井上春生監督・吉増剛造主演『眩暈 VERTIGO』を見て

 素晴らしい映画だった。私は心打たれ、東京都写真美術館、下北沢K2、菊川のStrangerに二回、併せて四度鑑賞した。

 二度目、芥川龍之介のフィルムが吉増氏の書斎に一瞬映り込むのを見た。それはあまりにも一瞬のことで、上映後の質問の際に、芥川が映りこんでいたか訊いたくらいである。

 三度目、Twitterのフォロアーさんの辻島治氏、和田塚の猫氏を誘って観に行き、多様な感想を耳にした。

 四度目、東京最後の上映をひとり観に行った。最前列中央。メモを取りつつも、これきりと集中して臨んだ。

 主演の吉増剛造氏の名前を知ったのは大学時代に読んだ絓秀美『詩的モダニティの舞台』であったと思うが、本格的に関心を向けるようになったのは大学院に進んで芥川龍之介を研究し始めてしばらく、芥川龍之介生誕百年の特集が組まれた『新潮』(一九九二・三)に収められた「ひとり倒るる」を読んだ時だった。

 これは卓抜な芥川論で、あらゆる研究者よりも芥川という詩的存在に共振していると思わせた。そこから手に入りやすい詩集やらを神保町の古書店で見つけると買い求めていたが、吉増氏の芥川観について更に本格的に考えを深めるようになったのは、つい昨年、田端文士村記念館で開かれた企画展「詩人・吉増剛造 芥川龍之介への共感」を観覧してのちだった。この人の芥川観を、またそれを支えている詩的精神の共振を捉えなければならないと思わされた。

  そして、その年の末、この吉増氏が主演を務めた映画『眩暈VERTIGO』を鑑賞することとなったのである。それはその映画について考えさせるとともに、やはり私には芥川について更に深く考える機会ともなった。

 『眩暈 VERTIGO』の魅力は、ひとまず私にとっての魅力は、いくつかの要素に分類できる。ひとつはあるいは揺れ続けるカメラ、混ざりこむ様々な音といった本作の基本的な特徴をなす視聴覚的な要素で、なるほどゴッホが映画を撮ったなら、あるいは芥川が自身のシナリオ作品「浅草公園」を映画にしたならば、このような表現になるのかも知れない。そこがやはり第一に魅力であり、われわれを引き込むものであった。
 
 私にとってのこの映画の魅力はまずもって被写体である吉増剛造その人の身体にある。とりわけその顔がわれわれを魅惑する。皴の刻まれた老いた男の顔である。それはかつて2018年に横浜市立美術館で見た石内都の展覧会、『肌理と写真』における老人たちの皮膚の写真を私に思い出させる。今まで見た映画で最も好ましく思っていたクリント・イーストウッドのいくつかの作品も、イーストウッドの皴による魅力が小さくない。

 その皴は確かに美的なものなのだ。折りたたまれた時間がそこで直截に、強度をもってわれわれに訴えて来る。老詩人・吉増剛造という被写体は、やはり時間の折り重なりとしてわれわれを打つのである。
 
 井上春生監督は執拗に吉増の顔を撮り続けている。ちなみに吉増氏はその芥川論の中で「生きることは老の皴を呼ぶことになると同一の理で想ふこととしての皴を作す」との中原中也の言を引いている。老いの、生きることの皴は、想うことの皴を作ることと相同的であるのではないか。

 映画は、イントロダクションののち、隅田川のほとりを歩く吉増の姿から始まっている。水の音が聞こえる。繰り返す水の音。深川生まれの小津安二郎について水の眼が言われる。小津は根底的に東京の下町の水の感覚を備えた映画監督であり、ローアングルは水の眼に近い。

 私はすぐさま隅田川の、大川の側に育った芥川龍之介の感覚を思い出す。最初期のエッセイ「大川の水」はまさしく水の感覚に充ち満ちている。あるいは最晩年の「蜃気楼」には、「僕等はいずれも腹這いになり、陽炎の立った砂浜を川越しに透かして眺めたりした。砂浜の上には青いものが一すじ、リボンほどの幅にゆらめいていた。それはどうしても海の色が陽炎に映っているらしかった。」とローアングルの水平の感覚が示されている。

 水平の目の、穏やかな安らぎの美しさだ。これは京都の湖?を空から引きながら撮影した『眩暈』の一場面などにも強く感じさせられるものであるし、水面や草原(麦畑?)のシーンや、画面を横切った鴉からも感じるところだった。私はこれを好ましく思う性格を持っている。私は垂直よりも水平を愛するらしい。名前も「〇平」であるからだろうか。

