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『文春』創業者も「賭け麻雀」で検挙されていた。文壇 VS 検察 90年越しの応酬

黒川検事長、賭け麻雀で辞任。スクープを取ったのは『週刊文春』。

という報を目にした時、「積年の恨み、遂に晴らさる!」という活字見出しが脳裏に浮かんだ。もちろん現代に、そんな粋な見出しを書く媒体は存在しないのだが。『文藝春秋』が創刊された大正~昭和初期であったら、きっと文筆家たちが湧き立って書いていただろう。

◆ 無類のギャンブル好き『文春』創業者・菊池寛

『週刊文春』の親会社である文藝春秋を創業したのは、『真珠婦人』などで知られる 作家の菊池寛 。無類のギャンブル好きで、特に競馬と麻雀に熱中し、多数の著作を遺しているだけでなく、麻雀連盟の初代総裁 にまで就任している。

『文藝春秋』が創刊された大正末期から昭和初期には、文士たちの間で賭け麻雀や花札が流行しており、昭和8年に世間を騒がせた「文士賭博事件」では、久米正雄・里見弴らを含む9名が一斉検挙・起訴され、罰金刑を受けた。

その時の身元引受人が、文春創業者・菊池寛なのである。

◆ 菊池寛も麻雀賭博で検挙、レートは千符10円

昭和9年の「第二次 文士賭博事件」では、麻雀クラブで常習的に賭け麻雀に興じていた作家・画家・医師・実業家などが一斉検挙され、連行された著名人の中には、菊池寛 の名前もあった。

有名どころはすぐに釈放されたようだが、都内の東屋旅館で直木賞の由来となった直木三十五の死を悼む「追悼麻雀」の卓を囲んでいた、文藝春秋の同人作家・川崎備寛 ら4人は、略式起訴の上、罰金刑を受けている。

この時の賭けレートは「千符10円」だったそうだ。昭和初期の1円は現在の3千~5千円と考えると、千点3万~5万円。当時の換算方法が今と同じだったかどうかは分からないが、黒川検事長のレート「点ピン」=千点100円が可愛く思えてくる。(※ 戦前レートのご指摘を頂きました → 追記)

◆ 創業者から受け継がれる、大手新聞社への恨み?

菊池寛は『文藝春秋』の中で、自分たちの「麻雀賭博」検挙を書き立てた大手新聞社に、こんな恨み節を語っている。

当局より、もっと癪に障るのは新聞社である。新聞記者達が麻雀で検挙されたならば、新聞が出なくなるだろう。他人の事になると、あらゆるいやがらせの筆法を用いて書いている。いい気なものだ。(『文藝春秋』昭和9年5月号「話の屑籠」) 要約

暗に、自分のところの記者が検挙されても書かないだろう。お前らだってやってるクセに。と言っているわけだ。

奇しくも当時、「文壇の大御所・菊池寛検挙!」と煽情的に見出しを打ったのは東京朝日新聞。その朝日新聞記者の「麻雀賭博」を暴き、文壇の麻雀愛好家たちを連行した国家権力の親玉とも言える、検事長を辞任に追い込んだ今回の『文春』スクープは、ある意味、90年越しの報復 とも言えるのではないだろうか?

□ 参考サイト □
犯罪でたどる直木賞史
競馬を愛した文士たち
麻雀博物館

【追記】戦前のルールだと千点2~3千円か?

中山智さんに、下記ご指摘を頂きました。
戦前は麻雀の点数ルールが今とは異なっていたようです。

当時ってアルシーアル麻雀だから、最低点が80点。親の役満でも3000点。ゲーム点数自体も現在はひと桁インフレしてるんで、それも考えると千点2000円~3000円って相場感じゃない? (「中山智のnote」より引用)

それでも、昭和初期の文士たちは、結構な高額レートで麻雀を楽しんでいたようですね。麻雀や競馬は<社交>の場でもあったようなので、どちらかと言うとカジノ的な感覚だったのかもしれませんね。


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