ぐるぐる回ってたどり着いた想いは、「日本が好きと堂々と言いたい!」

私は子どもが好きではありません。
そのことは先日のnoteに書きましたので、良ければ読んでみてください。
だけど、仕事は子どもに勉強を教える学習塾だし、地域活動の一環で子ども達向けのお話会を企画したりもしています。
望むと望まざるとに関わらず、子どもに近い何かをしていることが多いです。
子どものことを好きじゃないのに、どうしてこういう現状を作り出しているんだろう?と考えたときに、子どもの教育が大事!と思えたきっかけを思い出しました。

『WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)』というものをご存知でしょうか?
敗戦後、GHQによる日本占領政策の一環で行われた「戦争についての罪悪感を日本人に植え付けるための宣伝計画」のことです。
この戦争は日本に原因があった、日本が悪かった、アメリカは正しい、連合国が正義だ、と連合国側にとって都合の良い解釈を植え付けることと、日本人が再び自分たちに歯向かうことのないように、日本人を腑抜けにするためのさまざまな政策が行われました。
その一つが学校教育です。


私は歴史の授業が好きでした。
特に写真やイラストが多く使われていた資料集が大好きで、隅から隅まで見ていた記憶があります。
その中で特に印象に残っているのが、何かの戦争で日本兵が中国だったかの子どもの足を持って引き裂いたという記述でした。
日本兵は各地で残虐の限りを尽くしたかのような表現だったと思います。
当時は学校で教えることが嘘だなんて思いもしなかったのですが、年代を見ると自分のおじいちゃんの世代のことです。
おじいちゃんやその年代の人たちが本当にそんなことをしたのかな?という信じられない気持ちと、そんなことをするようには思えない人でも、戦場ではそんな残虐なことが出来てしまうように変えてしまうのが戦争というものなのかと、恐ろしく感じたのを覚えています。
そんなひどいことを日本はやったのだから、原爆を落とされても仕方がないんだと思っていました。
それは高校の修学旅行で広島に行き、原爆ドームや資料館を見ても変わらなかったように思います。
靖国神社に総理が参拝すると非難されたり、慰安婦問題で責められても仕方ないのだと思っていたし、そういうニュースがあると私の母親も「日本は戦争で悪いことしたんだから仕方ない」と言っていたので、私自身もそ思うのが当たり前になっていました。

しかし大人になり、ある時この『WGIP』のことを知りました。
最初は半信半疑でしたが、学校で教わってきた歴史認識はだいぶ偏っているんじゃないかと疑問に思い、日本の近現代史を学び直したいなと多くの本を買いあさって読みました。
そして初めて、命を懸けて日本を守ろうとした先人たちへの申し訳なさと、崇敬の念が沸き上がってきました。

戦争を賛美するわけではありません。
残虐な行為も中にはあったと思います。
でもそれ以上に、日本を守るために戦った先人たちの崇高な想いや、アジア諸国に伝わる日本兵の優しさや勇敢さに心を打たれました。
日本が本当に残虐非道な国だったのなら、なぜ台湾やパラオのような親日国が多く存在するのか説明がつきません。

しかし今の日本は、国旗に敬意を表する羽生結弦選手が叩かれたり、国歌を歌って涙を流すラグビー選手を笑ったり、国を愛したり誇りに思うことがおかしなことだという風潮があります。
右翼だ、軍国主義だと批判されます。
近隣諸国条項という、歴史教科書の記述や歴史認識には近隣諸国の顔色を窺わなければならないというおかしなルールさえあります。
中国や韓国が怒るからと、靖国神社に参拝してご先祖様を敬うことも自由ではない国なんです。

この『WGIP』はすぐに効果が出たわけでなく、戦前の教育を受けた当時の大人たちや社会は、すぐに愛国心を失ったわけではありませんでした。
いわゆる自虐史観と言われる教育が行われた子ども達が大きくなって社会に出て、ある程度の立場や役職になったあたりからだんだんとその効果が出てきました。
靖国神社問題や慰安婦問題が、国際問題として騒がれだしたのもその頃からです。

「何十年かけてこのプログラムは行われ、日本人はここまで愛国心を失ってしまった。日本という国を立て直すにはそれと逆のことをやればいい。日本という国のすばらしさを教え、国を愛し国を誇りに思えるような教育を子ども達に行えば、何年後かには社会が変わるだろう。」という言葉が、深く心に残りました。
そのために自分は何が出来るだろうと考えて、今の活動を思いついたんだということを思い出しました。

学校で教わることが全て正しいわけではないことや、物事は見る角度によって解釈は様々あるという多面性を知ってほしい。
そのうえで自分はどうするかを考え、自分の意志で選択する力をつけれるような人になってほしい。
そういうことを伝えられる場を作っていきたいと思って、寺子屋えのきばなしの活動をしています。
その根底には、堂々と日本が好きだと言える社会になってほしいという願いがありました。

子どもが好きではないのに、なぜかいつも子どものことを考えてしまう、その理由はここにあったのだと、ぐるぐる回ってたどり着きました。


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