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Rainbow㉚

 月光②

 「ドラァグクイーン」と言っても一括りにはできないことを、その夜真里は知ることとなった。昼間にエリーシャと居た場所は、夏至南風(かーちばい)というグリル料理を楽しみながらライブを観ることのできる会場だ。
 今夜はドラァグクイーンショーに出演する何名かで前々々夜祭と称してライブが行われた。これはこじ付けであって、ただ単に皆で盛り上がりたいだけの夜を過ごすのが慣例となっている。
 真里は、千夏や史。南乃花や咲人も一緒にライブ会場に来ていた。エリーシャは、ステージの前のテーブル席に座っていた。
 エリーシャは、真里を見つけると手招きして側へ呼んで、舞台へ上がるようにと言った。そして、エリーシャは司会の立花からマイクを預かり皆の前で話し始めた。
「誰かこの子の名前知ってる?」
「知らない!」
「可哀想に、迷子みたいなの。まだ名前すらない。誰かこの子に最高にセクシーな名前を考えてあげて!」エリーシャはそう言ってマイクを観客席の方に向けた。すると、すぐに返事が来た。
「マリー」没。「メアリー」また没。「フェアリー」あらかわいいわね、キープ。「ジョセフィーヌ」それはあんたの昔のドラァグネームでしょ!「フェラーリ」それ乗ってどっか遠くにお行き!
 間髪入れずに掛け合いをするエリーシャと仲間達が面白くて、真里は腹を抱えて笑った。
「つまんないわね! じゃ、ヒントを上げる。この子は、これから世界を飛び回って自分の表現力で多くの人を笑顔にするの!」エリーシャがそう言うと、また返事が来た。
「アーシャ!」ちょっと待って!それってヒンディー語よね? アーシャ、希望。希望よね!いいわ。この子の名前は、「アーシャ」みんなで名前を呼んで!ほら!「アーシャ!」会場全体に真里のドラァグネームが響き渡った。
「アーシャ、いい名前をもらえたわね! その名前を大切にしなさい。アーシャ」エリーシャは、真里の肩を叩き舞台を降りた。
 真里のテーブルには、ドラァグクイーンの仲間達から次々にグリル焼きされた肉が届けられた。咲人が言うには、名前をもらった今日が誕生日だからだそうだ。「ハッピーバースデー、アーシャ」と言いながら、皆が自分のプレートから肉を分けて、真里の元に届けてくれたのだ。真里たちのテーブルはすぐにいっぱいになり、父親の史と咲人が一所懸命に食べていた。それでも食べきらない量の肉がまだ目の前にあった。
 真里は会場全体を見て思った。エリーシャのように普段は派手な衣装を着ていない人や煌びやかな衣装で来ている人。カップルで来ている人もいた。また普段の業種も皆バラバラだった。看護士や介護福祉士、会社員や僧侶。皆、普段は仮初の自分を演じていると言っていた。ドラァグクイーンになって、派手な衣装を纏い今を楽しむのが快感だと真里の近くに座っていたドラァグクイーンが言っていた。
 真里は以前に「ドラァグクイーン」についてインターネットで調べたことがある。1870年頃のイギリス演劇で男優が女装して長いドレスを床に引き摺り歩く様子から「ドラァグ」と言う言葉が生まれたようだ。その後、ゲイカルチャーの中で同性愛者やトランスジェンダーの人たちがドラァグクイーンの世界を広げていった。今では、女性のドラァグクイーンや異性愛者のドラァグクイーンもいる。真里は不思議に思った。彼らは、ただ自身の表現方法として「ドラァグクイーン」を選んだ。真里がダンスを選んだのと同じように。だけど、同性愛者やトランスジェンダーの社会の風当たりは厳しい。どうしてなのか? 誰もが自分の人生の主役であっていいはずで、自分で悩んで悩んで決断した生き方なのに、他人から容赦のない言葉を浴びせられたりする。男性か女性か。世界は二分の一で分けたがる。まるで真里が進路決めのときに「進」か「就」で悩んでいたように。人生がそんな単純明快で一生を終えるのなら、果たして楽しいのだろうか? 以前なら、それしかないと諦めていたように思うが、今の真里には二分の一しか選択肢のない世界はひどく狭く思えてならない。