 二度目の視聴後の感想は、この映画にはやけに電車の音が響いているということだった。監督は徹底して電車の音を拾い集めている。そして三度目の視聴で思い当たったのだが、ジョナス・メカス(ヨーナス・ミャーカス)から吉増氏に送られた映像に、電車の車輪の音が聞こえるかとの問いかけがあった。これと関わりがあるのだろうか。

 われわれは、電車の音を聞かされ続ける。繰り返し、繰り返し。電車の車輪の音はそもそもが反復している。それを繰り返す。回転する。それらは繋ぎ合わされてひとつの刹那となるようだった。

 反復は文藝においても基本的な技巧の一つだが、芥川はそれを巧みに、恐らく文藝観/感性の本質から用いている。「自分は時に血管の中を血が星と共にめぐつてゐるやうな気がする事あり 星占術を創めし人はこんな感じを更につよく有せしなるべし/このものにふれずんば駄目なり かくもかゝざるもこの物にふれずんば駄目也/芸術はこれに関係して始めて意義あり」(井川恭宛書簡、一九一四・一・二一)。これが芥川の最初期に抱かれた藝術観であった。そして例えば「羅生門」。「その代り鴉が何処からか、たくさん集つて来た。昼間見ると、その鴉が何羽となく輪を描いて、高い鴟尾のまはりを啼きながら、飛びまはつてゐる。殊に門の上の空が、夕焼けであかくなる時には、それが胡麻をまいたやうにはつきり見えた。」この昼から夕にかけての持続的時間を含んだ回転、反復のイメージ、リズム。反復が反復する。回転が回転する。そこには眩暈に似た感覚が生れるだろう。

 また、「眩暈」では高所から見下ろす空撮のカットが多用されるが、これも落下性の眩暈を感じさせるし(芥川「年末の一日」冒頭の夢もそうである)、またメカスが眩暈を覚えるという、ビルディングや空を見上げるカットも多用される。電車の音の反復が水平の眩暈を呼ぶとすれなら、それらは垂直の眩暈を呼ぶ。眩暈とは恐らく、上下左右の感覚の失調でもあるのだから、このようなショットの積み重ねは揺らぐ眩暈の感覚を表象するものとして機能しているのではないか。われわれは、それに陶酔を覚える。

 コロナ禍での長い編集作業のなかで、井上監督は何に力を注いだだろうか。もとは別のタイトルを予定していたものが、突然の出来事としての吉増氏の眩暈があり、その詩があって、それを映画の題名にもするにあたって、試みられるのは、映画そのものを「眩暈」とすることかもしれない。電車の音を始め、様々な音、遠くの音が拾われ、人の足音が拾われ、吉増のペンが紙を叩く音が拾われ、リールの回る音が拾われ、日本語と英語で説明が繰り返され、また朗読の声が繰り返されながら重ねられ四方から降り注ぐ。蜜蜂は呻り、黒揚羽蝶は舞う。そして風に吹かれた馬の鬣。これは監督独自の詩だろうと思う。このほほけた感触はやはり繊細なものだ。それを積み重ねて繊細な眩暈を捉えようとしているのかもしれない。
 
 吉増氏の顔と並んで印象深いのは、ヨナス・メカスの令息セバスチャンの顔だ。彼は常に口角を挙げ、ほとんどずっと笑みを浮かべている。憂鬱性の私ははじめは反感を抱いたほどである。しかしやはり何か特別な、人間というよりもどこか天使か妖精のような彼の顔は、その静かな物腰とともに独特の雰囲気を周囲に漂わせている。静謐でもある微笑みのムードが形成される。それはやはり観客の心を打つもののようであった。父・ヨナスの教育がどのようなものであったかはわからないが、例えば歌い続けろ踊り続けろ飲めシリアスになるな、といった壁に貼られた紙に書かれた一節は、セバスチャンという存在を何ものかにしたかも知れなかった。

 この笑みは、ヨナス・メカスのそれにも通じているように見える。亡命時のIDに貼られた写真の表情は硬く唇を結んでいたが、いくつかの映像に表れた彼はやはり笑顔を浮かべ続けている。「何か」が彼をそのように変え、その変化を息子に継承したように思える。その醇化された心の息遣い、貴重な空気の受け渡しが詩人との間でなされる。芸術作品の超一級品のみが持っている静けさがセバスチャンにはあると吉増氏は言う。芥川は「文藝の極北は微笑は含んでゐても、いつも唯冷然として静かである」と述べていた。静かな微笑、文藝/藝術の極北のようなセバスチャン……しかし、私にはそれが、どこか納得のいかないものを残している。芥川はそこに「藝術の去勢力」を見ていた……

