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Rainbow⑧【note創作大賞2024/オールカテゴリ部門】

第8章 熱帯夜
 八月某日、カンカン照りに空は晴れ、熱中症予防のため会場全体にミストが設置された。
 午後一時から開催される石垣島ドラァグクイーンショーに向け、各サブステージやメインステージでは最終確認が行われていた。五千枚の前売り券は既に完売しており、当日券を求めてホテルの外壁沿いに長蛇の列を作っていた。
 そんな中、咲人はトラブルの渦中にいた。開始まであと二時間を切っていた。
「ジャスミンが来ないのは、昨日あなたが『本当にブスね』とか言うから傷ついて来られないんじゃない? きっとあなたのせいよ!」
 年長のミミズクとノースフォックスがドラァグクイーン二年目のジャスミンのことについて揉めていた。咲人は、スタッフから無線で連絡を受けて来たところだった。
「何よ! 『ブス』は、私たちの間では挨拶みたいなものじゃない! 昨日はジャスミンだって笑ってたし」
「彼女は、きっと繊細さんなのよ。顔では何でもないように振る舞うけど、心では傷をたくさん溜め込んでるの」
「そんなこと、先に言ってくれなきゃ分からないじゃない!」
「どこに、『私、傷つきやすいので注意してくださいね』なんて言う人がいるのよ! 察しなさいよ!」
「察するって、私には無理よ。だって私たち世代は、酷い言葉言われてなんぼだったじゃない? ミミズクだって、『早く森へ帰れ』なんてお客さんに言われてたじゃない?」
「時代は変わるの。いつまでも同じ訳ないでしょ? あの時代は、今みたいに綺麗なドラァグクイーンなんてほんの一握りぐらいしか居なかったでしょ。今の子たちは、綺麗になる事で自分を表現してるのよ。派手なメイクで『汚い』なんて笑いを取る時代は、もう終わったのよ。私たちの時代は終わったの!」ミミズクとノースフォックスが寂しそうに肩を落とす。
「ミミズクさんもノースフォックスさんも、まだまだ現役で活躍されてるじゃないですか。終わったなんて言わないでください。……ところで、ジャスミンさんとは連絡取れてますか?」咲人はスマートフォンで時間を見た。開始まで残り一時間ちょと。思っていた通り、すんなりとは事が運ばない。リップシンクの得意なジャスミンが穴を開けるとなると、対処することは二つ。時間とファン対応だ。時間については、そのサブステージの出演者の演技時間を少しずつ延ばせば時間は埋まる。しかし、ファン対応については、ジャスミンを応援しに来ている人に何と言えばいいのか見当もつかない。どうにかしてジャスミンを連れて来ないと。……咲人はイライラしていた。
「ねえ、老眼が酷くてさ。サクちゃん、スマホ見てちょうだいよ」ミミズクから半ば奪うようにスマートフォンを取った咲人は、電話帳で「ジャスミン」を検索したが、見つからない。
「あ、あの子。公認会計士してるって名刺渡してたから、もしかしてドラァグネームじゃない方で登録したゃったかも?……名刺、まだ持ってたかしら?」
 咲く人を髪の毛を揉みクシャにしながら、イライラしていた。プログラムからジャスミンの時間を消すかどうかを早く決断しなければならない。それに観客へのプログラム変更の対応。咲人はまたスマートフォンを見た。もう仕方ないが、ジャスミンのプログラムは削ろうとスタッフに無線で伝えようとしたそのときだった。
