見出し画像

【弁護士・佃克彦の事件ファイル】「石に泳ぐ魚」出版差止事件・東京地裁編_Part2

顔に腫瘍の障害のあるAさんが、そのまま小説の題材に使われたことは、Aさんにとっては耐え難い衝撃でした。

「モデルとされたことは、私の顔面に隠しようのない障害があることと関連して、きっと健常者のひとには予想もできないであろう比重でのしかかってきます。障害をもつ私はどこにも隠れようがなく、小説を読んだ人ならば、誰でもすぐに自分のことを認定できるだろうという強迫観念が付きまといます。たとえ、それが、自分自身の強迫観念に過ぎないのかもしれないと自覚しても、そうしたものとの戦いこそが、障害をもつ私が自分と日々戦っている障害による呪縛なのです。」

Aさんは、後に裁判所に提出した陳述書でこう語りました。

出版差止の仮処分の経過


このようなAさんのために、「石に泳ぐ魚」の出版は、何としても防ぎたいことでした。

仮処分手続でAさん側が「石に泳ぐ魚」の出版の差止を求めたのに対し、柳美里さん側は、「小説に手を加えるのでその修正したもの(改訂版)を出版したい」と、手を加えた小説を提示してきました。

その改訂版では、Aさんの属性をそのままなぞっていた副主人公の出身大学や専攻科目などに変更が加えられてあり、また、顔に関する描写が一部削除されていました。しかしAさんにとってはそれは小手先の修正に過ぎず、Aさんの顔の腫瘍が決定的な要素として書かれている実態に変わりはありませんでした。また、すでにAさんをそのままなぞったオリジナル版が世間に広く流布している以上、今さら属性や描写の一部を変えても、単行本の出版によってやはり副主人公がAさんであることは拡がり続けるでしょう。

そこでAさん側は、改訂版での出版も認めない、と回答し、話し合いは一旦、決裂寸前となりました。

しかし、この改訂版でしか出版しないということが確約されるならば、それは一つの前進であることに間違いはありません。そこでAさん側は改めて、“改訂版以外での出版がないということがはっきりと文書で示されるなら仮処分は取り下げる。改訂版での出版が許されるか否かの問題は改めて本裁判で争う。”と回答しました。

仮処分で柳美里さんとした合意


このような経過を経てこの仮処分では、Aさんと柳美里さん側との間で概要次の通りの合意が成立しました。

「石に泳ぐ魚」のオリジナル版は、出版・放送・上演・映画化等いかなる方法によっても公表しない。公表する場合には、改訂版の通りの訂正を加えたものとする。Aは仮処分を取り下げる。

そして本案訴訟の提起


こうして合意が成立し、仮処分手続は終了しました。

しかしこのままではまだ改訂版での出版の可能性が残っています。そこで、仮処分手続で意向表明したとおり、94年12月、Aさんは改めて、「石に泳ぐ魚」の改訂版の出版差止と慰謝料の支払いを求める本案訴訟を東京地方裁判所に提起しました。

この本案訴訟から私もお手伝いをすることとなり、弁護団は、仮処分手続から担当していた梓澤和幸氏、飯田正剛氏に加え、木村晋介氏、坂井眞氏、そして私の5人体制となりました。
 
次回は、東京地方裁判所で行われた一審の審理の経過をレポートします。

Part3へ続く

佃法律事務所 弁護士 佃克彦
“正義の味方”にあこがれて弁護士になり、気がつけばもう30年。さまざまな事件に出合い、数多くの経験をしてきました。事案に応じて他の事務所の弁護士と連携し、フットワークは軽く、しかし強い信念を持って皆さんの人生やお仕事における前進のお手伝いを致します。お気軽にご相談下さい。

【住所】東京都港区西新橋1-20-3 虎ノ門法曹ビル403
【電話】03-3500-4162
【HP】http://tsukuda-law.jp/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?