写真が好きなのではないということ

心から好きなもの、ありますか。

私にはあまり好きだと
胸を張って言えるようなものが少ない。

確実に言えるのは
私が写真をしているのは
写真が好きだからではない、ということ。

写真が好きなら、もっと写真を見たいと思うだろう。
憧れるような写真家さんに出会ったこともなければ
有名な写真家さんでさえ、ほとんど知らない始末。

じゃあ、私は写真を撮ることが好きなのだろうか。
まあ、嫌いではないけれど、それとも少し違う。

じゃあ、一体なんなのだろうね。

胸を張って好きだと言えるものといえば
私の場合ミスチルがまず挙げられると思うのだけど
ミスチルに対してはさ、本当に、多分
クソがつくほど真面目に向き合っていると思う。

「なんで、そんなにミスチルだけ、好きが続いてるの?」って
最近親友に聞かれたことがあるのだけど
その時は理由をうまく答えられなかった。

今思うとね、いっぱい、いろんな好きの理由があって
その一つ一つが絡まって一本の大木になっていて
その木が砂漠の中で成長を止めないのよ。
水を作って雨を降らしてオアシスを作っているのよ。
そこで、私はかろうじて生きていて
その水を飲み、その木になる実を食べて生きながらえている。
疲れた時は、その木に寄りかかって眠る。
滅多には咲かない綺麗な花を咲かせた日には涙を流す。
その根には私には見えないけれど
地球上のあらゆる歴史やルーツがあって
それがその木をずっと支えていて
今こうして、私を生かしている。
そのロマンに想いを馳せる。
私はその木の肌、葉の一つ一つを観察して
今は調子が悪そうだな、とか
これから新芽が出るな、とか考える。
蕾ができたら、毎日が楽しみになる。
その木の今と今までとこれからのことを真剣に考える。
ずっとそうやって25年以上経ってた。

言うなればそんな感じ。

どうしてそんなにその木が好きなのかって?
その木がその木を生きることにクソがつくほど一生懸命だから。

それが写真であっても、音楽であってもいい。
ミスチルじゃなくたっていい。
これでもかってくらい真面目に向き合ってる、そのことが好き。

多分自分が写真をしているのは
表現するということと向き合うことが好きだからなのだと思う。
たまたま、写真だったけど、本当はなんでもいい。
そういうものにずっと触れていたい。

ほんと、ただ、それだけなんだよなあって。
ようやく納得した、梅雨入りの夜。

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