「言ったでしょ! 出演者の話にちゃんと耳を傾けなさいって」掠れた声で、エリーシャがロイヤルブルーのタイトなワンピースと頭にはスカーフを巻き、サングラスを掛けて咲人たちの前に現れた。
「エリーシャさん!……何でここに? 退院はまだ先ですよね?」咲人やミミズク、ノースフォックス含め。その場にいた人たちが驚きと喜びの声を上げた。
「咲人! 出演者だって人よ。不安に苛まれたり、緊張や心配で胸が張り裂けそうになったりして、逃げ出したくなることだってあるの。覚えておくのよ!」
 エリーシャの後ろから、一般人の気の弱そうな若者がスーツケースを持って現れた。
「ジャスミンよ。空港から連れ戻してもらったの、立花に」エリーシャの話しに皆は再び驚いた。ジャスミンは、エリーシャに促されるまま事の成り行きを説明した。
「実は、僕。まだ職場にドラァグだってカミングアウトしてなくて。昨日たまたまSNSを見てたら、職場の同僚が友達と石垣島ドラァグクイーンショーを観に来てるって知って。……それでバレたくなくて帰ろうと空港に行った次第で」全てを話し終えると、エリーシャがその場にいる仲間たちに聞いた。
「この中で、職場にドラァグクイーンだと公言している人はいる?」すると、一割ほどの手が挙がった。
「じゃ、これから先も職場にはカミングアウトしないって決めている人!」今度は、ほぼ全員が手を挙げた。
 エリーシャは、ジャスミンに体を向け優しく言った。
「ほら、あなたの苦しみや不安を理解してくれる人たちがたくさんいるじゃない。カミングアウトするしないは、あなたが決めることだから何も言わない。あなたが守ってほしいっていうなら、私たちが全力であなたを守る。ドラァグ仲間の結束は強いのよ! だって世界は、私たちを中心に回ってるんだから!」エリーシャはジャスミンに微笑みを向けた。先程まで暗い顔をしていたジャスミンは、前を向き明るい表情を皆に見せた。
 エリーシャは、咲人にジャスミンから同僚の顔が写っている写真を入手させ、ドラァグ仲間に一斉送信させた。そして、ジャスミンの演技時間帯や通路を歩くときには、近くにいるドラァグ仲間でニアミスを防ぐよう指令を出した。
 咲人は、エリーシャが来てくれた安心感と体調面での心配が重なって困惑した。すると、千夏から着信がきた。不思議に思い電話に出ると、いきなり「エリーシャは、そっちにいるんでしょ? 代わって!」と怒り交じりに言われた。咲人はすぐにエリーシャにスマートフォンを渡した。
「千夏、まんまと騙されたわね。……史を使わせてもらったわ。あなたも早く会場においで」エリーシャは、楽しそうに千夏と話していた。
 咲人がエリーシャから事の成り行きを聞くと、こういうことだった。
 今朝、緊急手術が入ったとエリーシャが千夏に嘘をついて、医師のところに説明を聞きに行くよう指示した。その隙に、史と簡単な荷造りをして病院を抜け出し、車で会場まで来たということだ。
 エリーシャは楽しそうに笑っていた。それを見て咲人は、これまでと同じように、エリーシャの自由にさせた方がいいと思った。何かあったらすぐに病院に連れて行けばいいと覚悟を決めた。
 エリーシャは、無線トランシーバーを握り、会場に散らばるスタッフ、共演者たちに言葉を送った。
「皆、Show Must Go Onよ! そしてクイーンたち!今日は朝まで踊り明かすわよ!」
 エリーシャの言葉に、各会場から野太い歓声が挙がった。石垣島ドラァグクイーンショー開始三十分前の出来事だった。

