同人SF小説サークルメンバーが遊んだフリーゲーム真昼の暗黒

「いや、これはすごいわ」と壊れたように言いながら読み進め終えたので、「真昼の暗黒」の感想というか終えた直後の思いみたいなものを書き殴る。

自分は同人SF小説サークルグローバルエリートの取りまとめをしている。ゲーム作者の隷蔵庫さんとは、このサークルに寄稿している(零F名義)という繋がりがある。2018年から毎年寄稿してもらっているが、ゲームはやったことがないままであったが、いい加減やってみよう、ツールのゲームコンテストでグランプリを取ったと聞くし、ということで原稿も一段落して、時間が取れたのでプレイした。

最初は寝る前にゲーム起動してちょっとテキストを読んではセーブして止めるみたいな感じで、あんまり没入していなかった。が、休日(今日)ちょっとやるかとEp1の終わりまで進めてからは、一気に全部読み切ってしまうほどだ。で、「これはすごいわ」である。

正直言うと、僕は零Fこと隷蔵庫さんの小説はあまり好みではない。何か問題を解決する要素が強いわけではなく(僕はこれを強く求めすぎている気配がある)、文章はすごいが伝えるべき内容が不足している、雰囲気はあるのだけどよくわからない、そう感じていた。なので、好みがあってないんだろうなぁ、みたいな思いでいたのだけど、ゲームをやってわかった。小説というフォーマットの制約ゆえだ。もしくは正しく小説を描いているからだ。つまり、ゲームはすごい、である。

真昼の暗黒は小学生の女の子ミサが巻き込まれた事件を、ミサ視点と俯瞰視点、二つの視点から描いていくノベルゲームである。前者のストーリーでは事件の全容がまるで分からないし、後者の方はキャラクターの内心が多少欠ける。これ小説で描くなら、両方を充足させてほしいとなるが、きっとそういう描き方をしてしまうと親切なんだけど不自然になる。
例えれば、ここにある立体物を平面一枚の情報で伝えるとき、展開図だと構造が伝わるんだけど、そこに存在する実在性みたいなものは伝わらない。一方、写真だと存在は伝わるのだけど、一面的な情報しか伝わらない。僕は展開図みたいな作品が好きなんだけど、多分、それは描かれなかった情報が気になるからというのもあると思う。そこで、ノベルゲームという表現媒体というか真昼の暗黒が取っている手法なんだけど、二種類のストーリーを組み合わせることで(しかも意図的に途中で読み替える仕組みが用意されている)、あたかも複数の写真を見せるようにディテールを伝えてくるようになっている。
ふわっとした例えであるが、そういうゲームなのだ。ミサ視点の(結構表現のキツイ、これは褒め言葉だ。ミサが観測できる範囲を丁寧に守りつつ、嫌な感じを激烈に味あわせてくる)エピソードに続いて、俯瞰視点のエピソードを始めると、なぜあのキャラクターがこういうことをしていたのか、あれは何だったのかという謎が解けていく快感があって、遊びながら「すごい、すごい」と言い続けていた。

僕はミサ視点→俯瞰視点→ED3→ED1→ED2→Ep9という順番でクリアしたけど、ED3がすごくしっくりきた、逆に言うと他はED1はED3の裏だからいいけど、他のエンドは納得いっていない。ただ、ED2を許容しないとこの話が成立しないし、一方でEp9はED3の続きなんだよな、みたいなことを考えている。が、ちょっと時間経ってから思ったけど、これがゲームであることを考えたら違う気もしている。そのくらいに色々考えていて、別にこれ矛盾しているって指摘したいわけではなく、これはどう成立している? これの視点がそうだったからどうなるんだ? とそういう考察したくなるので、面白かったということなんですよ。

いや、もう感想がダメなんだけど(これはグローバルエリート内での初稿読んで投げつけているやつを知っている人はわかると思うけど)、だからこそ、ネタバレとか考えずに話したい。というわけで、主にグローバルエリートの皆様、ちょっとストーリーの展開はグロい部分があるのだけど、多分、それに弱いのは僕ぐらいだから他の人は大丈夫だと思うので、ちょっとあれはどういうことなのかというのを語りたいのでやって貰えると嬉しい。個人的には小説より好き。ゲームじゃないといけない、すごいってなってる。や、このくらい小説でできるとか言いそうなメンバーもいるけど、なら書いてほしい。とりあえず、書きたいことはここまで。

