。
30分ほど、ナビを無視してきた道を引き返していたけど
この辺で、どうしても、違和感に逆らえず、一旦停車。
何かが変だ。ナビをもう一度設定し直す。
広域の地図を見て、ルートを確認すると、もう一度走り出した。
やっぱり戻らないといけないようだ。
なんだかわけがわからないけれど、ここはナビに従うことにした。
するとなんと、さっきの温泉のところまで戻ってきてしまったではないか。

えー、どう言うことー?
遠回りルートで帰れってことなのか。
まあでも、ナビに従っておくかあ。夜だし。
だけど、いけどもいけども、おかしいのだ。
行き道のような険しい山道にならない。
ずっと快適なドライブロードが続く。

こ、これはもしかして。。。
ここでやっと私たちは間違いに気づき始めた。
きっと、行き道がなぜか間違っていたのだろう。
今通っている道が、若夫婦が言っていた道なのだ。
確かに、道が新しい感じがする。
そういえばつぼ湯の場所を聞いた時も手前にあるって言っていた。
あんなひどい道をあえて勧めるはずがないのだ。
一体どこで、どう間違えたのだ?道なりに行ったはずなのに。
って言うか、抜けれたことが、またすごい。
その後にちゃんと那智までたどり着けたことも。
引っかかっていたことが全部線となって繋がっていく。
ナビの地図をもう一度見る。
この画面見たことある!朝スマホで見せてもらったやつと同じだ。
ちゃんと突き当たりで、左に行くようなルートになってるではないか。
謎が全て解けた瞬間だった。

えーーー、まじで驚き!
私たちは叫ぶしかなかった。
そして、あの険しい道を行くことになったのは
きっと何か意味があるのではないかと考えた。

思えば、違和感を感じた瞬間はたくさんあったのだ。
だけど、その違和感を私は無視をして道を進んでいった。
いかに普段から、違和感に鈍感になっていたかの象徴のようだ。
きっと、何度もサインを出してたのだ。
この険しい道は、あの2時間は
感覚を取り戻すための道のり、そのものだったのだろう。
違和感を大事にしなさいよ、と言う
和歌山に住んでる神様が何かを導いてたとしか思えない。
そして、なんとか目的地へは行かせてくれたこと、
そこで、運命の出会いが待ち受けていたこと、
最後の最後に、間違いに気づけたということは、
感覚を少し取り戻せた、ということだろう、きっと。

背筋がゾクゾクとしてくる。

2人で顔を見合わせる。
すごいよね、これって。というように。
なんだかほんとにすごい旅になったなあ。

7時のご飯にギリギリ間に合って帰れた。
全てのタイミングが図られているかのようだ。

私はこの少しだけ取り戻した感覚を
どこまで維持できるだろうか、と考えていた。
きっと、すぐに消えてしまうのかもしれない。
またすぐに、鈍感でいることを選んでしまうのかもしれない、と。
だけど少しでも長く、維持したいとも思った。
今なら少しは、それができるんじゃないかとも。
そのために、写真も、習字も、絵もしているのだろう。

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ここへきて、必要なものはほとんどないと感じていた。
テレビもいらない、ガジェットも最低限、
服も装飾も、着飾っても意味がない。
ずいぶんたくさん鎧のようにつけてきたものだ。
だけど、そんな不必要を手放した時間の中で
カメラだけはずっと肌身離さず持っていた。
カメラはきっと、私にとっては本当に必要なものなのだ。
それを、改めて気づいた旅でもあった。

本当に必要なものと
そうではないもの、を見極めること、
小さな違和感を拾うこと、
それが開いた感覚の維持には必要なのだろう。

和歌山の旅は龍神の山々のように奥深い。

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