見出し画像

‘あの頃’と同じものでも違うこと(前編)

確かにあの頃に見た言葉だけどあの頃とは違うんだ

画面を見つめて

私が櫻井くんを画面を通さずに見たのは2019年の5×20セミファイナルが今のところ最後‘だった’。
それ以来、大学生という1番会いに行ける時期にコロナが大流行し、全てが画面越しになった。
コロナが少しずつ緩和されて、直接会える機会が設けられる頃にはもう私は、社会人だった。櫻井くんに影響を受けて選んだこの仕事は、平日休みが取れない仕事。平日に会いに行くことは、私の気持ちが許せないので、1度も会うことがないまま2023年の2月22日を迎え、まだ先だと思っていた4月22日を迎えた。

そこに居ないはずなのに

門をくぐって看板を見た瞬間から、居ないはずなのにまるで案内してくれているような、そんな歓迎の雰囲気すら感じた。

「ようこそ」

聞こえないはずの声が聞こえてくる気がした。
そこに居ないはずなのに、そこにいる間は、今までで1番生きている櫻井くんを感じた気がした。櫻井くんが近くにいるようなそんな気がした。画面越しじゃなく会えているようなそんな気持ちだった。

櫻井くんってやっぱりかっこいい

待っている間のブースでそんなことを思った。あとめちゃくちゃ可愛い。とても可愛い。待っている時間を無駄に過ごさせない工夫にグッときた。

このいー!の顔、あまりにも可愛くて握りつぶしちゃうとこだったあぶない

そこもかしこも櫻井くんだらけで、しかもかっこいい。足長い。可愛い。入るまで

ごめんけど、1文字たりとも読み逃さないで頂きたい

という推しの言葉に戦々恐々としてたし緊張すらしてたのに、ビジュアルみたら天才すぎてこのブースを撮影OKにしてくれた恩恵にあやかってパシャパシャ📸
もう既に好きが溢れて止まらなかった。

↓例の言葉が載ってるインタビュー

いつだって想像以上を

入ったらまずウェルカムメッセージが流れる。その時に案内された人が私と私を連れて行ってくれた人(本当にありがとう🫰🏻)ともう1人くらいで、ど真ん中の真ん前で2人占めした気分だった。
私の想像を超えて私の想像通りだったのだ
ウェルカムメッセージでこの言葉を借りて話すのがなんとも櫻井くんらしくて、オトノハやぐらにいる間、この言葉を耳だけではなく目で受け取っている気持ちになった。
壁一面にレシートになって張り巡らされたオトノハ。きっと目に入ったものが運命なんだろうと、ふと1番初めに目に入ってきたのは、震災後1番初めに投稿されたオトノハ。

‘頑張ろう’が苦手な人もいるかもしれないから
‘踏ん張ろう’

2011/3/20 オトノハ

当時も素敵すぎて改めて尊敬した一言。
今の私がこの言葉にこの場所で出会えたことはきっと何かの意味があるのかもしれないと思ったら、あの時櫻井くんが伝えたかった対象とはズレているかもしれないけど、勝手に真正面からこの言葉を受け取ってしまって、改めて、本当に彼の言葉に救われた。

次に目に入ってきたのは2011年11月10日のオトノハ。明るい曲と盛り上がるお客さんの中に向かっていく4人を見て綴られた言葉。偶然にも私のTwitterのbio欄の一言は

底抜けに明るい別れは悲しかったりしますもんね

櫻井くんは昔から、明るさの奥にある儚さや寂しさみたいなものに気づける人だったんだと改めて気付かされて、そういうところが好きなんだよなと思い、私の鼻の奥の奥の方がツーンとした。

やぐらに選抜されたものたちは言葉の箱でいつでも振り返ることができるのでここでは割愛(しないとやぐらだけで1本書けるので)

