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【弁護士・佃克彦_2016年8月8日論稿】日本の名誉毀損法理とスラップ訴訟

1 まずは「スラップ訴訟」の定義から


「スラップ訴訟」という言葉を最近よく聞くようになった。しかし「訴訟」の問題でありながら法学界での議論はまだ始まったばかりのようであり、そもそも「スラップ訴訟」の定義自体、議論をする者の間で共通の認識になっているとは言いがたい。

しかし、定義に関して議論をしようとすればそれはそれで大議論が必要になるような気がする。そこで、定義に関する議論は他に譲ることとし、本稿では「スラップ訴訟」につき、言論で批判をされた側が、そのような批判的な言論を抑圧するために発言者を被告として高額の名誉毀損訴訟を提起する場合を指すものとして議論を始めたい。

2 問題の所在


そのようなスラップ訴訟は、「批判的な言論を抑圧するため」という定義から明らかなとおり、表現の自由、とりわけ公的言論に対する重大な脅威となるものである。

訴訟提起をされれば、「被告」とされた側(批判をした側)は、弁護士に依頼をして応訴をしなければならないという負担を被る。即ち、弁護士費用を用意しなければならないという経済的負担や、その後の訴訟対応のために多くの時間とエネルギーを投入しなければならないという心身の負担を被るのであり、その負担は非常に大きい。

名誉毀損は、社会的評価を低下させる事実の摘示や論評があれば直ちに成立するものであり、よって名誉毀損訴訟は、提訴する側(批判をされた側)が、書かれた記事の実物を甲1号証として証拠提出して訴えればともかくも成立し、被告は応訴をしなければならない。他方、被告とされた側(批判記事を書いた側)は、いわゆる「真実性・真実相当性の法理」の抗弁(事実の公共性、目的の公益性、摘示事実の真実性ないし真実相当性があること)の主張をし、その立証に成功しなければ損害賠償責任を負わせられてしまう。

つまり、提訴する側(書かれた側)からすれば、ともかく提訴しさえすれば、あとは被告の側(書いた側)が記事の真実性等の立証に失敗するのを待っていればよいわけであり、書かれた側は、提訴をするだけで執筆者側に対して十分なプレッシャーを与えることができるのである。更に言えば、スラップ訴訟の場合、提訴をした側は、執筆者側が真実性等の立証に失敗することさえも期待していないかもしれない。即ち、訴訟提起をするだけで執筆者側に大きな負担を課し、以後の言論活動を躊躇させることができるので、提訴をしただけでその目的を十分に達成したと考えているかも知れないのである。

このようにスラップ訴訟は、批判的言論を躊躇させるという意味で、表現の自由に対してもたらす弊害が大きい。表現の自由に思想の自由市場を通じて真理に到達できるという機能(真理発見機能)があることはつとに指摘されていることであり、かかる機能からすれば、批判的な言論こそ特に表現の自由によって手厚く守られねばならないのであるが、スラップ訴訟は、まさにその批判的な言論を抑圧するものなのである。

名誉毀損法理は人格権たる名誉権を守ることから出発した一つの法体系であるが、かくしてスラップ訴訟は、名誉毀損訴訟に内在する病理現象であるといわざるを得ない。このような病理現象から表現の自由を守るために、いかなる処方をなすべきであろうか。

3 処方1・提訴自体を不法行為と捉える


考えられる処方の一つは、提訴自体が違法であるとして、反対に提訴者側(書かれた側)に不法行為責任を負わせることである。

訴えの提起が違法となる場合については確定判例があり、最3小判1988(昭和63)年1月26日(判タ671号119頁、判時1281号91頁)は、

「訴えの提起が相手方に対する違法な行為といえるのは、当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係(以下「権利等」という。)が事実的、法律的根拠を欠くものであるうえ、提訴者が、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知りえたといえるのにあえて訴えを提起したなど、訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られる」

最3小判1988(昭和63)年1月26日(判タ671号119頁、判時1281号91頁)

としている。これを名誉毀損訴訟に置き換えていえば、当該記事が社会的評価を低下させるものでないことを知りながら、または、真実性・真実相当性の法理の抗弁が成り立つことを知りながらあえて提訴をした場合に、その提訴自体が違法であるとされ、提訴者の側が不法行為に基づく損害賠償責任を負うことになる。この理で提訴者側に損害賠償責任を認めた裁判例は既にいくつもある。

古い順に挙げれば、

  1. 東京地判2001(平成13)年6月29日(判タ1139号184頁)

  2. 東京地判2005(平成17)年3月30日(判時1896号49頁)

  3. 青森地弘前支判2008(平成20)年3月27日(判時2022号126頁)

  4. 高知地判2012(平成24)年7月31日(判タ1385号181頁)

  5. 長野地伊那支判2015(平成27)年10月28日(判時2291号84頁)

などである。
 
これらは、「批判的言論を威嚇する目的をもって…提起したもの」(1の判決の文言)、「あえて、批判的言論をを抑圧する目的で行われたもの」(2の判決の文言)、「抗弁事実が存在することを知りながら又は容易に知り得たのにあえて…訴え…を提起したもの」(3の判決の文言)、「裁判制度を悪用するもの」(4の判決の文言)、「原告において真に被害回復を図る目的をもって訴えを提起したとは考えがたい」(5の判決の文言)等と判決で断じられているものであり、明らかに名誉毀損訴訟の提起自体が違法だったといえるものであって、これらを不法行為であると認定した裁判所の判断は妥当であろう。

