寂しいとの戦い

「あなたはどんな人間ですか?」
そう聞かれたら私はこう答えるしかない。

「私は寂しい人間です」

大抵の人は私の寂しさを手に負えない。
私は人が思っているもっともっと大きな寂しさを抱えていて
きっと一生満たされたと感じることはないのだと思う。

それは私自身が私を満たすことを許さないから。

この寂しいと言う感情が
私は感情の中で1番苦手で、持て余していて、拒絶している。
この感情を見ないフリできるなら
不遇も我慢する。犠牲を伴っても。
あくまで「見ないふり」しか得られないとしても
常に脅かされているものから逃れられるなら、私には地獄よりはマシ。

だけどこの感情が私に見ない振りもさせないぐらい
突きつけてくるのは、もはや、日常茶飯事で
常に悩まされている、騒音みたいな、幻聴みたいなものだ。
あまりに日常的に寂しさを感じているので
寂しいと言う感情が生まれた瞬間にどうにもできなくて怒りが込み上げる。
だからきっといつも怒りとも戦っている。

友はある時私の飢えの大きさを知って涙を流した。
私は怖くてその涙を拭ってあげることもできなかった。
紛れもいない愛情に、私は怯え、動けずにいた。

愛されれば、怯え、疑い、不穏な気持ちになる。
愛されなければ、寂しくて、今にも死にそうな気持ちになる。
私はいつもこのアンビバレンツな感情に引き裂かれている。

一生これから解放されることはないのか。
ないのかもしれない。

好きなものを増やしても
自分への好きが一向に溜まってこない。
一体どれだけの好きなものを持てばいいのか。
今にも首が締まりそうなほど増やしてるのに。

できるだけ寂しさに奪われないように
人にも社会にも距離を置いている。
好きな人なんかできたら本当に大変。

病的に蔓延っていて
障害級に立ちはだかってる。
上手く生きられるはずがない。
いつだって途方に暮れている。

もはや解決策も浮かばない。
自分を満たしてあげる能力が私には備わっていない。
寂しい時に寂しいと口にするのなら
朝から寝るまでずっと寂しいと言っていなくてはいけない。
お手上げだ。もう振り回されるしか道がない。

諦めて寂しい感情とずっと添い寝して
気が済むまで寂しさに浸ればいいのなら
おばあちゃんになる頃には諦められるだろうか。
でも寄り添うより切り捨てようとする方を選んでしまう。
振り払えるはずなどないのに。
寂しさの苦しさに耐えられそうにないからいつまでも逃げてる。
いい大人になってもずっと同じ問題でつまづいてる。

もうもはや救われたくないのかもしれない。
結局寂しい自分が1番安全だと思っているのだろう。
寂しさと怒りを力に生きているのかもしれない。
寂しさで自分を埋めて空っぽの入れ物をパンパンにして
見せかけだけの人間でいること、それが私なのだろう。

「あなたはどんな人間ですか?」と聞かれたら
「空っぽの人間です」も付け加えなければならない。

根底の愛情や信頼感を築けないと
こんなにもポンコツに生きるしかなくなるのだから
私の運命は産道から決まっていたというしかない。
それを覆そうと奮闘してここまできてしまった。
覆せるぐらい強い人間になれたらよかったのに。

もう赦してほしい。

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