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Rainbow㉗

 渇望④

 石垣自然の家を出た二人は、緑風を受けて赤のオープンカーを走らせた。
 「ねえ、なんか冷たいもの食べたくない?」南乃花が風に掻き消されないように大声で話した。自然と千夏も大声で返事した。
「ここからだと、『ミルミル本舗』ってジェラート店があるよ」
「近いなら、そこに行こう!」南乃花がアクセルを踏み込んだ。
「ねえ、ルーフ閉じないの?」千夏が風を左手で遮りながら、聞いた。
「え、ルーフって何? 私、こんな車乗るの初めてだから、分かんない!」南乃花は、ハンドルを持ちながらルーフの開閉ボタンを探した。
「レンタカー、誰が選んだの?」
「立花さん! エリーシャのマネージャー」
 千夏は、汗だくの立花さんを想像した。「確かに立花さんなら選びそうな車だ」と思った。
 千夏は、南乃花に車を停止させルーフ開閉ボタンを探した。ルームミラーの上にボタンを見つけ、押すと後方からルーフが出てきた。
「ありがとう。ルーフの閉じ方、教えてもらっておけば良かったな。せっかく、かっこよく登場したのに」南乃花は、残念そうな顔を見せた。
「かっこよかった、……よ。颯爽と現れて連れ去るシチュエーション、一度経験して見たかったから」千夏は、先程までとは違い、どんな話しをすれば良いのか分からず困惑した顔になった。
「それじゃ、姫を連れてジェラート店へと駆け込みますか! 愛の逃避行よ」南乃花は再びアクセルを踏み、車を走らせた。

 ジェラート店は、広大な敷地を前にポツンと建っていた。道を挟んで隣にはお土産店がある。
 二人はジェラート店でそれぞれに注目した後、店の外にあるテーブルに着いて、話しをした。
「このジェラート、美味しい! また来よう。私ね、高校時代に千夏さんと、こんなことしたかったんだ」南乃花は、初めて会ったときのように「千夏さん」に戻っていた。
「『千夏』でいいよ」そう言って千夏は微笑みを向けた。
「それじゃ、私のことも『南乃花』って呼んでくれる? さっきから、私の名前呼ばずに会話してたから違和感があったの」南乃花は、ジェラートを一口食べた。
「ごめん、気を遣わせちゃって。……」千夏は、カップに入ったジェラートが溶けていくのも構わずにスプーンでジェラートを回しながら、南乃花に言った。
「二十年、あなたに会いたかった!」南乃花は、真剣な目で千夏を見た。
「愛の告白? 本当は二十年、私のことを憎んでいたんじゃない?」千夏は、カップを見ながら話している。
「あの日ね。……」と南乃花の声が少し低くなった。
 その時、風が吹き、二人の前に広がる草原を駆け抜けていった。

 二〇〇〇年、辺りはすっかり暗くなり、点在する街灯を頼りに人々は歩いていた。南乃花は合宿所に続く長い下り階段の前にいた。人目を避けるため緑の壁の下にあるベンチで身を潜めた。
 南乃花は、千夏が階段を降りるときを待っていたのだ。千夏が怪我をすれば、世界への挑戦やベルギーの劇団からのオファーも無くなるだろう。南乃花の心は荒んでいた。自分がどんなに努力をしても、千夏はすぐに追いつき、追い越していく。おまけに、朋樹先輩からは絶大な信頼を集めている千夏が、憎かった。
 千夏が自主練習を終え、あの長い下り階段を降り始めたとき、南乃花は決心して千夏の背後に回った。
 そのときの気持ちを南乃花はその後幾度も思い出し苦しむことになる。憎しみに心を染めた人間は、善や悪の区別もつかなくなる。千夏の背中にあと少しで届きそうな瞬間。――誰か、私を止めて! そんな思いが南乃花の頭をよぎった。すると、千夏が後ろを振り向きかけた。慌てた南乃花は、足を滑らせ階段を転げ落ちた。
 全治二週間の怪我だった。退院後、南乃花は千夏に謝りたい気持ちで学校を訪ねた。すると、千夏は入院していると知った。何故? と思った。入院の理由を聞いて驚いた。
 千夏が南乃花を階段から突き落とした張本人だということになっていて、それを苦に千夏が自身の大切な足を刺した。南乃花は、今いるこの世界は自分の知らない世界であって、自分だけ別の世界に来てしまったのではないかと思った。
「あれは事故だった」それだけを伝えたくて千夏の入院する病院へ向かったが、結局会うことはなかった。自身の足を刺してバレエとの決別を選んだ千夏に、今更どんな顔して会えばいいのか分からなかった。
 南乃花は、苦しみを背負いバレエを続けた。コンテンポラリーダンスで頂点まで上り詰めても、千夏や朋樹のいない中では、虚無感しかなかった。
 いつか三人で笑い合える日が来ることを、南乃花は夢見ていた。

 話し終えると、南乃花は両頬に笑窪を見せて千夏を見つめた。「二十年、会いたかった。千夏」
 真っ直ぐに見つめられ、千夏は恥ずかしくなった。
「そんなに見つめられて『会いたかった』って言われたら、恥ずかしくて。……あれ、涙も出てきた。ああ、もう。……どうしちゃたんだろう、私」千夏は手で自分の顔を仰ぐが、涙は次から次へと頬を伝い流れていく。
「千夏。……」南乃花は千夏の左手を握り、まるで二十年の空白を埋めるかのように、千夏の名前を呼んで手を何度も何度も握りしめた。
 二人の止まっていた時間は、こうして再び動き出した。(つづく)

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