以下は遊ぶ場合のちょっとした主に問題点を回避するための話。
まず、Mac版は自分のmacOS Catalina 10.15.7だと起動しなかった。そのダウンロードで容量が300MB超えていることに気づいたので、ブラウザ版はクラッシュの可能性があると感じ避けた。多分、素直にWindows版を選ぶのが良いと思う。自分はそうなった。
次にシステムは無茶苦茶洒落ている。起動すると古いWindowsを模倣したOS画面が立ち上がり、流れるのもゲームのテーマソングではなくハードディスクのシーク音で、この演出だけで結構な字数が書けそうな気もするがそれは置いておく。問題はこの演出、というかノベルゲームツールでこれを実現したためか操作性が悪くなっている。基本的にはガワがカスタマイズされたノベルゲームだと思うのが良くて、起動画面だと「Game_Start.exe=最初からプレイ、Game_Load.exe=続きからプレイ」ぐらいの気持ちで触るのが良く、また、エピソードの合間にセーブしますか?と出てくるダイアログはYesを押してセーブしたらNoを押して戻る必要がある、みたいなのが頭に入っていると良い。

最後、これはネタバレになるけど攻略情報を残しておく。というのも、システムの洒落具合が良すぎて次に何をやれば良いのか一瞬わからなくなったから。特にタイトル画面に戻されるイベントから何をすれば良いかわからなくなったり、することはわかっても進めなくなったら参考にしたらよい。なので、以下を読む前に真昼の暗黒のダウンロードをして、起動して、Game_Start.exeをはじめて、上のタイトル画面に戻されるイベントまで進めて、詰まったら戻ってきて欲しい。この先はその攻略情報以外書いていない。

以下ネタバレ。
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1. Game_Start.exe
2. ○→任意→任意
3. 1__Misa(ミサ視点)が始まる
4. Ep6のイベントでタイトルに戻される
5. Game_Start.exe
6. ○以外→遊び→他人(正確に調べたわけじゃないけど、感覚的にはこれ以外がミサ視点ではないかと思っている)
7. 2__Other(俯瞰視点)が始まる(Start→Episode List→Ep1.exe→Otherでも行ける)
8. ED3で終わる
9. Start→Episode List→Ep6.exe→Misa
10. 選択肢直前でセーブ
11. ED1もしくはED2
12. Game_Load.exeで10の選択肢直前のセーブを呼び出す
13. ED2もしくはED1
14. Start→Episode List→Ep9.exe→デスクトップのPass.txtの内容を入力
15. 多分全部クリア

また、他にパスワードが必要な部分についてヒントを残しておく。
- Papa_facebook.html:Ep1ミサ視点で出てくるパソコンの画像
- Tama_info.txt:資料/事件概要.docsを参照
- 当時の新聞.bmp:Ep1俯瞰視点の最初の方のテキスト
- Asame.mp3:資料/名刺.bmpを参照

