仏教についてのリサーチ Part3
本記事は秋山 昌海著の『仏像印相大辞典』を要約した記事である。私、佃のオリジナルのテキストは全くないが、勉強したことを共有できればと思う。
https://www.kokusho.co.jp/np/isbn/9784336002617/
六大体大
五大は二手十指の思想の中でも重要である。五大(地・水・火・風・空)を理解するにはまず、「識」を加えた六大を理解しなくてはならない。六大とは無限の宇宙万有に普遍している真理であり本体であり元素である。六大はそれぞれ、地大・水大・火大・風大・空大・識大という。「大」は全ての時間空間に行き渡って万物を構成することを意味する。
六大をまとめれば六大体大という言葉で言い表せるが、この思想は密教独自のものではない。
顕教系での六大:あらゆる現象の本体となる絶対真理には形がない、空である、という立場をとる
密教系での六大:宇宙の万有は「色」と「心」(物質と精神)から成り立っている。五大を色/胎蔵界本有理法身とし、識を心/金剛界本有理法身とする。
墓地に積み上げられている五輪の塔は下から上へ地・水・火・風・空となり、人体模型の意味がある。大日如来のシンボル、三昧耶形は塔である。それゆえ五輪の塔は大日如来の法身も表現している。五大は宇宙の物質的なものを構成するが、精神が加わって宇宙全てを構成する。人も同じである。五大の性質は、地大は堅いこと、堅個なこと、水大は潤いのあること、火大は暖かくあること、風大は動くこと、それぞれを性徳とする。
五蘊
左右の指は五蘊にも例えられる。**親指を「識」、人差し指を「行」、中指を「想」、薬指を「受」、小指を「色」**となる。「蘊」には、集まる、集積するという意味がある。色・受・想・行・識が集まると人間が出来上がる。五大が地・水・火・風・空と物質的要素の集まりなのに対して、五蘊は精神的活動を主体としている。
五蘊の「色」は他の蘊と性格を異にしている。色は形の変わるすべてのものを指す。つまり、肉体である。五蘊を色・心で分けるとき、受・想・行・識は「心」である。色は変化し壊れる物質である。ここからさらに色は顕色・形色・表色の3種に分けられる。
顕色:青と黄、赤と白、光と影、明と闇、雲、煙、塵、霧と空
形色:長と短、方と円、粗と細、正と不正、高と低
表色:取と捨、屈と伸、人の色々な行動
「受」は感覚の働きである。**外界の事物を心に受け入れる作用全てが「受」**である。
「想」は外界の事物を感じ取ったのちに出てくる精神作用である。見聞きしたことを記憶し、忘れず、思い出すことである。
「受」で受け止め「想」で心の中で形作る。
「行」は「想」によって引き起こされる行動である。心の働きが一刻として止まることがなく移り変わっていくこと。
「識」は物事を識別することで受・想・行の三作用を起こす根本の意識である。「識」は生命の内部に生まれながらに胎蔵されている。
眼・耳・鼻・舌・身・意を六根というが、この六根を働かせて事物を判断し、理解することを六識という。「根」とは精神的能力、精神的作用を指す。五根は五蘊のうちで一番大事な「識」を生み出す。五根とは信・進・念・定・慧である。
進・・・精進である。
慧・・・「智」「般若」をさす。般若は最高無上の仏智である。宇宙のあらゆる事象の実体、真実、真相を見きわめることである。智慧はダイヤのように強力で無限に滅びることがない。人間が迷い苦しみ、悪事を働くのは無智のためである。では智を得るにはどうすれば良いか?その修行が「定」である。
定・・・智を得るための修行が「定」「禅」である。「定」とは心を沈めて静寂の境地に入ることをいう。考えることで仏と交流し、悟りの心を興し全ての人を同様に悟らせる。
信・・・仏の教えである絶対不変の真実、宇宙の道理を信じること、その心をどんな邪な力によっても打ち壊されないことである。
念・・・仏の教えを心にしっかりと刻みつけ、自分と関わりのあるすべての”境”を正しく理解して忘れない仏の働きである。「念」を有効に働かせるためには「定」が必要とされる。
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