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漫才劇場は笑いの灘高である〜関西若手が育つ理由〜


【作家ツムラのお笑い"知らんけど"論考】


結論、よしもと漫才劇場は、
お笑い灘高である。


2014年12月に開館されたよしもと漫才劇場も、
早いもので9年目に突入している。

作家デビューが2015〜2016年だった私は、
ありがたいことに漫才劇場(マンゲキ)の歴史の
殆どを目の当たりにし、関わることが出来ている。


近年の、関西若手の目覚ましい活躍ぶりを
本当に喜ばしく思うし、
その上で、袖(なか)から視ている人間として
"よしもと漫才劇場の何が凄いのか"の
感想を一言で述べるならば

"マンゲキは、トップクラスの進学校と同じ"
と結論付けたい。


◆◆


思えば、開館したばかりの
漫才を冠した劇場"マンゲキ"若手の
快進撃のはじまりは
皮肉にも、8.6秒バズーカーのブレイクからだった。


劇場の裏口にファンの大行列…
関西では久々すぎる光景に、
全く関係のなかった自分も、
少し心躍らせた頃。


そこからコロチキが王者となり、
ゆりやん、ミキ、そして、新たな世代を
背負い、うねりの中心となった霜降り。

さらに、苦節が爆発
夢と希望の星屑をばら撒いたミルクボーイ。

他にも数え出したらキリが無いが、
ここ数年のお笑いの歴史の大部分を
たった一つの劇場が賄っているという異様な
現状に、違和感に、
業界もいよいよ驚きを隠せず、
雑誌・メディアで特集を組む。

"マンゲキは一体何が凄いのか…?"


◆◆◆


間近で働く私だからこそ、

というよりは、学生時代

三重のトップクラスの進学校に
通っていた私だからこそ気付いたことがある。



進学校の進学校たる所以は、
"進学校である"ということである。


各中学のトップが集まる進学校の高校には、
"かしこ"しかいない。
もちろん、かしこの中にも実力差はあり、
今までトップだった人間が一気に下位に
なることもしばしば。

かしこだった人間は、かしこのままでいたい。
周りには勉強を頑張る人間しかいない、
だからサボれない。
進学校から東大生・京大生が生まれるのは
周りにそのレベルの人間がわんさかいるから。

要は環境。
置かれている環境のちがい。

カリキュラムが違う…教師の質…
あると思う、あると思うが、
通っていた人間からすれば一番はそこじゃない。


休み時間に休まず、皆、次の授業の予習をする。
1年の時には授業が終わると教師に質問の
列ができる。
3年になるといよいよ、教師に生徒が間違いを
指摘し、解法を教え始める。
そんな奴らがいる環境。

周りがやっているから、
やらざるを得ないのだ。
落ちこぼれたくないのだ。
進学校ならではの緊張感。

これが、よしもと漫才劇場の正体。


◆◆◆◆


周りが売れているから
自分も負けていられない。


よしもと漫才劇場というある種の閉鎖的な
空間だからこそ生まれた
緊張空間。

常に漂うプレッシャー環境こそが、
マンゲキの強み、強さの理由に他ならない。


ただし、この強みには、いささか問題点がある。

つまり、この灘高環境は
確かな結果を出す、東大合格芸人が
定期的に生まれている、という
ある種偶発的な事実に裏打ちされているだけで

ひとたび、これが止まってしまうと、
この強みが反転、弱みに変わり、
他校にすぐに力負けしてしまう恐れがある。

気にすべきは、活動する環境だったのだ。


そういう意味でも、なお風通しを良くしたい。
芸人は、環境次第で大きく変わる。
良い環境で勉強してもらいたい、未来の東大生
候補はまだまだ沢山いる。


そして、教師…とは言わないまでも、
用務員のおっさん程度のポジションだとして、

少しでも、環境づくりに貢献できるよう
注力したいものである。




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