***

 開場と同時に一万人を超える観客が会場に流れ込んだ。入り口で配布したマップや特設サイトを通じてお目当てのドラァグクイーンやプログラムが行われる各サブステージに散らばっていった。あっという間に全てのステージ席が埋まり立ち見の観客まで出ている。ドラァグクイーンショーを初めて実際に観る人々は、その迫力と痛快なパフォーマンスに皆、心を奪われた。
 エリーシャは、ショーだけでなくドラァグクイーンをより深く理解してほしいという思いで、「クイーンのお悩み相談室」や「クイーンのタロット占い」他にも「クイーンの読み聞かせ」などのブースを設けて実に多彩なイベントを企画していた。ドラァグクイーンたちは、自分の得意を活かして来場者たちをもてなしていた。
 エリーシャは、それら全ての会場を歩いて回ろうとしたが、さすがにまだ体力も回復していない状態だったため、エリーシャを車椅子に乗せて真里が付き添った。真里は慣れないドラァグクイーンの衣装とハイヒールを履いて、「アーシャ」として振る舞った。
 各サブステージでは、仲間たちの溌剌とした姿を真里とエリーシャは観て聴いて楽しんだ。
「さあ、そろそろメインステージの確認に行かなきゃね」エリーシャが言う通りに、車椅子をメインステージの方へ進ませたとき、トランシーバーから声が届いた。
「エリーシャさん、忙しいときにすみません。咲人です。いま、チケット売り場の所に居るんですけど、ドラァグクイーンショー中止を訴える団体が通行の邪魔をしているという苦情がありまして。さっきその団体に話したんですけど、なかなか退いてくれなくて。どうしますか?」咲人は、二〇二二年に起きた「ドラァグ・パニック」のことが脳裡をよぎった。
「ドラァグ・パニックになる前に手を打つ必要がありそうね。いいわ、ホテルのロビーに通して。私が相手をするわ」エリーシャは行き先をロビーに変更して、真里に車椅子を向かわせた。
「ねえ、エリーシャ。『ドラァグ・パニック』って何?」真里の質問にエリーシャは簡潔に答えた。
 二〇二二年、アメリカやカナダなどでドラァグイベントに対する反対抗議活動が起こった。彼らはドラァグクイーンがイベントを利用して未成年者を洗脳したり性的対象としている可能性を訴えた。

