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謙遜と自分の現在地を正しく認識できないことの違いを教えてもらえた出来事~前編~

こんにちは。つむぎです。

3日目の投稿です。といっても第1回目と2回目はご挨拶の内容だったので、私が書き溜めていきたいテーマに関して書くのは今回が初めてです。

それではどうぞよろしくお願いします。(明日も書ければ脱三日坊主!w)


今回は私が社会人になって衝撃を受けた考え方である「謙遜と自分の現在地を正しく認識できないことの違いを教えてもらえた出来事」について、当時のお話なんかも含めて書いていきたいと思います。

これを書かせていただくにあたって、前編では私の過去のお話をさせてください。

私は自分で言うのも恥ずかしいですが「絵にかいたような優等生」でした。祖母や母親の躾が厳しかったこともあり、品行方正、運動神経も良く(今は運動嫌いですw)、コツコツ勉強するタイプでいわゆる「真面目だし何でもできるね」と言われることも多かったです。田舎では珍しく中学受験なんかも経験して特待生で私立の中学校に通い、成績はトップクラスを走っていたので(そうしないと特待生外されるから)先生からの評価も良く、あれよあれよと学級委員長・生徒会書記・生徒会副会長なども経験させてもらっていました。

まさに「絵にかいたような優等生」だったと思います。中学3年間特待生をキープし続けて、県内で3本指に入る進学校にも通うことになりました。両親も祖父母もとても喜んでくれて、それがとても嬉しかったことを覚えています。

私が優秀でいられることで、両親や親戚が喜ぶことがとても嬉しかった。だけどそんな生活も長くは続きませんでした。

高校生はいろいろなことが起こります。成長過程の中でも敏感な時期ですしね。高校3年生の受験期に仲の良かったグループみんながある日突然口をきいてくれなくなりました。一緒に通学していた友達からも別々で通学しようといわれ、挙句の果てには他クラスで仲良くしていた子たちさえも口を利いてくれなくなったり、私と廊下ですれ違うと目をそらしたり、避けて歩いたりするようになったんです。根も葉もない噂を流されたりすることもありました。

何も悪いことをした記憶はないのに、何が起こっているのか分かりませんでした。(結局原因はいまでもよく分からない。神のみぞ知る…)そんなこんなで家から外に出ることも怖くなってほぼ不登校のようになってしまった私の高校3年生時の出席日数は卒業できるギリギリのライン。

成績も自分でコントロールができなくなり、転げ落ちるようにどんどん模試の点数が下がっていきました。当然受験はうまくいかずすべて失敗。

私と仲が悪くなってしまった友人達は希望の大学に全員一発合格。

私は自分の受験失敗はショックだったけど、不仲になってしまった友人たちが受験が成功したことに対してのショックはなかった。だけど私よりも母親がとてもショックを受けていたことは鮮明に覚えています。

「どうしてあんな子たちに負けてしまったんだ、悔しくないのか」「どうして頑張れなかったんだ」「大学のレベルだってあんなに下げたのに、恥ずかしい」「相手の親の家に乗り込んでやればよかった」

そんな言葉をたくさん投げかけられたことを覚えています。今思えば母親も色々な感情が渦巻いて、私を守りたかったからこそ心にあること無いことを私にぶつけるしかなかったんだと思えます。人間だからそれぐらいはあるものだよな、と。

だけど当時は18歳で、その頃の私にとっては本当にショックな言葉達で。 自分の中でガラガラといろんな何かが崩れていく感覚がしました。

「私だって精一杯頑張ったのに」「私だって不合格になりたくてなったわけじゃないのに」「なんとか完全に不登校にならずに高校も卒業したのに私の頑張ったところは何も見てくれない」「どうしていつも頑張ったねって誰も言ってくれないの」そんな感情が渦巻いて仕方なかったなぁ…。

そんな出来事が高校3年生の時にあったんですが、前述したように躾はそこそこ厳しい家庭だったので、気づけば褒められた記憶はほとんどないんですね。
もちろんテストで100点を取ったり、リレーでクラスの代表入りをしたりしたときは喜んでくれましたが、常に「もっと上」のハードルを課せられ続けていたこともあり、褒められた記憶よりも、私の不出来で悲しませてしまったり怒らせてしまったりした記憶のほうが鮮明なのです。

※誤解の無いように補足させていただくと、この受験エピソードについては本当にありがたいことに浪人させてもらえて、大学にも通わせてもらいました。ありがとう、とうちゃんかあちゃん。両親に本当に感謝はしてますし、両親のおかげで今の私があることも間違いないです。母の日父の日や誕生日にはプレゼントもしたり関係は良好ですのでご心配無く!        ただ、子供の時に投げかけられた言葉って結構鮮明に覚えているし、想像以上に子供の人格形成に関わるものだな、という個人的な経験談です。


でですよ。やっとこさタイトルにつながる話に戻るんですが、こういう挫折のような経験をしたときの自分を振り返った時に、気づいたんです。

「あぁ、私は自分がどうなりたいかじゃなくて、周りの人の理想になることを頑張ってきてしまったんだなぁ。だから周りの反応や言葉にこんなに傷つきやすくて、褒めてくれる人がいないと途端に弱くなるんだ」と。

自分のありたい姿が、いつの間にか周囲の人々の求める人物像にすり替わってしまってたことに気づいたんです。

だから『自分のために頑張る方法』も知らなければ、「周りが喜べばそれでいい」と本気で思っていたし、「自分が我慢してことが収まるならそれでいい」のは普通だったし、いつだって自分の判断はそこになくて、常に周りがどうなのか?だけを考える癖がついてしまっていたんです。
(あ、でも別にそれが悪いことだとは思わないです。でも私はそれがいつの間にか苦しく感じるようになってたので出来ればその癖を矯正したいと思うようになりました。)

その思考の癖が積み重なった結果どうなっていたかというと、

「自分の現在地(出来ること・出来ないこと)」が分からない社会人になってしまっていました。

というか「私は何もできない。人の数倍頑張らないと。頑張るしか能がないのだから。」と思ってました。
それで成長できたこともたくさんあるんですけどね、でも、苦しかったです、常に認められないと駄目な私で頑張っていたから。

感覚的には、何と言ったらいいでしょう…底の無い花瓶に水を注ぎ続けているような感じで、何をやっても、どれだけやっても満たされない、そんな感覚です。

そんな感覚を持ち続けている私に、変わるきかっけをくれた一言。

ある時私に面談をしてくださった偉い人の言葉がタイトルの言葉なんですが…。

「謙遜の姿勢は美しいのかもしれないけれど、お前のそれは自分の現在地を正しく認識する能力が私にはありません、と言ってるのと同じ。謙遜することと自分の現在地が分からないことを一緒にするんじゃない。」

というところで、この言葉についての具体の話は後編へ続きます!

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます(m´・ω・`)m 


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