手放して手に入れたもの

久しぶりにnoteを書いている。

この6月、
いろいろなものを手放した。

手帳とか万年筆とか
MacBook airにiPad pro、
キーボード、額、
もっと大きいもので手放したものもある。

どれも愛着が強かったし
自分にとってはなくてはならないもの、
そうずっと思ってた。

時間が変われば状況も変わる。
ずっと必要だと思っていたけれど
今も私にとってまだ必要なのか
考え直すいい機会だった。

あったら安心だけど
多分なくてももう大丈夫。
そう思えたことが一番大きい。

もうなくても大丈夫なものは
手放して身軽になろう。
そして今、必要なものを
また少し見繕う。
きっとそういうことの繰り返し。

本当はものはなくしていきたいのだけれど
まだ全部というわけにも行かないし
まだもう少し私の人生も続きそうなので
もっと楽しく生きれるアイテムを買った。

iPhoneで使えるキーボード、
DAP、TAGOのヘッドホン。

必要なもの、使うものが充実した。
いい音で聞いた「未完」にホロリ。
聞こえなかった音が聞こえる。。。
コンパクトになったキーボードも気に入った。
Macで使ってたマウスがiPhoneでも使えた。
動画の編集もなんのその。
立派にパソコンの代わりを果たしてくれている。

6月25日は私にとって特別な日。
もう20年経ってしまった。
20年もずっと泣いてきた日。
弔いの日。
それに区切りをつけようと今年やっと思えた。
罪悪感とか後悔とか
死ぬまで引き連れいて行こうと思ってた。
3日前までは。
でも、ふと、
今も本当にそれが自分にとって必要なのか
もう、そんなこと思わなくても
大丈夫なんじゃないか、
手放してみようか、と思えた。
何気ない朝の何気ない時間に。

そう思ったら心が軽くなるのを感じた。
自分が軽くなることを受け入れる準備も
少しずついろんなものを手放していく中で
力に変えてきたのかもしれない。
その瞬間に、何かを手に入れた気がした。
目には見えない、ものとかでもない、
でも確かな実感を伴う何か。

これがこの6月、私が手に入れた一番大きいもの。
写真にも写せないようなもの。

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