当然、私が既に拝見済みのオトノハも中にあるわけだけれども、あそこのあの場で見ると、受け取り方がこうも違うものかと実感した。

緻密な種蒔

SHOROOMは櫻井くんが虎視眈々と種を撒いた証たちが芽吹いていた。

最初のプランター(ではない)に飾られていたのは、櫻井くんの言葉たちを見える化してきた機械たち。
2008年から櫻井くんはオトノハを、ガラケーの時代からオトノハを続けているわけだけれども、私が2008年から続けていることといえば嵐を好きでいることくらいだ。気に入ったものは何代にもわたって使われた携帯たちは、まるでCLOUDYのTシャツを何枚も持っていて、相葉くんにおぼちゃまくんスタイルと言われた櫻井くんと同じで、人だけでなく、ものに対する愛着も凄まじい人なのだと実感した。

次のプランターは五輪コーナー。その中でも一際目を奪われたのは、‘競泳北島’と書かれたノート。その中に

全身とり肌 身の毛もよだつ思い
感動が胸に残りしばし呆然

2008年北京オリンピック取材ノート

このコメントだった。どこかリズムを感じてその時の興奮や胸の鼓動を感じるような言葉たちに、どれだけの高揚感だったのかと思いを馳せる。1回きりで終わらないようにと撒いた種が今もまだ4年に1回(厳密に言えば2年に1回)花を咲かせている。緻密な種蒔の証だろうなと思うとグッとくる。続けることは簡単な事じゃないから、きっと綺麗に見えるんだろうな。

次のプランターはいよいよリリックノートだ。ついに!という高揚感と共に視線を落とすと見えたのは、歌われることのなかった文字。これは会場で見るからこその意味があった気がするので、私の胸にそっと閉まっておく。だけどその言葉に大きな感情を抱いてしまう。あの時の想いと繋がった気がした。そう。櫻井くんがあの時にそっと見せてくれた
ずっともっとこうしていたいよ
と繋がった。気がした。この時のリリックノートにそっと書き込まれた種は、あの時にそっと見せてくれた想いの種なのかもしれない。


祖母に思いを馳せて

NO MORE WARは1番会場で見れてよかったと思う場所だったかもしれない。

櫻井くんのナレーターを何周も聴けるくらいじっくりと見させてもらった。声から見えないはずの表情がくっきりと浮かんでくるようだった。その中で一番心を掻き乱された声がある

「以後、内地勤務にさせてもらえませんか?」

切実な声とはこのことかと思った。それと同時に、これを言うことはどれだけの覚悟が必要だったかを改めて考えた。この後からナレーションの声は切迫していく。一気に状況が悪化して行く。ナレーションを聞いているだけで息が詰まる思いだった。

少し進んだところに、ある資料があり、そこに寄せられた言葉に胸を締め付けられた。

理解しているつもりだったが、どんな名誉も肩書きも、真っ赤な字で書かれた「戦死」の2文字には霞んでしまう。

奥に実物があるところでこの文章を読んだら、しばらくその事が頭から離れなくなった。なぜ死ななければならなかったのか。命よりも大切な肩書きや名誉はない。

NO MORE WARの最後には、取材後日談が書かれていた。そこには末妹さんが亡くなったことが書かれていた。そして会場では言葉の箱とは違った書かれ方がされていた。これは櫻井くんが敢えて変えたところかもしれないから、詳しくは触れないでおく。
そこを見ながら込み上げるものがあった。私事ながら、私の祖母は戦争経験者である。そんな祖母ももう90を目前にしている。戦争のことを直接話したがらない祖母に、戦争の話を聞いておきたいと思ったブースだった。

重さの中にあるからこそ輝く箸休め

展示の中には濃密なものだらけなのだが、所々にあるクスッと笑える箸休めのような小話が櫻井くんらしくてとても好きだった。
受け取る人が疲れすぎないような、ふと力を抜くことができるような、そんな小話が散りばめられている。
そういうシリアスだけど重くなりすぎない工夫がオトノハの世界に入り込んだみたいで、櫻井くんの気遣いを肌で感じてるような気がして、とても「らしいな」と感じた。

長くなりすぎなので後編に続く……


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?