 ロビーで、団体のメンバー五人を迎えた。皆、女性で子育てを終えた人もいれば、真っ最中だという人もいた。エリーシャは丁寧に握手を求めたが断られた。
 お互いに向かい合ってソファーに座ると、団体の一人が突然真里に年齢を聞いた。
「あなた、お歳はいくつ?」
「十八です。……」
「ほら、やっぱり噂は本当だったのよ。地元の高校生を洗脳してるって話」五人は、とんでもない場面を発見し、その証拠を握ったとばかりに顔を見合わせた。
 そこに、千夏と南乃花が病院から会場に到着し、ちょうどロビーの前を通り掛かった。
「真里、エリーシャ。どうしたの? 会場に行かなくていいの?」千夏が真里とエリーシャを見て、その向かいに座る五人の女性に軽く会釈をした。真里は、目の前に居る団体のことを紹介した。
「こちらの方々は、ドラァグクイーンショーの中止を訴えている人たち。……です」
 南乃花は、彼女たちを物珍しそうに見た。
「へえ、日本でもドラァグ・パニック起こす人いるんだ。私、初めて見た!」
「何? ドラァグ・パニックって?」千夏が南乃花に聞こうとしたが、真里が止めた。「そのくだり、さっき終わったから、後で説明するね」と言った。
 団体の一人が、今度は千夏と南乃花に喰ってかかった。
「あなたたち、これでも親なの? 娘が露出の多い衣装を着て、周りから性的な目で見られることに、かわいそうだと思わないの?」
 南乃花が喧嘩を買い、反論した。
「他人様の子育てに口出し出来るほど、あなた方の子育ては素晴らしいんですか? 子どもが何処かの国の大統領にでもなったの? 世界の貧困問題を全て解決したとでもいうの? 言ってみなさいよ!」
「……少なくとも、あなたたちのお子さんよりは、マシに成長していると思いますけど!」彼女は、苦し紛れの言葉を吐き捨てそっぽを向いた。
「失礼ですが、この子は私の子です。私はこの子を誇りに思ってるんです! 誰かと比較されても困るんです。真里は、この世に真里一人しかいないので、そこのところ、訂正してくださいませんか?」千夏は、冷静な口調で彼女たちに迫った。真里は知っている、冷静な口調の時ほど千夏の怒りは最高潮に達していることを。
 すると、先ほどから黙ったままだったエリーシャが、ようやく口を開いた。
「素晴らしい! 私はあなたたちのような人を待っていました! ちょうどコンプライアンス委員会に人員が必要だと思っていたところだったんです。もし、お時間がよろしければ、コンプライアンス委員会として会場を見て回ってくれませんか? こちらに居る二人をお供に付けます」エリーシャは、サングラスの奥で笑顔を作りお願いした。
「エリーシャ! こんな傲慢な人たちを相手にすることないわよ」千夏と南乃花は嫌がったが、エリーシャが再度お願いしてきたので断るに断り切れず承諾した。
 エリーシャは、団体の方々にもお礼を言ってメインステージに行かなくてはならないということを伝え、その場を離れた。
 彼女たちは、呆気に取られていた。全面戦争を仕掛けに来たのに、丁重なおもてなしをしてもらい、おまけに敵の内情まで徹底的に調べてくださいと敵からお願いされたのだから、そうなるのも仕方ない。
「エリーシャ、大丈夫なの? あのおばさんたち、酷いこと根掘り葉掘り書いて、『ほら! 見てみなさいよ』って言ってくるよ。きっと」真里は車椅子を押しながら言った。
「そうなったら、そうなったときに考えればいいことでしょ? 私はドラァグという生き方を選んだ。だから、ドラァグの良さを伝えたいと、こうやってショーを開いてる。でも、私の好きを彼女たちに押し付けるのは、私は違うと思う。彼女たちがこうやって会場まで来てくれたんだから、互いに歩み寄る機会を作ってもらったと考えれば、有り難いことでしょ。何もドラァグクイーンの全てを理解して愛してほしい訳ではないの。ただ、お互いに歩み寄れるところを模索して譲り合って、その譲ってもらった分を親切で返していけたら、素敵じゃない?」エリーシャの声は弾んでいた。
「エリーシャは、人が良すぎるよ。……」
「ハハハ、ただ、この人生を楽しみたいだけよ」
 真里は、エリーシャの心の奥底がどれ程の深さなのか計り知れない。と痩せ細った彼女の後ろ首を見て、風を切るように車椅子を走らせた。

***

 いよいよメインステージでのショーが始まる。世界でも著名なドラァグクイーンによるショーとあって、観客たちも国際色豊かだ。
 ステージは、ビーチに向けて作られている。観客は、海を背中に砂浜で立ち見をしている。
 エリーシャと真里は、メインステージ裏の控室に到着した。すると、史が真里の所へ駆け寄ってきた。
「おいおい、時間ギリギリだぞ!……それと、お母さんを見なかったか? もうすぐ着くって言ってたんだけどな」真里は史の恰好を見てびっくりした。
 黒のパンツに白Tシャツ、その上からサスペンダーを掛けている。
「どうしたの? その恰好」
「エリーシャから、メインステージの警備主任をお願いされたんだ。ライブ中の安全はお父さんが守るから安心してくれ!」史はヤケに上機嫌だった。
 真里は小さな声でエリーシャに「かなりのビビりだけど大丈夫?」と聞いた。すると、エリーシャも小声で答えた。
「史さんが、何か手伝えることないかって、しつこくて。警備の方は問題ないわよ。史さん以外はみんなプロだから!」
 真里は深く頷き、史に声を掛けた。
「お父さん、頑張って!」真里の言葉に、史はガッツポーズを見せメインステージの前へと掛けて行った。
「あなた、優しいじゃない?」
「ま、私なりの『親切』かな!」真里の言葉を聞いて、エリーシャは声を出して笑った。