以上。

と思ったけど少し書く。僕が作品で語りたいことは大体「この作品は一体なんなのか」になる。これ自体は僕が問題の解決が好きだから仕方ない。まあ「この作品は一体なんなのか」という問い掛けはふわっとしているのだけど、これは作品ごとに具体的な部分が変わる部分だ。真昼の暗黒においては、このゲーム、真昼の暗黒の中で僕らがやっているゲームがなぜ存在し、本当の真実は何なのか、である。
それらを考える前にまず、この作品は単に配布されたゲームであり、誰かのパソコンの操作ではないし、より高次なメタ構造があると解釈はしない、という構造の話をする。本作品はOSを模倣し、その中のゲームという体裁を取っている。そして、物語の進行と共にEpisode ListとDocumentsにファイルが増える。さらにEp9をクリアした時、ゲーム・作品の外側のブラウザにリカバリーコードを含むウェブサイトが表示される。このような形式だが単にゲーム内ゲームとして考えて良いと思う。なぜなら、同人ゲームの技術的な限界もあり模倣が不十分だと思えるためだ。Ep9後のブラウザ起動はゲーム内にテキストを表示するのが困難でああなったのだろうと考える方が自然だし、ここ以外にも仕掛けを入れるべきだろう。誰かのマシンであるならスタートメニューにユーザ情報みたいな項目をせめて入れてアピールすべきだろう。よって、Documentsなどのファイルが増えていくのもノベルゲームツールの制約でああなっていると認識しており、シンプルにこのようなゲームが配布されたのだと解釈して良いはずだ。
よって、作品中のゲームは、例の事件に関心があるプレイヤーが起動して、その事件が気になって色々ファイルを集めてきたのだ、ぐらいの認識で見ていく。それを踏まえて、このゲームがなぜ存在するのかを考えていく。まあ、それは少し飛躍が大きいので、どのエンディングが真実かというのを見ていく。作品中のゲームは当然虚実が混ざっているが、一方でゲーム外作品内の情報は事実として捉えられる。つまり、どのエンディングでも示されている、深沙の手記と記者の取材に基づいて作成されたという話と、Ep9終了後のメッセージページで事件に基づいて作られたという話、そして、深沙も計も消息不明という話は事実だと見做せる。
すると警察に通報したED2が単純に真実ではないかと見える。が、そうすると俯瞰視点では選択肢が存在せずED3のみというのが不自然になる。これはED2の対局であるべきだ。それにEp9とは一体何なのかとなってしまう。
つまり、ここは逆、ED3こそが俯瞰視点唯一のエンディングであるから選ばれた現実であると見るべきで、むしろ、俯瞰視点自体が記者のメモがベースに作られたストーリーではないかと考えられる。そう考えるとミサ視点のストーリーは彼女の手記をベースにしたものであり、故に深沙の明朗ではない思考で書かれた理解が難しい手記の表現が「選択肢」という形になったのではないかと解釈できる。どうやって手記を渡したのかみたいな話は残るが、名刺はもらっていることだし、郵送なりメールなりの手段で送られたのでは、ぐらいに認識している。まあ、こう解釈するとED2の手渡しとは何だったのかという問題があるけど、あれは深沙の妄想なので……。
このED3真実説の良いところはEp9がED3(ED1)の延長にあるので、これも事実となる点だ。するとEp9がなぜ存在するのか、という部分にも説明がつく。これは「深沙と計の近況報告」であるという仮説だ。
Ep9の目的に迫る前に、深沙がまだ生きている、計に殺されない理由を考える。これはゲームで示されている部分を鵜呑みにすれば、計は単なる殺人者ではなく、好きになった女性を殺すと描かれており、さらに深沙が好みではないことも挙げられている。計の性癖において、殺しは経過であるが、手段でもなく、むしろ行為自体も大切なものに思っているようで、つまり、ミサ・深沙に手をかけることはその行為を汚すことになると思っているのではないかと見える。ただそうすると穣介がどうなったのかという謎が残る。計が殺すならミサも殺すべきもしくは穣介への劣情が描かれないと不自然だし(ただザキとの関係シーンとか見るにあれがそうだったと見ることは可能かもしれない)、生き残っているなら二人が逃避行がこんなにうまくいくはずがないように思う。ただ、彼自身の家庭環境が極めて不安定なもので、確か俯瞰視点の方では連絡が取れない、ぐらいの扱いであったので解釈の自由度はある気がする。ちょっとそこの問題が残るが、とりあえず、計は邪魔者であっても性的興奮がなければ殺せないというのが重要だと思う。そして、ミサは少なくともそれを理解していなかったと思う。そうでなくては私が犯行を黙っている代わりに父親になってという交渉にはならないはずだからだ。飛躍度合いが大きくなっている気がするがまあ良い。で。この計の殺人条件を彼女が理解し、さらに彼の性癖をより緻密に理解していった結果がEp9ではないかと考えている。そこで描かれたことは単に逆転した人間関係ではなく、計の真の性癖の発露、屍姦からの脱却ではないかと僕は考えている。
そうするとEp9付きでゲームが作られた結論が見えてくる。これはミサの、計はもう社会に迷惑をかけないよ、だから私たちに干渉せずに暮らさせてください、そういうメッセージである。

本当かよ。なんだかんだ言って全然違う気もするけど、そういうことを色々考えてしまうぐらいに面白かった。ぜひ、皆さんも遊んでみてください。本当にここでおしまいですよ。

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