問題は、認容すべき損害賠償額である。筋から言えば、スラップ訴訟という不当訴訟への応訴を強いられた苦痛に対する慰謝料(精神的損害)のみならず、スラップ訴訟への応訴のために要した弁護士費用(財産的損害)もきちんと賠償されなければならない。しかし、上記の1~5の裁判例のうち、応訴に要した弁護士費用(財産的損害)がきちんと認容されているのは3のみである。このような結果になっているのは、そもそも慰謝料しか請求せず弁護士費用を請求していなかったからのようであるが、今後のスラップ訴訟の跋扈を許さないためには弁護士費用もきちんと賠償請求額に盛り込むべきであろう。

また、慰謝料額の低廉性も気になるところである。上記の5つの裁判例で認容された慰謝料額は、1~5の順に100万円、120万円、50万円、11万円、50万円であり、決して高いとはいえない。名誉毀損をされた場合の慰謝料額については、かつてその低廉性が指摘され、2001(平成13)年には、司法研修所が、裁判官の研究会の結果報告という形の論考を公表し、「500万円程度を平均基準額」とすることを勧奨したことがある(判タ1070号4頁)。それに引き換え、名誉毀損のスラップ訴訟を提起された側の慰謝料がこの程度では、均衡を失するといわざるを得ない。

4 処方2・立証責任の転換

  1.  以上の通り、スラップ訴訟を不当訴訟であるとして損害賠償請求し返すという方法は、一定の成果が期待できる一方、認容額に限界があり、また、提訴をしなければならないという意味において手間暇もかかる。このため、もっと前の段階でスラップ訴訟を解決する方法が考察される必要がある。

    そもそも名誉毀損訴訟が簡単に提起でき、しかも提訴することのみで被告側(書いた側)に相当なプレッシャーを与えることができるという構造自体を改善できないか? 通常、不法行為訴訟の場合、原則として要件事実の全てを原告側が立証しなければならないため、提訴はそう簡単ではないし、提訴された被告側も、まずは原告の立証の様子を見ていればよい。しかし名誉毀損訴訟の場合、前述の通り、記事の実物を甲1号証として提出すれば原告側は要件事実の立証を終えることができ、あとは被告側による抗弁の立証の失敗を待っていればよいわけである。こういった構造自体にメスが入れられるべきではなかろうか。

    かかる観点から提唱されているのが、立証責任の転換である。つまり、原告の側(書かれた側)に記事が虚偽であることの立証責任を負わせることによって、被告側の立証の失敗を待っていればよい現状を改善しようというわけである。

  2.  立証責任の転換の方法の一つとしてよく言われているのが、「現実の悪意の法理」の導入である。これは、米国連邦最高裁が採用している名誉毀損の免責法理であり、公務員に対する名誉毀損表現については、その表現が「現実の悪意」をもって、つまり、それが虚偽であることを知りながらなされたものか、または虚偽か否かを気にもかけずに無視してなされたものかを、原告(公務員)の側で立証しなければならない、とするものである。

    名誉毀損事件について日本で採用されている「真実性・真実相当性の法理」は、記事が真実であることを被告の側(書いた側)が立証しなければならないが、「現実の悪意の法理」の場合、こと公務員に対する名誉毀損事件については公務員の側が記事の「虚偽」であることを立証しなければならないとされているのである。そしてこの法理はその後、射程範囲を「公務員」から「公的人物」(public figures)にまで拡げており、つまり表現の自由の保障の範囲を拡張している。

    しかしこの「現実の悪意の法理」は現在のところ日本の判例の採用するところでない。その意味でこの法理は、即効性のある処方ではない。

  3. 喜田村洋一弁護士は、著書「報道被害者と報道の自由」(1999年)で、「現実の悪意の法理」を一足飛びに日本で実現することは難しい、という問題意識に基づき、現在日本で採用されている「真実性・真実相当性の法理」を基本としながらの立証責任の転換を提唱する。即ち、摘示事実が「公共の利害に関する事実」である場合には、書かれた側である原告(公人)の側が、公益目的の不存在や真実性・真実相当性の不存在を主張立証しなければならない、とする。但し、かかる立証責任の転換は、自ら望んで権力や権限を有する地位についた「公人」に対してのみあてはまるものであって、「公共の利害に関する事実」に該当するものであっても、犯罪報道における犯罪容疑者のように自ら望んでその地位についたのでない場合には立証責任は転換されない、とする。

  4. 以上のように虚偽性等の立証責任を原告側が負担しなければならないというハードルは、訴訟提起の段階で原告側に相応の根拠とそれを証する証拠が求められるという意味において、名誉毀損訴訟の濫用的な提起を一定程度防ぐことができるであろう。またこのハードルは、記事が虚偽であることの根拠を示すよう原告側に求めることになるので、先に述べた不当訴訟であるか否かの判断も容易になると思われる。

    但しこれらは、まず弁護士である私たちが訴訟で粘り強く意識的に主張し、そしてこの解釈手法を裁判所に採用させなければならない。そういう意味で道のりは決して短くないが、ことは表現の自由に関わる問題である。私たち実務家が課題として正面から受け止めなければならないことであろう。

以上

初出:2016年「法学セミナー」10月号

佃法律事務所 弁護士 佃克彦
“正義の味方”にあこがれて弁護士になり、気がつけばもう30年。さまざまな事件に出合い、数多くの経験をしてきました。事案に応じて他の事務所の弁護士と連携し、フットワークは軽く、しかし強い信念を持って皆さんの人生やお仕事における前進のお手伝いを致します。お気軽にご相談下さい。

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