 実際の詩作の過程……深遠の目が青空のように水底から見ている、メカスさんの心に深遠の井戸が立ったのね、メカスさんの目には深遠の井戸が立ったのね。そのように語が変化していくさまはスリリングだろう。しかし、それは廃棄される言葉でもあった。何かが、そこではうまくいっていないのであろう。しかし、何が?目であり心である。基本的に水平を眺める目と、基本的に深さを示す井戸との混淆に、いまだ手間取っているのだろうか。いや、森村泰昌氏が指摘しているように、心から目への変化は、その経過自体が「宝石の輝きを放ってくれる」(「これは悲劇ではない」)のだ。

 吉増氏は、説明の出来ない身体的・精神的な感じを、セバスチャンと遭って特別な情動・感情を感じた。そうして眩暈は起き、シンプルな詩を書いた。一時間程度で、日記性の、改まってではなくその日その日のことを驚きながら書いて行くように。日記は記録であり、過去の想起である。記憶の襞を開き、書きつける。想起されるのは刹那の眩暈であった。

 詩は朗読される。「眩暈!メカス!」。この詩は優れているだろうか。吉増氏自身は失敗作と断じていた。「黒揚羽蝶の、蜜蜂の」「眩暈」とは、繊細な心の震えを捉える語だろう。芥川も「大川の水」で「夏川の水から生まれる黒蜻蛉の羽のような、おののきやすい少年の心」を語った。これは重要ではありながらもやはりすでに平凡かもしれない。

 しかし、「彗星の眩暈」とは如何なるものであろう。彗星は振り返るのか。少なくとも私の読んだ吉増氏の詩の中で、彗星や流星は絶対的な直線を感じさせるものだった。が、この「彗星の眩暈」とは!? それは私の文学的感性を絶した言葉であった。分からないが故に、私はこれを評価せざるを得ない。詩であれ何であれ、了解不可能なものには常に敬意を払わなければならないと思うからだ。

 「天使の詩の句読点」は「間」、「呼吸」といったもののイメージを引き寄せる。吉増氏は空間とも時間とも言えない「間」「割れ目」、そして「世界の見えない皴」について語る。皴を、あるいは襞を開くなら瞬間が顔を出すだろう。瞬間は過去とも未来とも断絶して空間にも位置を持ち得ない。句読点は一つで終わることはない。いくつもの折りたたまれた瞬間の皴。われわれはこの「眩暈 VERTIGO」という映画において、吉増剛造氏の姿を顔を見続けそのような皴を刻みつけられている。

 「白い洗濯物がハタハタと風に吹かれる川岸の目」は水平の目だろう。小波の印象が思い浮かぶ。しかしそれは「この世にはない深い目の輝きだった」とも言われる。ここでは目は深さに、垂直になる。「眩暈」はやはり、上下左右の感覚の失調、混同としてあるようだ。どこか、「彗星」のイメージとリンクしてか、宇宙空間で前後上下不覚になるような戦きを感じもする。吉増氏は、ヨナス・メカスの目は、万物のあらゆる方角に対する震えを捉える深い繊細な目だったという。それもやはり眩暈に似ていよう。

 セバスチャンは、吉増に父の最期を迎えんとする頃の表情について問われ、言い淀んだのちsmileというのではなくReadinessであったと答える。このReadinessを字幕でどう訳していたかは忘れてしまった。ひとつには「覚悟」といった訳があり得るだろう。が、この一語はどうにも「覚悟を決める」といったように決断のイメージを引き寄せやすい。それこそハイデガーの先駆的覚悟性がカール・レーヴィット以下多くの論者に「決断」の思想と誤解されていたように(中原孝「実存論的理解としての先駆的覚悟性」)、われわれは死を前にしての覚悟となれば、何らかの決意・決断を想ってしまう。しかし、「死を前にしての覚悟」など、疾うに済ませているのがヨナス・メカスという震えの詩人、収容所での剥き出しの生を経験し、そこから逃れてきた映画人ではなかったろうかと、ほとんど彼の伝記的事実を知らぬままに想像する。

 Readinessにはまた「快諾」といった訳語を当てることもできるかもしれない。避けられない死、その重みは、進みゆく時間としての生に皴を作るだろう。そしてその皴は、ヨナス・メカスにとって常に既になじみ深いものではなかったのか。「彼はいつでも全てを諾う。どのような状態にあっても、つぎの心構えがおのずから生まれる」(今福龍太「失われた極小言語の薄靄のなかへ」)そこには覚悟性の齎す不安(中原)はなく、ただ沈黙の静寂が染みわたっていたのではないかと、私は想像する。「それは死を受け入れる思い切りというよりも、もっと繊細で、静かで、向日葵の花のように明るい、目の前に開かれたもう一つの世界への道を踏み出し、そこへ導かれる道理を諾おうとする、やわらかい意思」(今福)。大体すべて、彼の語った通りだと思う。吉増氏の言う少しずつ去って行ったメカスの生涯の深さの奇跡性とは、そのような静寂に向けられていた言葉ではないか。

