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はしの多い生涯を送ってきました【随想】

はしがき


私のもっとも古い箸の記憶はまだ私が父母や祖父母と暮らしていた頃のものです。私の家では、箸は筒状の箸入れに入れられていました。食事の際には各々、自分の箸を取るのです。キャラクタの描かれた箸が幼き日の相棒でした。物心がつく頃には私の箸の使い方は完璧だったと自負しております。どこでどう身につけたのかは記憶にありません。ただどこに行っても箸使いを褒められていたことは覚えております。服や玩具などと同じように大人から与えられた箸を使う幼少期でしたが、中学の時分になると箸は自分で買っていました。ここから本当の意味での箸の人生が始まったのであります。

第一の手記


私は箸を頻繁に変える思春期を送ってはいませんでした。たとえ、欠けて長さが左右で違ったとしても使い続けておりました。自分で用意しなければいけないとはいえ、言えば箸代くらい貰えたでしょう。ひとえに箸への愛着ゆえのことであったと言えます。

大学に進学して私は家を出ました。そこで私は禁断の果実に手を出すことになるのです。使い捨ての箸、すなわち割り箸です。これを知ってからというもの、私の箸ライフはただれたものとなりました。気まぐれで二回、三回と使うこともありましたが、基本的には一回使ったらそのまま捨ててしまいます。箸に対する愛情など持てるはずもありません。舐めるように使っておきながら、用が済んだらゴミでも捨てるようにゴミ箱に放り込んでしまうのです。箸に対して真摯だった田舎の私ではもうありませんでした。

大学の二回生の時分に米国に留学しました。配る為のお土産をたくさん持って行きました。そうです。箸です。用意したのは三十膳ほどでした。当然、安価な物です。米国で知り合う人に配ろうと考えたのです。しかし、恋愛や特大のピザやハンバーガーにうつつを抜かし、大量の箸はスーツケースに入れたまま帰国直前まで忘れていました。異国の地でも私は箸に対して不義理だったのです。配っている時間はありませんでしたので、ホストカップルに三十膳全てを進呈しました。留学の成果か、二人が小声で話した「高いものかしら?」「きっと安物だよ」もしっかりと聞き取ることができたのです。箸の多い生涯を送ってきました。

爪に火を灯すような生活をしております。いよいよ毛に火を灯さなくてはいけないかもしれません。いえ、先祖代々フサの家系ではあるのですが……。え? 私めにサポートいただけるんで? 「瓜に爪あり爪に爪なし」とはこのことですね!