 海外からきたドラァグクイーンの中には、海外テレビ番組でよく出てくるル・ポートがいた。エリーシャは、メインステージの一部のプログラムを彼女に任せていた。彼女は、リップシンクを中心に演出を考えていて、エリーシャもそれを了承し段取りを進めていた。
「ル・ポート、今回は本当に助かったわ。あなたのおかげで、メインステージも滞りなく本番を迎えられる。本当にありがとう」
「あなたの期待に応えられるよう、全力を尽くすわ」そう言って二人はハグをした。

 ル・ポートの演出で日本といろんな国から集まったドラァグクイーンたちが夢の共演を繰り広げた。会場は、大盛況となり陽は西の空に傾き掛けている。最後のプログラムは、エリーシャの演出による全ドラァグクイーンのラインダンスだ。これはエリーシャのショーの代名詞ともなっている。曲が流れ出すと、ステージ上ではドラァグクイーンたちが歌いながらラインダンスを始めた。すると、観客側に真里やサポートメンバーたちが乱入し観客と一緒になってラインダンスを楽しんだ。観客に混じって千夏や南乃花、そして五人の女性たちもラインダンスに加わっているのを、真里は見た。
 会場が笑顔に包まれている。手と手を取り合い、肩を組み合って一つの時間一つの空間で.「一つの幸福」が、たくさんの人たちによって創り上げられていく。
 大きな理想や戦略、大義名分や協定。そんなもの無くても、今こうして皆の思いが一つになっている。真里は、陽の沈む西の空を見て思った。この地球も一つの空間であるならば、「一つの幸福」を世界全体で創り上げることができるのではないだろうか。
 そう考えてから真里は可笑しくて笑った。
「エリーシャの側にいると、考え方までグローバルになってきた」
 真里たちをオレンジ色の光が包み込んだ。

***

 陽が沈み、夕闇が興奮冷めやらぬ観客たちを急かすように辺りに迫ってきていた。日中のステージは、予想以上の大盛り上がりで幕を閉じた。サポートメンバーとスタッフで会場や控室の後片付けをしていた。真里と琴美はメインステージの控室を片付けしながら、あれこれ話しをしていた。
「私ね、実は真里に内緒にしてたことがあるんだ」琴美は、テーブルを丁寧に拭きながら話した。
「真里が劇団休み出して、先輩とかにも頼れない状態になってさ。私一人ではもうどうにもならない状況だったとき、千夏さんにね、相談したの。真里を劇団に戻す方法はないかって。そしたら、千夏さんがその場でエリーシャに連絡して、あっという間に今回のドラァグクイーンショーが決定になっちゃった。本当に、有り得る?って感じだったけど、……やっぱり、エリーシャは凄い人だよ」
「琴美には、本当に心配掛けてごめんね。あと、たくさん気苦労掛けさせて、ごめん。私、きっと自分を見失っていたんだと思う。夢とか目標とかもこれまで漠然としたものばかりでさ、正直どうでもいいと思ってた。だけど、琴美は私を見放ずに居てくれたし、エリーシャは導いてくれた。今になって思うと、自分がどれだけ我儘だったのか。恥ずかしくなるよ。だから琴美、ありがとう! 私を信じてくれて」真里が琴美に笑顔を向けると琴美は、涙を拭っていた。
「もう、また泣いてる。本当に世話の焼けるリーダーだこと!」真里は琴美の元に行き、優しくハグをした。