 眩暈から遁れた吉増は、コニーアイランドの海沿いで自らの詩を朗読する。ページの上の部分を吹く風、上風といった水平の感覚、水平性、ひとつの安らぎの地にたどりついたように感じられる。いや、眩暈から遁れるのは観客であるのかもしれない。私はそこでほっと一息つく。海の映像は水平的で安らかだ。「混乱は混乱のままに、濁りは濁りのままに」。この詩を読んで吉増氏は、ツインタワービル跡で感じた違和を和らげる。そのままにする智慧の必要が言われる。無為自然。これも静寂の美しさではないか。

 折り畳まれた襞の中の刹那の質は、やはり受諾、了解、快諾といったものかもしれない。キルケゴールにとって「瞬間は超越的なものの純粋受容であり、そのために自己はあらゆる作為を排し運命に身を委ねなければならない」(太田道直『人間の時間』)という。運命を了解すること。これは否定的精神として排すべき「仕方のなさ」かもしれない。われわれは決断し行為しなければならないのかも知れない。「羅生門」の下人がそうしたように。しかし静寂の美しさは、芸術の極北はそこにはない。あるいはだからこそ「羅生門」は「下人は既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつゝあつた」から「下人の行方は誰も知らない」に改稿されねばならなかったのかも知れない。

 ここには鬩ぎ合いがある。決着することの出来ない、解決することの出来ない問題が。しかし「眩暈」は、メカスの静謐さから訪れたものと結論されている。恐らくはそうなのだろう。父から子へと受け継がれた静謐さ、藝術の極北のようなそれが、眩暈を齎したものなのだろう。だが、それでもなお「彗星の眩暈」は何かはみ出しているようにも思われてならない。

 そのはみ出しが、恐らく、最後、ヨナス・メカスによって歌われている。彼は歌う。先人たちの戦いについて。人間らしくあること、あるべき姿の探求。人間本来のあり方を求め続けるという戦いに、彼も参加するのだと歌う。運命の受容ではない。運命のように思えるこの現実の悪夢との戦いの志向が、勇壮に優美に奏でられて映画は終わる。われわれはそしてさわやかな気持ちになり、スクリーンから離れるのだ。

 わたしはいま、芥川龍之介における「追憶」のテーマを考えている。「舞踏会」以降、彼は「追憶」に強い関心を寄せ続ける。「雛」では老婆の追憶のスタイルをとる。〈保吉物〉を含めた私小説はやはり「追憶」的で、最晩年には「追憶」という題名の断片集もある。『眩暈VERTIGO』もまた「追憶」の主題と深く関わっている。亡きメカスへの追憶・追慕。それが作品の中心にあるからだ。

 「追憶」とはなんであろう。私はそれを、記憶の襞を開き閉じる過程だと感じている。メカスは最後、アコーディオンを弾いていた。開き閉じる。開き閉じる。映画「リトアニアの旅の追憶」、詩「セメニシュケイの牧歌」「追憶」……メカスは明らかに追憶の詩人だった。「メカスはたえず何かをなつかしんでいる」(今福龍太「失われた極小言語の薄靄のなかへ」)。その襞がわれわれの精神に時間を、瞬間のリズムを感じさせ、その形象が美的感興を与える。追憶は次から次へと訪れる。特別な、しかし日常的な瞬間瞬間が開かれ、最後には頁を閉じられる。

 そうして、それは戦いなのだ。萩原朔太郎が芥川の「追憶」を評してそう言ったように。積み重ねられた特別な些細なことを開き閉じることから、戦いの力を得ることができる。それが芥川龍之介最晩年の戦いだった。メカスもまた苦しみの中で「セメニシュケイの牧歌」を書いた。『眩暈VERTIGO』もまた戦っている。「苦役の難民の人生」に寄り添って、メカスを追憶し、ああ私は彼を愛している、私も移民で……そんな女性の台詞があった。メカスを追慕し、人々に戦う活力を与えんとしている。

 この映画は、私の人生で出会った、最良のものだ。その魅力の全てを、限られた時間で語り切ることはできない。叶うならば、いま一度視聴し、誰かと語り合いたいと、そう思っている。

                2023年7月18日 神奈川県相模原市にて
 

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