放課前

2024年3月24日 大阪城ホール
「放課後Jタイム〜15th Special〜」

五ヶ月前の野音で大々的に発表されたそれは、当時から今の今まで私の「生きる」支柱となっていた。一切過言ではなく。

三ヶ月前、21歳になった。
一年前の20歳になった時は成人済というものに実感が沸かなかった。外でお酒が飲めるようになった。タバコを吸えるようになった。実情も大して知らない国民年金への加入を義務付ける紙の入った封筒が届いた。
お酒は苦手だしタバコは臭いし、年金は学生様だから免除してもらってるし。どれも私には特別な変化とは言えなくて、自分ってハタチなんだ、へ〜〜と他人事のように思っていた。

3/1から本格的に就職活動が始まった。いや、実はもっと前の夏手前ぐらいからスタートはきっていたのだけれど。でもほら、インターンは参加必須ではないけど(企業によっては違うのかな、私は知らん)、本選考って逃したらもう後がないじゃない、転職を別としたら。
だからこう、一枚のESを書くだけでも伸し掛かるプレッシャーが比じゃなくて、休む時間はあるのに心が全く休まらないんだよね。就活ってやっぱりきつい。自分はもう子供じゃない、立派な成人で、社会を生きていく強さを持たなきゃいけないと毎日感じている。

ここ一ヶ月そんな日々を送っていたから、時代は令和なのに私の日々は白黒テレビに映るヤラセ感満載のバラエティ番組並に味気がなかった。就活というレールから外れる度胸もないから、操られるようにスーツを着てパソコンと向き合っている。

何回も書いてきたけれど、私は死を選ぶ勇気なんざ持ち合わせてないし生きることに対しては人並みに貪欲だから死にたいだなんて思わない。強くない、ただ弱いだけ。
生きることに貪欲である。
それは死ぬのが怖いのもあるけれど、生きたいと思わせてくれるものがこの世の中に溢れているからなんだ。
美味しいものに可愛い動物、友達と遊ぶ時間とか面白いゲームとか。見たい映画だってあるし読みたい漫画だってある。

何よりこの世界にはロックバンドがいる。

何もない日々を色付けてくれて、私が抱いたどれだけ小さな感情でも深掘ってくれる。ロックバンドって本当に凄い存在だとつくづく思う。

私の生きる原動力は、これらを"手放したくない"っていう我儘なんだと思う。我儘上等、人生なんて憂鬱の連続なんだから、自分の感情に素直にならないとやってられないでしょう。

そんな私のここ数ヶ月の原動力は、間違いなく今日、3/24。
放課後Jタイムと題された今日のライブは15周年を飾るライブ、会場は武道館よりも広大な大阪城ホール。

少しだけ、五年前の話を書こうか。
同じく三月の下旬、3/23(土)渋谷CLUB QUATTRO「"Cagayake!BOYS"ワンマンツアー」。
けいおんの楽曲をオマージュした名前を持っていたこのツアーこそが、私にとって初めてのワンマンでのハンブレッダーズだった。そりゃ思い入れも強いわけで、同ツアーの大阪公演のビデオは100回なんて優に超える程観ているし、セットリストはプレイリストにして五年間聞き続けてきた。
同じくけいおんからオマージュされた今回のライブタイトル「放課後Jタイム」。野音で発表された時は、否が応でもかがやけを想起させられた。

私にとって伝説級のあのライブ、それと同じタイトル付けのライブが信じられない程大きな会場で行われる。それだけでもう、私はこの五ヶ月生きるのが楽しくてしょうがなかったの。さっきモノクロな日々を送ってきたって書いたけど、そんな日々が放課後Jタイムを頭に浮かべるその瞬間だけはパッと華やかになっていたんだよ。

「終わってほしくない」
分かる、分かるよ。その気持ち私にも凄くよく分かる。今日が終わったらぽっかり穴が空いてしまうんじゃないか、一気に喪失感が押し寄せてきて潰れてしまわないか、って考えちゃうよね。

大丈夫、きっとそうさせないのがハンブレッダーズ。
今までのライブだってそうだった、少なくとも私はいつだって未来への期待とワクワクをハンブレッダーズから貰ってきた。だってさ、はじめから自由だったはまだリリースされたばかりできっともっと噛み砕き甲斐がある。ツアーだって準備してくれている。何よりハンブレッダーズは、「これからも音を鳴らし続ける」と断言してくれるバンドだからね。生きていればまた彼らの音に触れられる。

心踊るなあ。
何が聞けるんだろう。
何回拳を掲げるかな。

私みたいな捻くれ弱者にも生きていたっていいと歌って。孤独のためのロックンロールをそのギターで掻き鳴らして。
あの広い会場で、イヤホンすら介さないゼロ距離砲歌を浴びさせて。

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