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河内長野 楊枝産業史1

大阪は河内長野市に集積している爪楊枝関連産業。
なぜ河内長野に集積したのか、ということを長々と書いていこうと思っている。集積までの歴史と、集積後のそれから、みたいな話になる。

それを書くことで、業界の持つ味とか厚みみたいなものが伝わらないか、これも試行錯誤の一環だ。

そもそも、爪楊枝とはという原始源流の話は、ここではやらない。
河内長野の地場産業に関係のある時代以降を切り取ろうとしている。

楊枝が一般に普及しだしたのは江戸時代。
江戸中期には露天商により製作販売されていたものが、徐々に店を構えるようになったという。
このときの大消費地(=製造地)が、関西では道頓堀や四条で、地理的に近い河内長野は、原料である黒文字の原木を納めていた産地の一つだった。

需要が増加した江戸後期以降、各店先での製造販売では供給が追いつかず製販が分かれて大阪近郊の農村部(今の平野区とか)等に移動する。
けれど、現在より運送ルートも整備されていない時代、原木の輸送コストを考えると製品にして供給する方が効率的ということもあって、明治13、14年頃より河内長野での製造が始まったとされている。

当然、一気に切り替わったわけはないが、とはいえ単なる原料の産地から、製造地にもなったのがこの時期だ。

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