「これから世界を飛び回って自分の表現力で多くの人を笑顔にするの!」
 エリーシャが皆の前で言ってくれた言葉に真里は胸が熱くなった。私もエリーシャのように、世界を回り多くの人を笑顔にすることができたら、どんなに素晴らしいだろうか。真里は、素晴らしい未来を脳裡に浮かべ、心の温まりを覚えた。
 舞台上では、派手でおかしなリップシンクやお笑いのようなライブが続いていた。エリーシャは、その一つ一つに、拍手をし声援を送っていた。真里はエリーシャを見つめていた。昼間とは別人のように振る舞っているエリーシャを見ていると、真里は胸が締めつけられた。
 エリーシャが席を立つタイミングで真里は席を立ち、エリーシャの元へと向かった。
 ライブ会場の裏側は浜辺になっていて、夜空には三日月が掛かっていた。
 エリーシャと真里は、二人で浜辺を歩いた。
「ねえ、『エリーシャ』っていうドラァグネームの意味は何?」真里はこれまで聞いたことのなかった話をした。
「『救い』よ。もとはエリシャというの。それがいつの間にか、エリーシャになった。心はね、聞いた言葉で作られるの。だから、『エリーシャ』って名前を自分以外の人から呼ばれることで、自分の心に言い聞かせているの。『人々を救う人になれ』ってね。そうやって今まで生きてきた」
「エリーシャは、心が強いんだね。私ならすぐに挫けそうだよ」
「ううん、私はそんなに強い訳ではないわ。目の前で死んでいった仲間もいるし、救いの手を最後まで握りしめることが出来なかったこともある。その度に挫けて泣いて。……私がここまで来られたのは、やっぱりみんなのおかげよ。みんなが『エリーシャ』って私の名前を呼んでくれるから、私はまた立ち上がり前を向ける!」エリーシャはサンダルを脱ぎ、裸足になり砂浜を歩いた。昼間の猛暑の残りが足裏に伝わってくる。
「そういえば、ずっと気になっていたことがあるんだけど。……エリーシャが三年前にここに来たのは何故?」真里は夜の海を見つめていた。
「……」
「エリーシャ?……」エリーシャからの返事はない。真里は不吉な予感がして後ろを振り返った。すると、エリーシャが砂浜で倒れていた。真里はすぐにエリーシャの側まで駆け寄り、助けを呼んだ。
「エリーシャ! エリーシャ! 誰か! エリーシャが! 助けて! 早く助けて!」真里の叫び声にライブ会場から人々が出てきた。そして倒れているエリーシャを見て驚き慌てた。ドラァグクイーンの中から看護士をしている人が駆け寄りその場を仕切った。看護士は、救急車の手配や意識の確認などを行い、救急車が来るまで間、エリーシャの容態を確認していた。
 しばらくして、救急車が到着し千夏が付き添いで乗り病院へ向かった。真里と史は、救急車の後に着いて自家用車を走らせた。
「エリーシャ死なないで! お願い!」真里は月桃の茎で作ったマジムン(悪霊や魔物)を祓いのお守り「サン」を握りしめ祈った。
「朋樹さんの体は、そんなに悪かったのか?」史がハンドルを握り聞いた。
「朋樹じゃない! エリーシャよ!」真里は怒鳴った。
「おいおい、名前一つでそう怒るなよ。ただの名前だろ?」史は興奮している真里を宥めようと落ち着いたトーンを心掛けて話した。
「違う! エリーシャは『救い』なの。ただの名前じゃない! 願いの込められた大切な名前なの! エリーシャは、エリーシャなの。……」真里は自身では、もはや抑えきれない感情を史にぶつけていた。涙が次から次へと込み上げてきて、胸が痛くなった。サイドミラーに映る三日月のように、心の大半を闇に持って行かれた気がした。真里は再び強く「サン」を握りしめ祈った。
 目を閉じると、エリーシャの優しく微笑む顔が真里の瞼の奥に張り付いていた。(つづく)

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