***

 夜は、ライブ会場でジャズライブを行なう。会場の中は特別券を購入された方とドラァグクイーンたちのために席が確保されている。サポートメンバーたちは、会場の外に設けられたBBQエリアから今夜のライブを観る。
 真里はエリーシャの歌のときに踊る予定だったが、エリーシャの声の調子が戻らないことを考慮して、事前に咲人が踊る予定だったいくつかの曲を真里に分けていた。真里は昨夜までにその曲の振り付けを咲人から習い練習していた。
「咲人も真里も、次はあなたたちの番よ! 楽しんでらっしゃい!」エリーシャは、舞台袖に車椅子を停めて二人に声を掛けた。
「行ってくるね!」真里はドラァグクイーン歌手の後に続き舞台に出て行った。真里は白シャツにブラウンのパンツ、足は裸足という恰好で舞台上に現れた。
 ドラァグクイーン歌手への声援に混じり、真里を呼ぶ声も聞こえる。琴美たちが希望を繋いでくれたおかげで、こうして舞台上で踊ることが出来ている。
 真里は、今夜のダンスは皆への感謝の思いを込めて踊ろうと決めていた。頭のてっぺんから足のつま先まで、真里は思いを込めて踊った。踊りながら千夏や史、南乃花や劇団のメンバーの顔が見えた。「私にも出来るだろうか。」ふと真里の脳裡に、ある思いが芽を出し始めた。「エリーシャのようにはいかないだろうけど、私にも誰かの人生を救うことが、出来るだろうか。――せめて自分の手の届く人々だけでも、希望の光を灯してあげることが出来たら、そうしたら次はその人たちが、自分の手の届く人々へと希望の光を灯す」――壮大な、夢物語みたいな考えだが、真里はその芽を大切に守り育てていきたいと思った。いつか、大樹となり花を咲かせるその日まで。
 三曲を踊り終えて、真里は咲人とダンスを入れ替わるために舞台袖に戻った。
「お疲れ様、息が荒いわね。その様子だと踊りながら何か考え事してたんでしょ?」
 舞台袖に戻るやいなや、エリーシャは真里の踊りが見えていたかのように、鋭い指摘をした。
「すごい! 息遣いだけで分かるの?」真里は必死に呼吸を整えながらエリーシャと話した。
「当たり前でしょ。何年踊ってると思うの。それで、何を考えてたの?」
「ちょっとね。……夢が出来たの。でも、いまは内緒!」真里は水を一口飲んだ。
「ねえ、真里。どうしても歌いたい歌があるの。私のために踊ってくれない?」
「え、声は大丈夫なの?」
「私にとって、これが最後の舞台になるのよ。声よりも伝えたい思いの方が優ってるの」
「分かった。何を歌うの?」真里はエリーシャから曲名を聞いた。
「それと真里、ダンスのテーマは、――」
 エリーシャから伝えられたテーマに、真里は驚いた。

 砂浜は放射冷却を始め、日中の蒸し暑さが空へと放出されているにも関わらず、熱気を帯びた会場は、やはり彼女の登場を心待ちにしていた。司会からエリーシャが歌うことを伝えられると、会場のボルテージは絶頂に達した。真里はエリーシャの車椅子を押しながら舞台中央へと歩んだ。
 掠れた声で、エリーシャが会場に挨拶をした。
「拍手、声援をありがとう。こうやって舞台に上がってはみたものの、私からみんなに伝えたいことは、ただ一つなの。それを歌に込めて歌うわ」
 静まり返った会場にピアノの音が響き渡り前奏が始まると、会場中に拍手が沸き起こった。流れている曲は、キャロル・キングの「You've got a friend」だ。
 エリーシャが歌う前から早くも涙を流している人もいた。エリーシャは、掠れた声で歌い始めた。だか、息が続かない。すると、会場にいるみんなでエリーシャを応援しようと歌声が広がり始めた。
 真里はエリーシャの思いをダンスで踊り続けている。
――ある日、夜空から小さな種子が地上に落ちてきて、小さな芽を出した。その芽は生長して大樹となり、蕾が出来て花を咲かせる。花は、風に乗って全ての人の元へと届けられる。人々は星に感謝し、心にある優しさを星空へと返す。そうやって地球をまるごと包み込んだ優しさは、また小さな種子を生み出す。
 会場は、「ユーブ・ガッタ・フレンド」の大合唱へと変わっていった。エリーシャの体は震えていた。マイクを握る彼女のサングラスの奥からは涙が溢れ、とめどなく流れ落ちていくのだった。

#創作大賞2024 #オールカテゴリ部門


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