ADHDは狩猟民族というツイートを見かけて

「ADHDの人は直感で動く狩猟民族だから、何事も慎重な農耕民族ばかりの現代では生きづらい。ただ、農耕民族は作った農作物を独り占めするが、狩猟民族は獲った獲物をみんなに分け与える優しさがある。だから僕は、狩猟民族の人が好きなんです」心療内科のおじいちゃん先生に言われた。優しくて泣ける@t_a_m_a_g_o_03

一昨日だったか、こういったツイートを見つけた。

私はASDが強いADHDなので、やっぱり興味が湧いた。

狩猟民族と言われると、日本人は農耕民族だからまた違う民族なのかな?と思うのが普通なのかも知れないと思い、思い出すたびにぼちぼち考えていた。

決まった時間に決まった場所に行き決まった仕事をするというのは農耕民族らしいところだと思うが、チームの中で各自の得意なことやできることを考慮してメンバー内の役割を決めるのは狩猟民族的かと思う。

職場で多くの社員の中にいて、この狩猟民族要素が欠けていると感じていたのは、狩猟民族らしい性質を私自身が持っているからなのだろう。同じ施設内で働いている一つの「メンバー」のなかで、他部署だからどうの、何課だからどうの、中途だからどうの、よその施設から異動してきたからどうの、といちいち小さくまとめて文句の言い合いや小競り合いをしている様子は田んぼや畑の領地争いのようで、それを馬鹿じゃないのかなと思って眺めていた。

こういった経験が少くはあるもののあることはあるので、発達障害者は狩猟民族なんだと思う。相手がよその人であれどの立場であれ、お腹が空いている人を見るとご飯を奢ってあげたり食料を買うために少額でも握らせるというのはどちらかというと狩猟民族の感覚なのだろう。実際に酔っ払って倒れている人に声をかけたり、白杖に気づいてエスコートしたり、観客の少ないストリートミュージシャンに投げ銭をしたりするのが私は好きだ。気づいた瞬間から仲間なのだ。

また、助けを求められるのも狩猟民族らしいのではないか。3人でイノシシを追いかけていたら、イノシシがもう1頭現れて、3人では相手にできない。やべぇつんだ…と思っていたら、近くに2人の人影が見えたら助けを求め、一緒に狩り、5人で2頭を分ける。こういったことがあったと思う。後は腹減ったし皆でクマ狩ろうぜみたいなのとか。クマって雑食だけど美味しいのかな…

発達障害がある私や知っているネットの人や周囲の人は、できることとできないことの差が大きくて悩む人が多い。朝起きられないとか、人混みしんどいとか、風呂に入るのを先延ばしにしてしまう辺りが代表ではないだろうか。また、できなくて困った時に当事者のブログやフォロワーに聞いたり、なんならエアリプ(タイムライン上で多くのフォロワーが同じ内容をツイートしている…ような状態)で多くの工夫やコツを得ることもある。

こういった得手不得手の補い合いや情報のやり取りは、やはり「そういやあの辺の人らご飯ないって言ってたからわけたって」「あっちの原っぱ行ってみ、めっちゃ肥えた鹿おるで」みたいな情報交換がかなり重要だった狩猟民族ではより発達したのではないだろうか。モンゴルの遊牧民の挨拶が「家畜の調子どう?」で、農耕民族が多い日本の挨拶が「いい天気ですね」であるというツイートもどこかで見た記憶がある。考古学などは触れることが少くて不確かで多くの妄想が含むから私の意見は間違っているかも知れないが…

農耕民族は農耕民族で雨乞いなど儀式的なことをして畑や田んぼで働く人達を纏めていたらしい。それもそれで賢いし、天文学や地学の発展は人類の進歩にとって非常に大きな影響をもたらしたのは言うまでもなく、それはそれで大事にしていかないといけないと思う。

とか考えていたらあっという間に1400文字近くなっているからどうしようにもない…まとめなさいよ…

一先ず、狩猟民族と農耕民族の良し悪しなど勉強したいと思います。

相変わらず纏め方がざっついですが許してください。それではまた。

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